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秀逸!北条早雲!

 大名権力は、民衆から選ばれた存在だった。
 大名は、民衆の安全を守るつとめも
負わなければならなかった。
 つまり、危機管理能力が求められていた。民衆は、自分たちの安全を守って
くれる者を領主として、安全保障の
対価という意味をもたせて、年貢や
 諸役を払うという側面があった。
単なる支配・非支配の関係ではなく、
一種の契約が成り立っていた。

 北条早雲が駿河から伊豆に攻め入ったとき、伊豆一帯には、「風病」が蔓延していたという。
 「風病」は流行性感冒のようなものであった。
 病人が大勢いるのを見た、早雲は、
すぐさま駿府から薬を取り寄せ、病人に飲ませたという。そればかりではなく、年貢軽減にも取り組んでいた。

 それまでの五公五民の年貢率を
 四公六民に改めているのである。

 のちの北条領国における年貢率は、
確かな史料によって、四公六民であったことが、確かめられるので、
 北条早雲による医療福祉政策、
年貢軽減策は、事実だったと思われる。

 こうした、人心収攬により、北条早雲
による伊豆一国支配は、軌道にのっていった。
 後北条氏、初代の北条早雲の政策によって、その後の北条氏の繁栄に繋がるのである。 

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