鬼滅の刃と私の思い
この記事にはジャンプ最新号までのネタバレが含まれます。
未読の方は御注意願います。ご了承ください。
鬼滅の刃がついに完結!吾峠先生本当にお疲れ様でした。
私が鬼滅にハマったのは2020年になってすぐのこと。きっかけは友達に電話で早く読んだ方がいいと力説されたことや、兄弟から鬼滅のアニメについて熱く語られたこと等々、、
いろいろな要素が相まって、そろそろ読もうかな〜なんて思い読むことにしました。
そうは言いつつも、実は私は鬼滅を読むことをわざと避けていました。
なぜなら、一度読んだら絶対にハマってしまうと思ったからです。
理由を説明しましょう。
私は小さい頃から伝記やら何やらが大好きでした。歴史の授業も大好き。もはやご褒美タイムに等しいです。その中でも特に好きだったのは日本の戦国時代。何事にも筋を通す武士の生き様は私の憧れでした。
そんな歴史大好きな私が今まで好きになったのは同じジャンプ漫画では銀魂。ジャンプ以外だと信長協奏曲とか。小説だと司馬遼太郎先生の燃えよ剣。戦国時代について書かれた新書等も読み漁りました。
そう、兎にも角にも私は『侍』とか『刀を持って闘う人たち』に心惹かれて止まないのです。
だからこそ、私が鬼滅の刃にハマらないわけないと自分でわかっていたんです。熱中するとそれしか考えられなくなるタイプなので余計に読むのが怖かった、、。
まあでも結局読み始めたんですよね。そしてもちろんハマります。無限列車編なんか大号泣しました。
そして最後の無惨編は本誌で追うことができた。
夜明けがあれほど待ち遠しいと思ったのは人生で初めてです。
早く日が昇ってくれ。そう何度も思いました。
上弦の鬼たちや無惨との戦いの中で私は登場人物たちが死んでいくのが耐えられないほど悲しかった。
だけど、読んでてふと思ったんです。
『何としても無惨を倒す』『自分が死んでも誰かに希望を繋げる』
鬼殺隊の人たちは皆がこのような思いを胸に戦っている。
戦って死ぬのも本望、とは言い過ぎかもしれませんが死ぬのも厭わないと思っていることは事実です。
それなのに、死なないことを望むのは私のエゴなのかなって。
たかが漫画に何言ってるんだって思う人もいるはず。
だけれど私にとってそれを読んでいる時間は紛れもなくその世界の住人なのです。
だからこそ、炭治郎をはじめとする鬼殺隊が死の間際で戦っているところさえも、たとえ死んでしまったとしても私は見届けなければいけない。
そう思いました。
最終的に無惨を倒しはしたものの、やはり多くの人の命が失われました。
柱も2人しか残らず、五体満足で帰還できた人はほんの一握り。
本当に辛い。
だけど、最終回のこそがきっと鬼殺隊の人たちの願いが結集したものなのだろうと思います。
炭治郎や善逸の子孫だと思われる子達やおそらく冨岡義勇らの生まれ変わりであるとされる人々。みんなが笑って幸せそうでした。
命を落としてでも希望を繋げることが誰かの幸せになる。
鬼滅の刃はこれこそが終着点だったのかなと個人的に解釈しています。
私の長い解釈はここまで。
改めて鬼滅の刃完結おめでとうございます。こんな素敵なお話が読めてとても嬉しいです。まだまだ映画やスピンオフ、楽しみなこといーっぱい!
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