復活記念!過激なる〝ビートたけし原理主義者〟水道橋博士の異常な半生(反省)インタビュー

(初出 昭和50年男 No.014 2022年1月号)


――こうやってちゃんとお話するのは久しぶりです。本日はよろしくお願い致します。もともと博士は岡山にある紙問屋のお坊ちゃまとして生まれて通信簿はオール5。神童扱いだったと聞いています。

博士 子どもの頃、「末は博士か大臣か」って言われていて大人になって「本当に博士になって帰ってきた」って我が家の定番ジョークがあるからね。でも子どもの頃は問題行動がいっぱいあって。車のボンネットの上を飛び歩いたり、コントラバスの弦を切ったり、親は俺の破壊しそうなものを保険に入れていましたからね。小4のときに恩師と呼べる担任教師と出会って、頭をつかまれて黒板にバーンと叩き付けられて鼻血が出たり、窓から吊されたりと、いま考えると完全に暴力的な指導なんですけど。うちの親は「親が叱れないことをよくぞやって下さいました」と先生の自宅まで行って感謝の気持ちを伝えてね。そこからいい子になっていった。

――今で言う体罰が効いた。たけし軍団に入るまでの下地が早くもできましたね。

博士 あと、異常なぐらいの正義感だった。『セルピコ』を観て身を震わせるほど感動して、その日の日記に書いた。「卑怯なことをしてはいけない」とか。

――三つ子の魂百までですねえ。学校の成績も良くて岡山大学教育学部付属中学校に進学。甲本ヒロトと中川智正(オウム真理教・麻原彰晃の主治医)が同級生。早くも「人生に予告編あり」です。

博士 一週間前に初めて上祐史浩と会って対談した。オウムが出てきたときはネタにしていたけど、中川智正を直接オウムに勧誘したことをずっと許せなかった。サリン事件には直接関与していないけど、「道義的な責任はある」と思っていたし。でも上祐の本をたくさん読んで、彼なりに苦しさと罪を引き受けて「それでも生きていかなければならない」という気持ちはわかった。一番驚いたのは同じ高校(早大学院)の同級生なのに、上祐が町山智浩を知らないことだったよ。町山さんに訊いたら、「マンモス校だからそういうことはよくあるよ」って。

――博士、町山さん、上祐史浩。おそるべき同級生ですね。

博士 とにかく上祐氏は町山智浩を知る機会がいくらでも会ったのに、サブカルをまるで知らないんだ。俺なんかはサブカルがいい意味でも悪い意味でも非常にいい人生のワクチンになっている。人生の予防接種。この世の中のことをすべて経験はできないじゃん? 自分も映画を観ないで勉強ばかりしていたら同じ道を辿っていたかもしれない。映画を娯楽やデートではなくひとりぼっちで、世界中の歴史や違う場所で自分の代わりに主人公が災厄を担って闘っているのを観て人生の勉強をする。自分も中川智正みたいに宗教に行ったかもしれないのに、同じカルトでもビートたけし教に行ったからさ。

――(爆笑)

博士 こちらの尊師は死刑にならずに、フライデー襲撃事件で終わってよかった。上祐氏も「たけしさんでよかったですよ」って。同じようにホーリーネームを付けられてさ。「修行するぞ!」ってあっちが水中クンバカやってるときに、こっちは熱湯風呂入ったり、人間サイコロに入って雪山から転がされたり、人体実験の数々。オウムとたけし軍団、やってることはほぼ変わらない。

――人生の分かれ道でしたね。たけしさんに憧れて上京、たけしさんが明治大学だから自分も明大を受けて合格も、通ったのはたったの4日。オールナイトニッポンの放送終わりの出待ちをして、弟子入り志願するまでに何年かかったんでしたっけ? 

博士 上京した19歳から数えると4年。

――4年! そこからたけし軍団に潜り込むことに成功するも、すぐに浅草フランス座での修行を希望しますよね。

博士 弟子入り志願の頃から玉袋と話していたし、中原弓彦の『日本の喜劇人』を読んでいたから、「ストーリーとしてのビートたけし」をなぞりたいわけですよ。ストリップの幕間にコントをやる憧憬があったから。たけしさんも『日本の喜劇人』を読んだから明大を中退してフランス座に行ったらしい。

