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「気遣ってないと見せかけて実はめちゃくちゃ気遣ってるよね」と言われた話②

※注意※
ものすごく長い(2,800字くらい)の自分語りや友達遍歴の話になるよ!

友達の定義 ~きぐるみを着たのはいつ?

私は友達が少ない。今の大学には多分いない(友達と呼べそうな人たちが今年の春に卒業してしまったからというのもあるが)。そもそも友達付き合いというものにかなりの苦手意識を持っている。

今庄さんは友達の定義を聞いてきた。
そのことによって、

① 今まで他人に求めてきたもの
② ①を得るために自分がしてきたこと

この2つを知ることになった。


定義の変遷

【~小学生】 
 遠足の時とかにご飯食べる子は決まっているけど、それ以外の人もみんな友達
【中学生】
 一緒にいる人が友達
【高校生】
 私の中身を見てくれる人が友達
【大学生~現在】
 私の秘密を知っている人が友達

小学校時代

小学生の頃は友人関係の悩みもなくのびのび生きていた。「あの子から嫌われている」とか「もしかしたら嫌われてしまうかも」といった悩みとも無縁だった。小学生特有の正直すぎる一言にショックを受けることがあっても、誰かに黒い感情を抱くようなことは無かった。「私もこの子が好きだし、この子も私のこと好き」という前提を誰に対しても持つことができていた時代だった。

中学時代

しかし中学校に上がると状況は一変する。平和な小学校時代とは打って変わって、誰かを排斥したり貶めたりすることで連帯感や仲間意識を測ろうとする動きが見られるようになる。つまり、誰かに嫌われることは皆に嫌われることを意味する世界で「誰からも嫌われないこと」と「排斥の対象にされないよう立場を死守すること」が平和な生活を送るために意識しなければならないことだった。排斥は必ずしも「嫌いだから」などの強い動機で行われているわけではなく、「排斥できそうだから/ してもよさそうだから」という理由も含まれる。

例えば、親友は私の秘密(好きな人など)をバラしたほか、あることないこと捏造して紙に印刷してばらまいていたらしい。これは嫌悪感という強い動機からの行為で、通常の環境であれば私と親友間の闘争ということで終わる。ところが実際は周りの男子たちが嫌がらせしてきたのだ。私が親友に嫌われる可能性は彼女とかかわりがある以上排除できないものだが、私と男子たちには何のかかわりもなく、嫌うほどの強い気持ちを持つきっかけがあるはずもない。これは「排斥できる理由ができたから」に他ならない行為であり、「叩ける材料があるからとりあえず叩く」というネット民さながらのしょうもない理由だ。(*1)

今思えば、彼らも安心できない状況の中で我が身の安全を守るためにやっていたのだろう。こういうことに加担してきたのは、優等生にも不良もなりきれない半端者か訳アリの人たちだったからだ。
とはいえ、これは私に人間に対する不信感を抱かせるには十分すぎる出来事だった。この頃から「うまく擬態しなければ」や「好き嫌いに関わらず誰かと一緒にいなければ」と思うようになった。そのため、中学校のころの友達とは「自身を守る手段」に他ならない。(*2)

高校時代

高校に入ると空気はまたガラリと変わり、殺伐とした日常とはおさらばすることができた。それでも対人関係の悩みが消えることはなかった。今度は自分の名前より肩書が見られるようになった。中学校までは部活一筋の生活をしていた影響で、そこそこの成績を残すことができた。高校からはその競技と決別し新しいことを始めようとしていたのに、周りは「県選抜」として見てきた。肩書から妄想で作られた私像を悪意なく押し付けられるのはしんどかった。(*3) 肩書より私自身の中身を見てほしいと思うようになった。そんな私にも2年生になると初めて彼氏ができた。

しかしこの彼氏がなかなか卑屈な人だった。「ぽちまるは元県選抜で、特進クラスで、留学も行けて、ピアノも弾けるのに自分には何もない」とよく言っていた。そのたびに私は彼のいい所をいくつも挙げてきた。だが、受験に失敗すると「お前も俺のこと本当は低能だって思ってたんだろ!」と言われて、とても悲しかった。私は彼の人柄が好きだった。肩書なんかなくたって好きなのに、低能だなんて思っていないのに、彼は肩書にこだわり私の言葉なんか聞いていなかったのだ。私が何もない人間だったら、私の言葉は届いていたのだろうか。そう思ったら私の肩書がますます嫌いになって、1ヶ月後に別れた。

