見出し画像

『君たちはなぜ、怒らないのか 父・大島渚と50の言葉』(大島武・大島新著)評



編集部から本書の書評依頼を頂いたとき、引き受けようか迷った。

映画評論家の四方田犬彦氏のゼミに聴講生として通っていたこともあり、大島渚の代表作はだいたい観ていたものの、「頭の悪い自分は、難解な彼の作品の良き理解者ではない」と思っていた。しかし本書を読み進めていくうち、そんなことは大した問題ではないとわかった。
 
「父親との交流や会話がほとんどなかった父は、自分の息子たちとどう接したら良いのか、考えあぐねていたのだろう。(中略)怒られることもほとんどないのだが、子ども心には、怖いというより、父がそばにいるだけで緊張してしまい「いなければいいのに
……」と思ったこともある。いま思えば、父は息子たちに対して、大きな愛情を注いでいたと感じる。ただ、どうにもこうにも、不器用だった」
(一六一ページより)
 
大島渚の名言もさることながら、この箇所にグッときた。もちろん私の父は世界的映画監督ではなく、雑司ヶ谷の肉屋で一生を終えた市井の人だが、図々しくも著者の大島兄弟と大島渚、私と父親の関係を重ねてしまった。 

終盤、ドキュメンタリーの演出家である弟の新氏は、三十歳を過ぎてようやく大島渚を一人の男として見ることができるようになったと告白している。私も父親を受け入れることができたのはここ数年だ。作家になれたことで自分に自信がつき、無念に終わった父の人生の仇を取れたという思いからだろう。
 
残念ながらこの欄の文字数では、「子育てに関しては過保護にすべし」としていた大島渚の愛情溢れるエピソードを詳しく紹介できないが、二浪が決まった新氏への優しい言葉には、特に胸が詰まった。あんなこと言えないよ、普通。
 
本書はアフォリズムと慈愛に満ちた金言集であり、息子たちによる最愛の父親への感謝状だ。こみ上げてこないわけがない。

初出:「週刊文春」2014年7月24日号

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?