――世間がバブルを謳歌していた時代に、博士と玉さんは1日16時間労働で日給千円。

博士 よく生き残ったね。でもあれは貧乏志願だったわけだから。後にノンフィクションの関川夏央さんが俺たちのことを「平成の蟹工船」と呼んでくれた。

――小林多喜二! そしてあのフライデー襲撃事件の後、博士は軍団のボウヤとしてダンカンさんの付き人兼作家見習い。1日の睡眠時間が毎日1~2時間。「寝ない!食わない!死なない!」のスローガンを壁に貼っていたという。ダンカンさんといえばお子さんに「甲子園」って名前を付けるほどの熱狂的な阪神ファンですよね。「タイガースに不利なプレイがあったら博士を殴る」というルールがあったと聞いています。

博士 1987年の神宮球場のヤクルト阪神戦をネット裏のいちばん高い席で観て。あの人スコアブック付けるから、阪神のピッチャーがボールを投げるたびに殴られる(笑)。阪神の応援団の人もハラハラしてるの。それで7回かな、ヤクルトの若松が逆転ホームランを打った瞬間、ダンカンさんに蹴飛ばされて階段を転がり落ちた。「もう勘弁して下さい」って阪神ファン引退を申し出たら「二度と応援するな」ってなった。

――そういえば博士って野球について語ったことないなと思っていたら、そんなトラウマがあったのですね……。他にも軍団の兄さんたちから毎日鉄拳制裁で。

博士 たけし軍団ってパワハラとセクハラを中心とした芸能だからさ。80年代に燃え尽きてその後は絶滅してるよ。昨日も枝豆さんと対談したけど、枝豆さんがゴールデンタイムで「殺すぞ」って言ってから仕事が殺到しだしてるって。どんな流れなんだよ!

――「水曜日のダウンタウン」ですね。「俺のことはいい。でもたけしさんを呼び捨てにするな!」で男気を見せました。

博士 枝豆社長ブレイクなんだけど、その後鬼越トマホークとライブをやってるのね。鬼越トマホークは猛獣使いで、枝豆さんという猛獣を過剰に怖がる芸として成立させているけど、俺はカージナルスがどれほどデンジャラスな生き方をしてきたか知っているからさ。タカさんは旅芸人の息子でサーカスの虎の檻の中で育ってたり、枝豆さんは元右翼の前科二犯だから。

――だからこそフライデー襲撃事件でたけしさんは枝豆さんに声をかけなかったと言われていますね。危険すぎて。

博士 当時は携帯電話がなかったから捕まらなかったとも言われているし、本当のところはわからない。枝豆さんが大塚署に単身殴り込もうとしていたのは事実だけど、「そのとき枝豆さんがどんな武器を持っていこうとしていたか」が都市伝説にあって、「裸にマシンガンと手榴弾」ってそれってランボーだろ! 枝豆さんに直接訊いたら、「いや違うね。光るものだ」って(笑)。

――つくづく思います。たけし軍団はあらゆる意味でエリート集団です。

博士 たけし軍団って昭和の更生施設だし、カルトだし、特筆したいのはその中でいちばん暴れていちばん喧嘩が強いのはたけしさんだからね。何回も目撃したけど本当に強かったよ。『仁義なき戦い』の金子信夫のような感じでたけしさんを見る人もいるじゃない? そんなことまったくないよ。北野屋でも何回もあったけど、チンピラが汚い言葉で挑発してきたらいちばん行く行く。

――思い出しますねえ、PRIDE全盛期に博士がたけしさんにヒョードルの試合を見せたら、「ああ、俺はこういうタイプに弱えんだ」って。「人類60億分の1」を喧嘩相手として見る芸人は世界でたけしさんだけですよ。

博士 あと同い年だからシルベスター・スタローンとシミュレーションして勝ってるところがおかしい(笑)。度胸が強いよね。「俺は小心だかさ。ずるいんだよ」ってよく言うけど、闘争心みたいなところで言うと、王様になる過程だって欽ちゃんを完全否定してさ。首を狩って天下を取る現代の戦国武将は、たけしさんが最後じゃない? 

――大きな事務所に所属するでもなく。

博士 当時の芸能の論理で言うと、村田英雄さんとかをラジオでいじったじゃない。その頃、その筋の人にさらわれたりしてるんだよ(中略)。でも時代と共に序列が変わっていくじゃない? 歌よりもお笑いのほうが勝っていくじゃない? そういうときに既得権益があるほうは潰しに来るし、力尽くで跳ね返したのがたけしさん。

高尾山に誘って頂いたときのもの

――「600万円事件」(打ち上げの席でキリングセンス・ハギ(萩原正人)と、当時は芸人で後に爆笑問題の座付き作家となるHが酔客と口論になり、博士が真っ先に手を出したため事件化。森社長と奈良まで示談に赴くが600万円の示談金で決着。たけしさんが立て替えて、博士はその後完遂。「水道橋博士LIFE年表より」)についてもお訊きしたいのですが。

