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信長 外交の、あうんの呼吸

 織田信長の外交の基本方針は、
 遠交近攻策である。遠くの国と、よしみを通じ、隣国を攻める。
 美濃攻めの時、信長は武田信玄・上杉謙信と親交を結ぶ。武田とは、やがて決別することになるが、その間は上杉との 
交流を深めて、武田を牽制させた。
 上杉と敵対関係になると、伊達などの奥羽はの諸大名に働きかける!。
 ほぼ、同時に毛利氏も敵に囘るが
そちらには、九州の大友氏と結んで
 牽制役とした。
 信長の遠交近攻策は、次第にスケールが大きくなって、最後は、日本全国を股にかけるようになった。
 外交術は、自分が弱小のときには、
思い切り下手にでている。強大化すると
打って変わって尊大になっている。
 永禄年間、武田信玄と上杉謙信と同時期に交流したという外交力は、素晴らしいと、信長研究第1人者、谷口克広さんは、言っている。この成功は、思い切り下手に出て、相手を尊重するところにある。
 信長はいつでも、尊大のような印象を受けるが、相手の実力を正確に分析し、
外交姿勢を変える柔軟さがあった。
 信玄も謙信もその信長の外交姿勢
に騙され?信長の権力、強大化を許した。
 信長は、外交とアウンの呼吸を
身につけていた。

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