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「しあわせ」という勘違い

幸せとは手錠からつくられた文字
「人柱になるくらいなら手錠をかけられているほうがましだ」
そんな説明を何かの本で読んだことがありました。

僕は幸せという漢字の成り立ちを知ったとき
幸せというのは比較することでしか得ることができないのかと
幻滅しました。

だけど、今紹介しているコラムを読んで
本当の意味は違うことを知り
「しあわせ」のとらえ方が変わりました。

「幸せ」という漢字が使われ始めたのは
江戸時代以降ということでなんですね。

それ以前の日本では、「為し合わす」→「仕合せ」という漢字が使われていたということなんです。

「為し合わす」とは、誰かと一緒に行動するという意味で
一つの共通する目標に向かって、複数人と行動するということ

その行動している時に感じる喜びや苦しみや感動といったことを
「しあわせ」と感じ、
現在の意味として使われているんじゃないかって思いました。

幸せの語源は諸説あるので
何が正しいのかわかりません。

今紹介している荒川和久さんのコラムを読むことで
僕の中で「しあわせ」という言葉の意味が書き換わりました。

「しあわせ」とは、自分より不幸な人と比較することではなく

「しあわせ」とは、自分と共通の目標を持っている人たちと
同じ方向を向いて目標達成する過程で感じるものであり

理想の人生を目指している人同士が仲間となり
理想の世界の実現に向け考え・行動・実践することなんだと
理解することができました。

そして、今まさに僕はそれを実感しているなって感じています。
僕はあるコミュニティで理想の世界を目指して最新のビジネスを学んでいます。

そんな風に、インターネットの普及によって
共通意識の人が集まりやすい環境が整っているなって感じています。

今までは組織の中で、組織の目標達成のために頑張っていました。
その過程において幸せを感じる日々も確かにありました。

でもそれは、僕が求めていた「しあわせ」ではなかったんですね。


僕が求めていた「しあわせ」は
目指す人生のゴールの世界観が重なりあっているコミュニティに属し
そこでお互いが協力しあい、助け合い、一緒にお酒を飲みながら未来の話をし、時にはライバルとして切磋琢磨しあい、成長し続けることが
僕の中での「しあわせ」なんだと感じましたね。


こんなふうに一つの言葉に意味を込めたり
書き換えたりすることができるのも

今紹介しているコラムとの出会いによって
僕のなかで気づきとして表現されるんですね。




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