博士 俺もあの頃は軍団にボッコボコにされているし、俺自身ダンカンさんの警護として喧嘩デビューを飾って、一歩でも引いたら死ぬんだと思っていたから。喧嘩の匂いを感じたら、いの一番に飛び込んでいた、一番槍でね。あっちこっちで喧嘩して、最終的に「600万円事件」に行き着く。殿にはめちゃくちゃ叱られたけどね。

――なるほどなあ。いまの優しい博士からすると想像がつかないけど、当時はそういう流れがあったのですね。その頃ですか? 放送作家として食えるようになっていたけど、高田文夫先生に気に入られて、漫才で徐々に頭角を現していくのは。

博士 そうだね。高田先生に畑を耕かしてもらって、安田生命ホームがいっぱいになるところで春風亭昇太と異種格闘技戦をやって。当時の漫才師としては強かったと思うよ。

――キッドはガチの強さがあるんですよ。むかし花くまゆうさくさんがキッドを高坂剛になぞらえて、「リングスもたけし軍団も、後輩にあんな強い奴が出てきて困っちゃうだろうな」ってことを書いていたのを思い出します。
一方、博士はそれほどの実力がありながら、レーシック黎明期に複数回手術、ラジオで公開包茎手術、ガンバルマンで椎間板ヘルニア、爆笑問題のオールナイトニッポンに乱入と、事件多すぎ。すべてが過剰。なんでこんなムチャなことばかりしてきたのでしょう?

博士 ルックスがいいわけじゃないし、ツービートの過激な部分を継承したかったし、「テレビではできない漫才をやる!」と宣言していたし、行動そのものも竹中労を目指していたと思うよ。東スポの一面を取ることを目標にしていたしさ。

――僕からすると博士は、「自分は芸人に向いてない」という自覚が実は誰よりもあったからこそ、「芸人らしくあろう」と実践主義を貫いてきたではないかと思います。

博士 それはあるだろうね。フランス座で血を入れ替えてからは、芸人に洗脳されているから、一歩でも自分が日和ったら、ここは退こうと思ったら、この世界では死ぬんだと思っていたから。

――でも本道の漫才でザ・テレビ演芸10周勝ち抜きチャンピオン。当時無名の宮藤官九郎が嫉妬したという。そして僕もそうですが世に出てきた感があるのはオールナイトニッポン2部、土曜日に移動してから「ちんちん電車!」、「奇跡を呼ぶラジオ」。伝説の番組「浅草橋ヤング洋品店」など。本当に面白かったですねえ。

博士 「いわんのバカクイズ」なんて総計200万部売れているからね。でもあれ3%契約だから。玉袋と1.5ずつ。番組本だったということと印税の契約を知らなかったし、色んなところが中抜きしたんだと思うけど。でも「いわんのバカクイズ」が嫌で、当時のマネージャーに土下座して「やめさせて下さい。こんなことをするために芸能人になったんじゃないんです」って。当時は「夜もヒットパレード」みたいな番組が大嫌いだった。「メシを食うロケ、温泉に入るロケは一生やらない!」って宣言していた。ダウンタウンみたいな本当に凄い人とも共演しないって。40まで断っていた。

――96年には運転免許証偽造事件があります。「いいとも!」でバカウケしたものの放送から2週間後の早朝、自宅でヘルス嬢と寝ていたところを刑事がガサ入れ。連日長時間の取り調べ。挙げ句謹慎処分に。

博士 赤瀬川原平の「千円札裁判」みたいな、社会彫刻的な事件を起こしてみたかった。それに自分の中では「獄中記」を書きたいって気持ちがあって。百瀬博教さんと出会っていたから「刑務所に入りたい」願望がすごくあったんですよ。獄に入って本を書き、ベストセラーを出す。だから捕まっても「やったー! 新聞に出るよ」ってバンザイしてた。誰も被害者がいないわけだし。でも警察は「模倣犯が出るから報道しないように」とマスコミに手を回していた。東スポの一面に出たのは判決が出て書類送検が決まってから。めっちゃ悔しかったね。

――早すぎた佐藤優! 

