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21日はたいせつな日なんだ。

2015年3月21日からずっと、21日はスシローの寿司を食べている。

今日は2019年7月21日。
2015年3月21日から毎月21日、計53回スシローの寿司を食べたことになる。
人生のなかで、一度決めたことがこれだけ続いているのは、正直なところ、これが初めてで、最長だ。
ちなみにスシローなのは、家から1番近い回転寿司だから。そのほかの特別な理由はない。

書き始めはどうにか書けたけど、実はここから書くのが苦しい。
というより、読んでくださった方がいらっしゃるとして、どうお話すれば、こころにご負担を与えることなく、読める文章になるか、想像がまだできてないからである。


今日は2019年7月21日。
21日は、生まれてはじめて一緒に暮らした猫の月命日なんだ。

2015年2月21日。
あれから、もう4年半が過ぎた。
あの日のこと、あれからしばらくの毎日のこと、会社の出口で見た夕方の空の色のこと、帰り道、毎日、涙で前が見えなくなったこと。今でも忘れていない。いや、うそだ。ほとんど憶えていない。思い出せない。

1年経ち、2年経ち、3年経ち。
何も変わっていなかったことだけは憶えている。そのこころのありさまを詳しくは書けない。たかが私の筆力では、あれからの日々のことをちゃんと表現できない。だから書けない。

もし読んでくださっている方がいて、辛い気持ちや重たい気持ちになってしまったらごめんなさい。
21日は猫の月命日で、あれからずっとスシローのお持ち帰り寿司を食べているんです、ってそれだけを書きたかったんです。


ところで、なんで、お持ち帰りの寿司?

はじめての月命日を目前に迎え、わたしの心は乱れに乱れました。
だってまだひと月だもの、当たり前ですよね。(←自分に甘い)
生前、キャットフードしか与えなかったことを、ずっと後悔してました。
もっとおいしいものを食べさせてあげればよかった。

だから、月命日くらい、生前食べさせてあげたかった「ごちそう」を食べさせてあげたい。
毎日バタバタしてるから、せめてその日くらいは夕食を作る時間をなくして(←いや、いつもまともに作ってねーし!)猫のことを思い出したい、そういう時間を作りたいな、と、思った結論が「回転ずしの持ち帰り」でした。

最初は、人間用の寿司とお刺身を、猫さんたちスペースにお供えしていました。(「たち」と書いたのは、その後、犬と猫が加わったからです)
だけど、お供え後の寿司と刺身をダブルで食べるニンゲンは結構きつい。
「ノルマ」なんですね。刺身食べてお寿司食べて。
って普通のご家庭ではなかなかないメニューだと思いますが、よろしかったら実践してみてください。ぜったい飽きます。はっきり言って苦痛です。
また、生のおさかなって、やっぱり猫(3代目の若造たち)に狙われる!
まさに盗み食い直前の猫たちに「コラーッ!」「ダメーッ!」
…しみじみ想いを馳せる、なんてとてもムリ。
月命日はどこに吹っ飛んだ?

やむなく、形だけ一瞬お供え、すぐ引っ込めて人間が食らってました。
そのうち、刺身はスーパーの開店時間に来店できない、などあって計画消滅、スシローのお持ち帰りをネット予約、(お供えもこころのなかだけで)自宅にて黙々と食べる、という形式になり果てました。

初回から52回、家族の誰かがいて、最低2人前は注文して一緒に食べた。
正直、テレビを普段通りにジャカジャカ付けて、呑気にそれ見ながら食べられた日にゃあ気分も良くなかったけど、シーン…としたところで陰気に食べ、しかも私の思い出話(←もちろんお酒も入ってるからボロボロ泣く)なんか聞かされたら、焼きサバ寿司だって一気に傷んじゃうよね。
だから、私も一緒に、元々興味のないバラエティを「ふんふん」なんて見るフリしたり、軽い雰囲気を装ったりした。
もちろん基本的に猫や犬たちの話題はことさらしない、するなら、各猫犬のキャラクターを前提にして、おもしろおかしく演出して話す。
※犬や猫を飼われたことがない方にはピンとこないかもしれませんが、そのキャラの立ち方は本当に見事です。無駄に社会性が付いてしまったヒトより、個が際立っているかもしれない。

本当は、「あのとき、○○(もちろん、ふざけた愛称)はああだったね」「え?そんなことあったっけ?」「覚えてないの?マジ?」「マジ。覚えてない…」「マジかー」なんて会話したかったけど。
マジで潜在的な記憶はどんどん薄れていき、夢にすら出てきてもらえないから、外部からの情報を記憶として新たに植え付けたいのだけど。
でも、当時からかなり長い間、私の状態が「涙。泣。涙。時々ご乱心」だったから、家族も「あまり触れないほうがよさそう」という判断を下したのかもしれない。

実のところ、いっしょに死にたかった。


今日、2019年7月21日。家族が皆用事で、家には私ひとり。
53回めにして、初めてのひとり寿司。

別に一人前の持ち帰り予約も恥ずかしくない。(きっと私は常連。お店の方に面が割れてるはずだけど、ま、いっか)
「重くならないように」と、一緒に食べる家族を気遣う必要もない。
うるさいテレビの音はもちろんなし。
大きく開けた窓から勢いよく吹き込む風の音と、夜気に混じって流れてくる日曜の夜の気配のみだ。

さみしいな、と思う。
だって、月命日をひとりで過ごすの、初めてだものね。
無理もないよ、キミ。

テレビは意地でもつけないぞ、と決めてみる。
でも、きみたちとのことを思い出すとやっぱり涙が止まらなくなりそうだから、ごめんね、たくさん思い出すことはやめるよ。明日の朝、まぶたパンパンで出社するのは恥ずかしいから、カンベンしてね。

大切な日に、ひとりで寿司を食べるのって、こんな気持ちなんですね。
私は家族が発する気配や音を「うっせえなぁ」なんて思ってたけど、家族だって「うぜえなぁ」「しょうがねえなぁ」なんて思ってたのかもしれない。

さみしかったから、noteだけ読んでもいいよって、自分に許可しました。
ついでなら、YOU、書いちゃっていいよ、って。


今日は曇天ながらなんとか降らずに持ちこたえました。
庭に面した窓から、長梅雨で茂りすぎたモミジの葉が揺れてこすれる音が聞こえてきます。とおくの車の音がかすかに聞こえます。

きみたちはいつも窓の近くにいるから、おんなじように聞こえてるかな?
きみたちはきっと網戸もすり抜けて自由に出入りできるだろうから、ちょっと遊びに行っておいで。
12時には窓を閉めるから、それまでには戻ってきてね。


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