樋口毅宏

一に育児。ニに家事。三四がなくて、五に作家。

樋口毅宏

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  • ひぐたけマガジン

    映画、ブック、音楽、グルメなど、樋口のアンテナに引っかかったモノを強烈におすすめしていくマガジンです。

最近の記事

『アクシデント・レポート』selection08

中無幸恵の証言(17500字)  あの事故から十七年――もうそんなになりますか。  そうですよね、小学一年生だった息子が今年社会人一年目ですから。月日が経つのは早いものですね。振り返ってみれば、あっという間でした。  もっとも私がこんな風に言えるようになったのもここ数年のことかもしれません。事故があってから何年かは、毎日が嵐の中にいるようで、息つく暇もなかった。坂道のいちばん下まで転がり落ちたから、あれ以上落ちようがなかったし、すべてが過ぎ去った今になってようやく、あの

    • 『アクシデント・レポート』selection07

      佐塚澄和の証言(8700字) はい、何もかもお話しましょう。少し遠回りになるかもしれませんが、よろしいでしょうか。 昭和四十七年の春に国家公務員採用Ⅱ種試験に合格して、いくつか官庁を訪問した中で東京航空局を選択しました。子供の頃から乗り物が好きでしたし、飛行機に対する憧憬のようなものがありました。 航空局の仕事は多岐に渡りますが、航空運送事業の認可、騒音などの環境対策、パイロットなどの航空従事者の資格証明と養成、それに空港の運営と管理といった航空関連全般と考えて頂ければ

      • 『アクシデント・レポート』selection06

        山島久美子(良知クミ)の証言(26600字)  あの突然の事故により、みなさん、人生が一変されたでしょうが、私ほど目まぐるしく変わった人は他にいないでしょう。あれから十七年が経過したわけですが、思いがけない夢が覚めずにまだ続いているような気がします。  五年前からこちらで暮らしています。むかし映画の海外ロケで訪れたことがあって、まさかそのときは、ここに住むことになるとは考えてもみませんでした。  ゴンドラにはもう乗られました? 優雅な感じがとてもいいでしょう。この季節は

        • 『アクシデント・レポート』(selection05)

          浅木曜子の証言(30500字) 女子大を出て大手の広告代理店で三年ほど働いた後、上海に二年留学、帰国して別の代理店に再就職しました。それほど大きくはない会社だったので、若い女性社員の意見を積極的に取り入れてくれましたし、中国語を話せたおかげで何かと重宝されました。二〇〇二年から七年までの間のことです。 張さんとはその頃出会いました。クライアントのひとりでした。 「こんにちは、張樟柯(チャン・ジャンクー)デス。四川から来ました。わが国のミネラルウォーターを日本で売り込むた

        『アクシデント・レポート』selection08

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          2本
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        記事

          『アクシデント・レポート』(selection04)

          湯本滋の証言(5370字)  はい、どこからお話ししましょうか。事故があった年ですか。その前からですか。  不動産業を営んでました。高校を出て使い走りから叩き上げで勉強して、資格を取って、二十七のときに独立しました。  もともとは東京の生まれですが、親父が転勤族だったので、五歳から三年間、十二歳から二年間は関西だったんです。土地勘とか文化とかわかっていましたから、店で知遇を得た名士にも相談して、大阪の物件も扱うことにしたんです。  七十ぅ、七年か八年だから、景気も良か

          『アクシデント・レポート』(selection04)

          『アクシデント・レポート』(selection03)

          岩崎八千代(58)の証言(12000字) 「まことにお気の毒様でした。生憎ですが、息子さんは教祖様を信じていませんでしたからな」  線香をあげにきた文京区支部長の日野は、どうしてこんなことになったのでしょうと責める私に対して、冷たい眼差しで答えました。  私は背中に、黒い額縁の中に入った三人の視線を感じながら、なおも詰め寄りました。 「岩崎さん、いいかげんにして下さいよ。信仰を深めるいい機会とお思いなさいな」  日野は私の手を払い、渋い表情で黒のネクタイを直すと、斎

          『アクシデント・レポート』(selection03)

          アクシデント・レポート(selection02)

          中村すずの証言(8200字)  そうですか、あれから十七年も経ちましたか。わたしもあの日から同じ分だけ歳を取ったはずですが、時間が止まったように感じられます。こんなことを言ったらあの人に、「ど阿呆。お前だけ婆にならへんつもりか」などと叱られるかもしれませんね。  初めて会ったときは、あの人はとうに有名な方でした。わたしも娘だった時分からテレビなどで存じ上げていました。女嫌いの色好きのお客様がお連れになったのですが、あの人はわたしだけでなく、わたしの友達にも着物や帯を買っ

          アクシデント・レポート(selection02)

          『アクシデント・レポート』(selection01)

          新沼秀夫(41)の証言(16226字)  警視庁公安部公安課に二十五年間、勤務していました。公安(ハム)といえば、古い世代からすると過激派を取り締まるイメージが強いかと思います。しかし私が入ったときにはとうに学生運動は終わっていましたので、古参の連中から折りにふれ当時の武勇伝を聞かされて、酷くうんざりしたものです。やれ安田講堂がバリゲード封鎖される前日に委員会の動きを掴んでいたのは俺だとか、樺美智子に縄目の恥を与えたのは自分だとか、こう言っては失礼だが年寄りほど吹聴していま

          『アクシデント・レポート』(selection01)