博士 というかもっとトリックスターな。サシャ・バロン・コーエンみたいなね。これは概念的には一生理解されないだろうけど。

――そこからの巻き返しがまた凄かった。ところで博士って強迫観念とも言えるマメさ、異常な凝り性、強烈な個性を持つ人間への面白がり方、嫉妬を超えて誰にでも平等に接するところなど、つくづく特異な性分だと思います。でも長年キッドを見てきた僕からすると、2003年に長兄のたけしくんが生まれてから変わったなと。

博士 子どもが生まれてから自死願望が無くなったのは大きいね。とりあえず自殺はしなくてもいいって。あと子どもを得て、自分がまともだと気付くよね。人間の通過儀礼だと思う。むかしから日記でも恨み辛みを書かないし。一方で家庭があろうと人生を持ち崩す人もいるし、それはそれで尊重するよ。三又又三のダメ人間ぶりに惹かれるときもあるし(苦笑)。僕の芸人観には「悪人正機説」があるんだよ。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや、悪人おや」っていう。

――「キンタマが引っ張りだこ」「睾丸無恥」!(詳しくは『藝人春秋2』で)

博士 あいつのろくでもなさってすごいわ。社会人としては失格だけど。いまも「ハメ撮りダービー」っていうのをやってて……。

――激しく失格ですね。で、個人的な話ですが、僕はまだお会いしたことがなかったのに、2010年にTBSラジオ「キラキラ」でデビュー作の『さらば雑司ヶ谷』を取り上げて頂きました。小島慶子さんに一節を読んでもらったときは人生のハイライトを感じたものです。その後も『民宿雪国』や『タモリ論』など、著作やメディアで何度も売り込んで頂いて、感謝してもしきれません。

博士 人生のハイライトって1回しかないのかと思っていたら何回かあるよね。俺も小泉今日子にハッピーバースデーを歌ってもらったりさ。こんなの59歳まで生きていたからあるんだなって思うし。そもそもたけしさんに入門を許された時点で俺の夢は叶っているから。あとは余生。「これ以上いいことはない」と思っていながらもやっぱりハイライトはある。中島らもが書いていたり、フラカンが『深夜高速』で歌ったりするように。

――その辺、高田延彦を想起しますね。高田さんもアントニオ猪木率いる新日本プロレスに入ることが夢だった。その時点で夢が叶っている。若手時代に血のションベンを垂れ流したり、新日を飛び出したり、前田日明と袂を断ったり、プロレス界の頂点に立つもヒクソンに負けて「A級戦犯」の烙印を押される。でも何度でも立ち上がる。

博士 そう。ゲームで言ったら毎回リセットするの。人生は大槻ケンヂ言うところの「世界は、遊びとは言えない殺し合いのキャッチボール」が続く。

――栄光と挫折の繰り返し。その極め付けが2013年6月の「たかじんNOマネー降板事件」。「小遣い稼ぎのコメンテーター」と揶揄した橋下徹に対して前代未聞、生放送で番組降板を宣言。お子さんが生まれて人間が変わったかと思いきや、そこは「ビートたけし原理主義者」の性なのか。

博士 あの頃、金曜前乗りで、名古屋、大阪と仕事があって、土日が全部潰れて子どもと遊べない。それならいっそ辞めてしまえばいいって気持ちもあった。

――はああ。そして2017年11月、『藝人春秋2』でジャーナリズム魂が炸裂。橋下徹の大阪府知事就任と維新の会ブームの裏には、やしきたかじんの冠番組、「ニュース女子」「虎ノ門ニュース」などの製作会社ボーイズのプロデューサーA氏が黒幕であることを暴露、糾弾します。橋下徹をペンで真っ向から批判した。しかし、報われたとは……。

博士 言い難い。でもね、文庫の解説で町山智浩さんが名解説を書いてくれました。同い年なんだけど先生だよね。自分がお笑いの蛸壺の中にいたとき、「コラムの花道」で映画の見方を教えてくれて、人生の視野も広がるよね。だから町山さんが些末なことで叩かれたりすると胸が痛む。

――町山さんは博士の盟友ですね。博士は常に勉強を怠らないから町山さんと丁々発止のやりとりができる。そんなのは博士だけですね。高田文夫先生が博士に「おまえ楽屋で誰と話してんだよ!」って言ったのを思い出します。

博士 『藝人春秋Diary』でも高田先生のことを書いたけどさ、本の虚しさってたとえ100万部売れたところで日本の人口比率で99%は読んでないわけだから。テレビタレントとしてはそういう気持ちがあるよね。大衆に伝わる方法はテレビのほうが「正しい」わけだから。

――僭越ながら作家の端くれとして言わせて頂きますが、かつてどれほど売れた作家でも時代が過ぎれば忘れ去られることを痛感します。人はよく「本は残る」と言うけれど、僕に言わせれば「本は残る。されどページは開かれない」。

