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男の中の男 石田三成

 石田三成は、男の中の男である。

 三成は、豊臣政権下での経済官僚として、非常に優秀であった。
 その三成が計画し、絵を描いたのは、
関ヶ原の戦いである。
 
 豊臣秀吉がなくなり、徳川家康の専横が日に日に大きくなり、家康を排除せねば、ならないと考えたのが、関ヶ原の戦いである。
 三成と上杉景勝の配下、直江兼続が絵に描いたのは、会津の上杉が、家康を引き付け、家康不在中に三成が挙兵し、
東西で挟み打ちに、してしまおうというもの。
 徳川家康は、この計画は、百も承知で、これを利用して、一気に天下を取ってしまおうという魂胆。
 実力から判断すれば、三成は20万石、
かたや、家康は200万石はゆうにこえていたであろう。
 戦前の日本がアメリカに戦争を仕掛けたくらいの実力さだ。
 
 三成は、自分の天下などを望んでおらず、豊臣のため、家康の専横が許せない、正義の義で動いていた。
 反対の家康は、利で動いていた。自分の天下取りのためである。
 人は義よりも利で動くもの。三成は、
そこがわかっておらず、家康は、十二分に、分かっていた。
 でも、人の世というものは、面白いもので、三成は、善戦した。
 関ヶ原の戦いは、三成率いる西軍が押していた。あと一歩というところで
小早川秀秋という武将の裏切りにより、
敗退した。

 三成が、斬首される刑場に向かう途中、休憩があった。そこで、柿が、出された。
 三成は、柿に当たって、命を落とすかも知れないから といって、食べなかった。そのことに、番人はすぐ死ぬ奴がと
たわけた事をいうわと笑ったが、
 そこに、石田三成のすごみをみる。
人生、何が起こるかわからない。
決して、家康打倒を最後まで、諦めない
という人物。

 これが男の中の男 石田三成 である。


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