留学から帰ると今度は「帰国子女」が追加された。この頃になると「人間は他人のことなんて全然見てない。憶測を話すのは話のネタにしたいだけ。そんな適当な他人のことなんて気にする必要ない」と、誰かが自分の中身を見てくれるんじゃないかという期待を捨てた。

それでも人間を嫌いになるのは嫌だった。「どうして誰も分かってくれないんだ」なんて誰彼かまわず怨嗟を振りまく人間になりたくなかった。「社会で生きている以上、誰かと仕事したり何かをするのは避けられない。友達になれなくてもせめて最低限の社会性だけは持っていたい」と思って、人に対して友好的でオープンな態度だけは取ろうと決めた。

大学時代

大学に入ると、友達作るつもりはなかったけど友達ができた。中身を見てくれなくても私の秘密を知る人は信頼に足る人だろうから、当時の友達の定義は「秘密を知る人」だった。仮面浪人を決意したことを仲良さげで志向が似ていそうな人に話したらあっさり受け入れてもらえた。その人の友達とも芋づる式で友達になれた。一緒にラーメン食べたり課題やったり普通の大学生っぽいことをしていた。

冬になったころ、唐突に「もっと友達増やした方がいい」と言われた。「人脈が大事」とかそういう論調だったと思う。「中学校の時のこともあるし、少数の信頼してくれる人がいてくれたらいい。無理して増やす気はない」と答えたら、「人が心配して言ってるのに!」と逆ギレされてしまい、以降疎遠になった。怒る理由がさっぱりわからなかった。誰の印象にも残らないような人間になれたらなと思うようになった。

仮面浪人が成功し今の大学に来ると、もはや何が友達なのかとかよくわからなくなっていた。友達が欲しいと内心思っていても、実際行動を起こすことはなかった。クラスで一緒に話す子やカラオケや遊びに誘ってくれる子がいても、それが友達なのか今でもよくわからない。ただ、グループワークや会話がスムーズにいくと「自分はうまくやれてる」と安心することができた。この頃になると「うまくやっていくこと」にばかり腐心して友達を作ることは諦めているくせに、本心では「友達欲しい」願望を持つという矛盾した態度をとるようになっていた。

私がしてきたこと

私の「友達欲しい!」は結局のところ「同族が欲しい」というより「もう排斥されたくない」願望の表れで、「自分の外側じゃなくて内側を見る」ことを他人に対して望んでいたものの、それが得られないと諦めた。諦めと引き換えに「うまくやっていく」ためだけの社会性を身につけることになり、今まで得た距離感をフル活用していたという話になりそうだ。

今庄さんは「うまくやっていく」ために私は本心や個性を殺すようになったのではないかと答えた。自分の能力を嫌うのは不思議な話だとも言った。「能力は本来人生を豊かにするリソースで、それを使いこなせるかは本人が能力の存在とその良さに気づけるかどうか。あなたの場合は存在に気づいていても、その良さには気づけていない。能力が嫌いなのは、そのせいで辛い思いをしてきたと思っているから。本当は悲しんでいた自分をちゃんと見てあげないと、苦しみと引き換えに自分が身につけた力の良さに気づくことはできない」と。

さらに、「あなたは本当の自分を見てほしいあまり、肩書や能力という人に注目されやすい部分を捨てようとしている。だけどこれは魅力を捨てるという行為だからもったいないじゃん!この魅力も含めあなたなんだから」とも。私は「捨てなくても誰かに好きになってもらえるんだ」と目から鱗だったのだが、「悲しんだ自分を見てあげること(今庄さんの謂う所のヨシヨシ)」がどういうことなのか、まだその重要性を理解していなかった。


続く


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*1…オタクであることも排斥される理由だったらしく、中学校以降私は自分のオタク加減を隠して生きることとなる。

*2…友達は単なる身を守る手段だったが、そんな私にも本当に真心を込めて接してくれる子がいた。嫌がらせ行為で人間不信になったことを打ち明けた時「辛かったね」と手紙を書いてくれてとても救われた。彼女のおかげで「全ての人間を信じなかったら、今みたいに本物の優しさを向けてくれる人に気づくことすらできない」と思うことができた。感謝している。

*3…「選抜だったんだからいい思いしてきたんじゃないか」という前提に立っている人が多く、実際しんどい思いをしてきたことを想像されないことが多い。「強くて苦労してなさそう」とか「才能だね」とか「体育で本気出すなよ怖い(※出してない)」とか「こんくらいできて当然だよね」とか。「外野に言われたくない論者」になった原因の一端になっているだろう。

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