博士 いいね! 虚しい思いを抱えながら作家は死んでいくものかもしれない。だけど俺は今回、『藝人春秋Diary』で古川緑波を引いた。そうして文を結ぶ人間関係はできるじゃない?「本は残る。活字は繋がる」って俺は書いた。

――僕は懐疑派ですねえ。

博士 こないだ徳光和夫さんにインタビューするため、資料を大宅文庫から取り寄せてすべてに目を通していたんだけど、ジャイアント馬場さんがいちばん好きだったのが源氏鶏太だったんだって。あれほどの読書家が「社長シリーズ」の原作者を好きだったなんて。それで自分も源氏鶏太を読もうって気になるしね(この後徳光さんのプロレス裏エピソードで脱線)。

――面白すぎる! 続いて2018年です。幻冬舎社長見城徹に『殉愛』の責任を問う→見城「リングで勝負しろ」→博士受ける→見城、部下の箕輪厚介にやらせる。年齢差と体重差があるため歯を叩き折られてKO負け。アップダウンの激しい博士ですが、この後の鬱期間は長かった。ツイッターもブログもお休み。復帰したものの「バラ色ダンディ」を降板させられて地上波レギュラーが消滅……。

博士 MXを下ろされたのはDHC批判ですよ。だってDHCってMXの広告を高比率出稿していたんだもん。CMを戻したいよ。そりゃあ。俺はコーナーの台本まで書いてるけど、大川プロデューサーは「すいません。営業からマーターなんで」。現場が使いたくても、高須クリニックとDHCの批判を俺はやめてないから地上波には出られない。でもやっぱり恨みはない。箕輪ともその後会ったし、見城さんともいつでも会える。

――長期鬱は、たけしさんとのこともありましたか。

博士 基本はないんだけど……それまで毎日会っていたし、とにかく無私の精神で最前線の矢面に立ち、たけしさんの名誉のためなら俺ができることは全部やってきた。あの頃の言動で後ろ指をさされるようなことは一切ないって言い切れる。

――博士はたけしさんの懐刀でした。あれ本当ですか。たけしさんが宮崎駿と対談する予定だったのに、「殿がトトロっていいねえ」って言ったら殿じゃないですよ!って話したら、「そうか、じゃああしたやめよう」って夢の対談を潰したエピソード。

博士 それはたけしさんが英雄なんだよ。

――『CUT』ですよね。渋谷陽一は恨んでますよ! それにしてもたけしさんと軍団による年末年始の特番は、たけし軍団が東京最強の芸人集団であることを証明するものだったのに、見られなくなって残念です。あと、このページに玉さんが出て頂いたときにもお訊きしたのですが、浅草キッドの漫才を再び観られる日は来るのでしょうか。

博士 今は、相棒と事務所も違うじゃない。別居したけど籍は抜いてないし、セックスもしてない感じ。

――さすがうまいこと言いますねー。

博士 熟年になって、だんだんセックスがしにくい状況になってる。漫才に関しては完璧主義だったのが良くなかったと思っている。てにをはを含めてさ、めちゃくちゃ細かくやるわけじゃない? セリフが長くなるとボケも長くなるのよ。本番前に赤江くんが覚えてないと俺も怒るしさ。赤江くんはひとりでも番組でもできるわけだから漫才をやる動機もなくなるよ。ただね、僕は本番前は細かいけど終わってからダメ出しをしたことはないの。漫才師ってそれが嫌になるじゃない。でも、基本的に絶対値で面白い人なんだからさ。コンビで「水道橋博士が頭脳」ってイメージも本人からしたら不本意だったと思うよ。だって地頭もイイし、ひとりでラジオやっても文章だって面白いんだから。

――博士も精力的な活動で嬉しいです。「アサヤン」「ザ・テレテレビジョン」「異常な対談」など、配信の番組がどれも博士にしかできないことをやられています。
でもね博士、どうか怒らないで聞いて下さいね。僕は悔しいんです! 博士ほど「義を見て為さざるは勇なきなり」の芸人はいない。子どもの頃憧れた『セルピコ』にはなれた。だけどテレビに出られない。浅草キッドの漫才も見られない。僕だって人のことは言えない。あんなに博士が推してくれたのに売れそびれて今は家事育児優先のライターもどき。あえてお訊きします。博士、僕たち終わっちゃったんでしょうか? 

博士 「まだ始まってもいねぇよ!」って言わせたいんでしょ。じゃあ「お楽しみはこれからだ!」って言っとくよ。お互いにね。


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