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長男の大学院入学と振り返り


大学の卒業式は仮装で行き、大学院の入学式は自分で買ったブルックスブラザーズのネクタイを締めて
こちらは赤ちゃんの時に妹の結婚式に参列した時や、幼稚園の入園式で兄弟とも襟元に添えた蝶ネクタイ。古くなった夫のネクタイ生地(夫がブルックスブラザーズ好き)で私が作成

今日は長男の大学院の入学式でした🌸

夫も私も行ってないですが、柔道の昇段審査のために実家に帰ってきていて、今朝、鈍行で向かったため、6時40分に家を出て、駅に送りました(スーツ姿を夫も見送ることができました)。
コロナ禍で大学の入学式はなかった学年なので、体験できて良かったと思います。
豊橋は夜中から強い雨で、小降りになりながらも長男を送ったタイミングは激しさが増している時でした(笑)
人生も育児も、お天気に似ているなあ~など思いました。

SNS時代の難しさというか、長男の現況や進路について、長男が自分のインスタグラム等で書く前に私が書いてもいけないと思い(親の側、子の側、両方に共通の友達がいるので)、控えるようになりました。自分の腕の中にいたような幼少期や、一緒に暮らしていた中高生の頃は、長男について私が書くことを自由にさせてくれていたので、ユニークな長男ネタを披露し、長男へのファンの方も多かったけど(次男はまた違うタイプなので、元々あまり書かないようにしてきたけど)、これが成長や親離れ子離れということだと思います。

ただ今日は、節目的に。
育児の講座や長男との親子トークを市の主催でやってきたこともあって、責任や報告も兼ねて・・・
2月の大学院の合格も、私の中で、投稿で知らせるより、個別に知らせたい方をピックアップしたら50人くらいになり、そのうちの30人には伝えたけど、この投稿で知らせる形になる方、すみません!気持ちはあっても、日々忙しく、エネルギーや時間が追いつかなかったです。
昨年度は、長男にとって、辛いことが重なったけど、結果的に、元々の希望であった大学院に行けて良かったです。
他の大学を考えた時もありましたが、同じ大学の会計学の教授の研究室にお世話になります。一年生の頃から目をかけてくれて、学会にも連れて行ってくれたようななじみ深い、ありがたい先生です。

私が「今」書きたいなーと思ったのは、子どもが大きくなり、反抗期も経て、自立したように感じ、その後は育児が楽になるかと思ったら、大学生や社会人になってからも、また違う悩みや問題が生じ、その時こそ、肉親と同時に人生や大人の先輩として、親がまた関わった方が良い場合もある、ということです。これは、過保護とも違い、育児を超えての、いちばん近い、人としての関わりとして、一生続くものでもあるんだろうなあって、自分自身の歩みを振り返っても(自分が産後や育児期や、今でも自分自身の親に時には頼るように)思いました。

子どもが高校や大学になると、親が学校や先生と関わることが減ったり、控えたり、となるのが一般的だけど、私は昨年、長男のことで関わりを持たざるを得ないことができ、ふだんは会えなかったような教授や学部長、学生室の室長さんと直接話したりメールしたりしました。
そのおかげで、関わったどの方も本当に素晴らしい方々で、長男が今の大学にお世話になれて良かったと心から思いました。
*そんなふうに、必要な際は、臆することなく関わると良いよ!という気持ちも込めて。うちは長男の自立心が過剰に強く、干渉を嫌ったため、むしろ全く知らずに過ごしてきたけど、4年生で関われて良かったです。

また、先生方から、長男が大学の講義を、いちばん前で熱心に聞いていたことや(対面授業復活後)、入学直後からオンライン授業が2年も続く悔しい状況の中、長男なりに精一杯の関わりを持ってきたこともわかりました。

私の発信や講演で、長男や次男のことをずっと追ってくださってきた方や、応援してきてくれた方々はご存じですが、長男は、進学校への反発や、料理人への憧れから、商業高校へ進み、自分のバイト代でアメリカに行き(高校からの派遣)、さらに中国にも行き(名古屋の財団の派遣)、それを機に、大学進学へ意識が変化しました。
商業高校から受けられる国公立大学の推薦入試を探して、静岡県立大学の経営情報学部に行きました。

簿記やパソコン、会計や税のことなど、実践的な勉強に3年間触れてから大学に入ったので、学びを実践に結び付ける思考が身についていると感じます。*受験勉強を経て国立大学の工学部に入った次男のたいへんさも見てきたので、どちらがいい悪いという話ではなく、今日は長男中心に書きます。

