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四千万歩の男 伊能忠敬

 今日は、戦国武将ではなく、この人の
講演を聴いたので、初めて精密な日本地図を作った、伊能忠敬。

 江戸時代後期から幕末にかけて、17歳から50歳まで、商人として、奮闘した忠敬。
 養子として入った伊能家は、米穀、酒造、薪炭、水運、金融などを営んでいた。
 忠敬が、入婿した時は、家業は、若干、停滞していた。忠敬は、家業に精を出し、商才も発揮して家産を増やした。
 忠敬が、49歳で隠居したときには、約3万両の資産があったといわれている。

 隠居になったとき、2回りも年若の高橋至時(よしとき)に、弟子入りして、
測量、天体観測を学ぶことを始めた。

 人生50年と言われていた江戸時代。
その50歳から始めた測量。
 50歳の自分も重ねて忠敬をみてしまう。
 今からだって、何だってできる!

 そう思う自分がいる。

 ちなみに、忠敬が測量を始めた直接の理由は、「いったい地球の直径はどのくらいなのか」という疑問だった。

 それが、歩いて測量して、日本で初めて精密な日本地図を作った男になった。

 一歩一歩である。




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