          『アクシデント・レポート』/樋口毅宏

          プロローグ(1816字) もともと私は一九九五年にあった大洋航空機事故について書くつもりはなどなかった。しかし私が信用している二、三人の同業者が事故について調べていくうち、病死か事故死したり、あるいは行方不明になったりと相次いだため、俄然興味が沸いた。月並みな言い方になるが、ノンフィクション・ライターとしての血が騒いだわけである。 旧知の関係者から、手を引いた方が賢明ではないかと進言された。まるで口裏を合わせたように、彼らは同じことを口にした。 「事故からおよそ二十年

          『アクシデント・レポート』/樋口毅宏

          復活記念!過激なる〝ビートたけし原理主義者〟水道橋博士の異常な半生(反省)インタビュー

          (初出 昭和50年男 No.014 2022年1月号) ――こうやってちゃんとお話するのは久しぶりです。本日はよろしくお願い致します。もともと博士は岡山にある紙問屋のお坊ちゃまとして生まれて通信簿はオール5。神童扱いだったと聞いています。 博士 子どもの頃、「末は博士か大臣か」って言われていて大人になって「本当に博士になって帰ってきた」って我が家の定番ジョークがあるからね。でも子どもの頃は問題行動がいっぱいあって。車のボンネットの上を飛び歩いたり、コントラバスの弦を切った

          復活記念!過激なる〝ビートたけし原理主義者〟水道橋博士の異常な半生(反省)インタビュー

          生きた 投げた 愛した 江夏豊15000字インタビュー

          20世紀最高の投手 記録にも記憶にも残る名選手  206勝193セーブ シーズン401三振 最優秀防御率1回 最多勝2回 最優秀救援投手5回 セパMVP 江夏豊ーー。後世の人たちはこの大投手の存在を信じられるだろうか。 先発投手として200勝。これだけでも凄まじいのに、もし現在のように7回か8回を抑えたら1ホールド、9回を抑えたら1セーブとカウントしていたら、500ホールドと300セーブまで記録していたのではないか。いったいひとりで何度、名球会に入っていただろう。 本文

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          生きた 投げた 愛した 江夏豊15000字インタビュー

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          たけしがたけしを辞めるとき

          (初出●「昭和40年男」2021年10月号) 今から2500字、「たけし」と呼び捨てにすることを読者貴兄にご寛恕頂きたい。 ビートたけし。お笑いの社会的地位を向上させ、テレビ史だけでなく世界の映画史にも名を残す、現在進行形の偉人。昭和、平成、令和と3つの元号に跨って、時の総理大臣より偉い地位に就き続けるこの男について、いったいどこから語ればいいのか。 まず、漫才ブームがあった。「オレたちひょうきん族」があった。これだけで多くの人は朝まで語れるだろう。しかしフジテレビ全盛

          たけしがたけしを辞めるとき

          「川原さん、大瀧詠一ってどんな人でしたか?」川原伸司(平井夏美)、すべてを語る

          川原伸司……1950年10月11日、東京生まれ。日大芸術学部を卒業後、ビクターに入社。ピンク・レディー、杉真理、松本伊代、The Good-Byeらの現場を経験しつつ、作曲活動も行い、井上陽水、筒美京平、大滝詠一、松本隆らとの交流を持つ。また、プロデューサーとして大滝詠一、中森明菜、TOKIO、ダウンタウンらを手がけ、松田聖子、森進一らの楽曲や音源制作にも携わる。 以上は、昨年上梓された川原伸司さんの御著書、『ジョージ・マーティンになりたくて プロデューサー川原伸司、素顔の

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          「川原さん、大瀧詠一ってどんな人でしたか?」川原伸司(平井夏美)、すべてを語る

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          「僕は長州力のことを、ちっとも恨んでなんかないですよおおお!」ターザン山本ロングインタビュー 放蕩息子の遺言

          すでにご存知の方もいると思いますが、『昭和40年男』『昭和50年男』といった雑誌を発行していた株式会社クレタパブリッシングが倒産しました。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000126.000074237.html 株式会社ヘリテージに事業が譲り渡されたため、『昭和40年男』『昭和50年男』はその後も発行を続けています。それは良かった。 しかし同誌で「樋口毅宏のGod Only Knows」というインタビューページを担当していた

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          「僕は長州力のことを、ちっとも恨んでなんかないですよおおお!」ターザン山本ロングインタビュー 放蕩息子の遺言

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          『君たちはなぜ、怒らないのか 父・大島渚と50の言葉』(大島武・大島新著)評

          編集部から本書の書評依頼を頂いたとき、引き受けようか迷った。 映画評論家の四方田犬彦氏のゼミに聴講生として通っていたこともあり、大島渚の代表作はだいたい観ていたものの、「頭の悪い自分は、難解な彼の作品の良き理解者ではない」と思っていた。しかし本書を読み進めていくうち、そんなことは大した問題ではないとわかった。 「父親との交流や会話がほとんどなかった父は、自分の息子たちとどう接したら良いのか、考えあぐねていたのだろう。(中略)怒られることもほとんどないのだが、子ども心には

          『君たちはなぜ、怒らないのか 父・大島渚と50の言葉』(大島武・大島新著)評

          神のような孤独な魂ーー石原慎太郎『やや暴力的に』評

          僕は以前ツイッターで、「石原慎太郎は政治家としても人間としても最低最悪だが、作家としては神。もしくはそれ以上。」と書いて顰蹙を買ったことがある。後悔はないし、その考えが揺らいだことはない。 どれだけ慎太郎の影響を受けてきたかわからない。拙著『ルック・バック・イン・アンガー』の文体は『太陽の季節』『灰色の教室』からだし、『民宿雪国』に出てくる海の風景は『風についての記憶』から大いにパクらせてもらった。それ以外の著作の巻末にも何度なとなく謝辞を揚げてきた。 どうしてここまで心

          神のような孤独な魂ーー石原慎太郎『やや暴力的に』評