私自身が中高生の頃から、日本の教育に疑問があり(早稲田には始まって3年目の自己推薦入試を経て入り)、長男の歩みは、彼の個性を尊重しながらだったけど、私にとっても興味深かった。
と同時に、大学に入り、人生で最も学問への関心が高まり、私との感覚的な話よりも、夫(国立工業大学の院卒)とアカデミックな話をすることも増えていきました。

大学なんて行かなくてもいいと私は思っていたし、その論調の方にも賛成だけど、行ったなりの良さも確かにあります。すべてはその子その子に応じて・・・

と、こんなふうに、ここまで来ないとわからないことが多々で(長男・大学院1年、次男・大学2年)、私のこれまでの育児の講座もアップデートが常でしたが、これからの語り方(心持ち)はまた違ってくると思います。

この4月から小学校入学、というおうちも多いので書かせてもらうと、今、幅広い学問への探究心が増している長男も、学校の勉強は好きではなかったし、例えば「さかあがり」はできなかったし、私もできなくていいと思って育ててきました。

長男が自分でさかあがりをひょいとできたのは、高校に入ってからでした。
「さかあがり」は一つの例だけど、学校でがんばった方がいいことと、がんばらなくてもいいことを、親の側で広い視点で見守ってあげられたらいいと思います。

🌟振り返りで、部屋に飾ってある幼少期の兄弟の後ろ姿。

🌟小学校の時の北海道旅行 (3年前の夏に再び家族で出かけ、同じポーズで撮影した)

🌟長男と言えば、という感じの、高校時代、3年間作り続けたお弁当
(ある件のために写真を集めてあったもの)

🌟大学2年の時のバイクでの日本一周・野宿での旅(長男のインスタより)

大学3年の時は、骨髄移植のドナーも務めました。
その辺りも、本人が書かない間は私も書かなかったし、でももちろん、親としての葛藤はあり、私なりに安全性を体験者や看護師の友達に聞いて回りました。

私自身が型にはまらない子に育てたかったこともあるけれど、長男は想像を超えていくことばかりで(次男もやんちゃだけど、日本の教育の軌道に乗っていくタイプではある。そうは言っても本人なりの反発心や反骨精神あっての神戸での大学生活)、同時に忘れ物が多く、成長とともに減っていったけど、私の方がつい先回りして心配してしまうところもあった。

子どもの方は成長を続けているのに、親の方は過去の印象から抜け切れず、長男からも次男からもうっとうしがられたりもするけど、長男については、いよいよ私の方が彼から卒業しなくては、と思うし、今はそうしている。

「信じて見守る」

というのは、わかっていても難しい。
でも、振り返ると、私の親も、客観的にとんでもない私の決断(23歳~25歳くらいの、テレビのADを辞めて、フリーターを経て、東京から島根に移住した頃のこと)を信じて放任してくれた。
(親戚のおばさんや田舎のオッサンの中には早稲田まで出してもらって何をやってるの?と説教する方々もいた中で)
その期間のことが結果的に私の一冊目の小説『チョコレート色のほおずき』に結実した。
結果的に、であり、その当時の私は不安の渦の中にあった。
親も心配したと思う。それでも私のやりたいようにさせてくれた。

親が自分を信頼してくれている、というのは、大きな効力を持つものだ。
恩を感じる、信じてくれている人のことは裏切れない。
たとえ一時期、道を外れるようなことをしたとしても、最終的には戻ってくる。道を外れるというのはいろんな解釈があり、それで言うのなら、私の中学時代の先生への反抗も相当なものだったけど、親は私を叱りつつも信じていてくれた。

子育てを振り返りつつ、私自身の「子離れ宣言」みたいになり(笑)、まとまりないけど、何か感じてもらえたらと思います。

この記事を朝から書き始め、雨が上がり、桜を見に行ってきた。
息子二人ともよく出かけた公園。

嵐で花びらがだいぶ散り、無残にも見えたけれど、逆に、あの嵐でも、しがみついて残っていた花だと思うと、価値が高まった。
移り変わる天候も、太陽の光で変化する色彩も、すべてが「今しかない」光景だった。

3.11を機に名付けたブログのタイトル、「Love the Moment」
これは「一瞬を大切にしよう」「今この瞬間を愛そう」みたいな意味。
移り変わっていく子どもたちや子どもたちとの時間を記録したいと思った。

同じ時は二度とない。
今苦しくても、そのおかげで一層の感動や幸せに出会えることもある。人生をよくできるかは自分次第。とらえ方次第。
その精神に変わりはないので、今後は子どもたちのことも、彼らが自らそう感じていけるように、一歩引き、改めて「信じて見守る」姿勢を大切にしようと思う。









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