【読書】『わが友マキアヴェッリ』第一巻①【ロレンツォ・イル・マニーフィコ】
花の都フィレンツェ
イタリアに三十近くあった小国は、ミラノ、ヴェネツィア、ローマ法王領、ナポリ、そしてフィレンツェの五大国並立時代を迎える。
ヴェネツィアは百年も前に個人の力量に左右されない体制をつくりあげたが、フィレンツェは個人の力量に頼る体制にするしかなかった。
なぜか?
フィレンツェも、ヴェネツィアも、個々は優秀であったのに、なぜこうも違ってしまったのであろうか?
いくつか仮説を立てて、考えてみたのだが―――――
―――――やめた。
「後出しじゃんけん」のようなものになるという言い訳をしてみる。
ああすればよかったのに、こうすればよかったのに・・・・・はいくらでも言える。しかし、それでは何も学べない。
歴史から学ぶとは、非難することではない。批判的な議論を繰り返して、今後のカデにすることだ。
花の都フィレンツェは、芸術が花開く。
芸術家ドナテッロはこう言っている。
ドナテッロのいう「悪口」は「罵詈雑言」「誹謗中傷」とは全く違う。
ひとつめに、当時のフィレンツェ人の「審美眼」は相当なレベルの高さがあった。
ゆえに「勉強の刺激」になるのである。
的外れの批評は、邪魔で、有害なだけ、である。
ふたつめに、フィレンツェの「内需」である。
当時のフィレンツェの経済力は相当なものがあったのである。
経済力に支えられているので、芸術品を購入する需要がある。
購入されることほど、芸術家に対する評価はない。
しかし、このスピリットが芸術の方に向かうと「花開く」のだが、政治の方に向かうとなぜか花開かない。
フィレンツェ人は「自由」という言葉が好きだった。
そして「民主政」が輝かしい政体であると信じていた。
しかし、「自由」「民主政」を作り上げ、維持する能力には欠けていた。
メディチ家
この時代のフィレンツェは理想的なリーダーに恵まれる。
マキアヴェッリの評価を挙げる。
「自由」「民主政」を作り上げ、維持する能力には欠けていたフィレンツェに、システムはない。
システムがないために、個人の力量に頼る方が効率的になってしまった。
ゆえに、表面は民主政、中身は僭主政、という体制のほうが都合がよくなってしまった。
それを始めたのが、コシモ。
それを引き継いだのは、ピエロ。
受け継いだのは、ロレンツォである。
ロレンツォ・イル・マニーフィコ
ヴィーナスの方面はどうかと思うが、現代の総理大臣が子どもに混じって「缶蹴り」でもしていたらと想像すると笑ってしまうけれど。
良い方面であろうと、悪い方面であろうと、ロレンツォ・イル・マニーフィコはフィレンツェにとって理想のリーダーだった。
ロレンツォの目標は
フィレンツェをメディチの完全なる支配下に置くこと
イタリアを、ミラノ・ヴェネツィア・法王庁・ナポリそしてフィレンツェの、五大国並立状態に置くこと
であった。
問題になったのは、法王庁である。
法王庁の勢力拡大を狙うと、イタリアの五大国並立状態を目指すロレンツォに邪魔される―――――
―――――それに気がついた、シスト四世の「激怒」から始まる、パッツィ家の陰謀・ロレンツォ兄弟暗殺計画・対ナポリ戦争。
フィレンツェは危機に見舞われるが、ロレンツォは「賢明にすばやく、しかも大胆に解決」する。
ロレンツォの考えた「イタリア五大国並立状態」の正しさは、死後に起きたシャルル八世のイタリア軍事侵攻、ナポリ征服で証明される。
教皇庁は逆らったけれど、ミラノ、ヴェネツィア、ナポリ、はロレンツォの考えた「五大国並立状態」を受け入れる。その方が、都合がいいからだ。
他国の介入を許さない。
ロレンツォの時代、フィレンツェは芸術で花開き、外交でも花開く。
*アイキャッチはdarrenquigley32によるPixabayからの画像
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