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ロックの神様に会った日~坂本慎太郎LIVE 2023at日比谷公園野外音楽堂~

 茹だる様な暑さに見舞われた6月25日、東京に到着したのは正午過ぎのこと。この日の目的は他でもない、崇拝する坂本慎太郎のワンマンライブを見に行くことだ。
 ゆらゆら帝国の解散後初となる野音でのワンマン。約14年ぶり。3年前に彼の音楽を知ったばかりの僕にとっては願ってもない奇跡だ。

 初めての一人旅、4年ぶりの東京、初めての野音、半年ぶりの坂本慎太郎。心躍る要素が盛りだくさんだ。
 開演まで随分と時間があったので、ずっと憧れていた下北沢を訪れたのだが、心は別の場所に引っ張られているような気がして落ち着かない。ライブをできる限り新鮮な気持ちで楽しみたくて、1週間ほど坂本慎太郎の音楽を耳に入れずに過ごしたことも要因のひとつだろうか。

 終演から約1ヵ月。あのステージを前にした僕が身を浸した感動は、社会人の端くれとしてあくせくと働く日々の中で気づかぬうちに失われてしまうにはあまりにも惜しい。
 そこで拙筆ながら、坂本慎太郎のワンマンライブを振り返ろうと思う。

セットリスト

  1. できれば愛を

  2. おぼろげナイトクラブ

  3. 思い出が消えていく

  4. めちゃくちゃ悪い男

  5. 鬼退治

  6. べつの星

  7. 義務のように

  8. 仮面をはずさないで

  9. 小舟

  10. 浮き草

  11. 物語のように

  12. 君はそう決めた

  13. ディスコって

  14. ナマで踊ろう

  15. 幻とのつきあい方

  16. 動物らしく


開演前

 15時半頃に国会議事堂近辺のアパホテルにチェックインすると、大方の荷物を部屋に放り出し、徒歩で日比谷公園に向かう。これは田舎者の悪い癖で、数キロほどの距離であれば歩けるだろうと高を括り、安易に電車を利用しないことを美徳とするのだ。
 結果、噴水が見えてきた頃には汗だくだった。しかし、物販の為ならばこの程度の苦労は厭わないのがファンというものだ。

 Tシャツの先行販売は16時からだったのだが、10分前に着けば十分だろうと暢気に構えていたのがいけなかった。到着した時点で数百人は並んでいたと思う。迂闊だった。などと言って呆然とする暇もなく、長蛇の列に加わる。
 老若男女という四字熟語に相応しい顔ぶれが並び、過去に販売されたTシャツを着ている人もちらほら見られる。なかでも目を引いたのは、読書をしながら並んでいる人の多さだ。空き時間ができるとすかさずスマホに手を伸ばす人たちに辟易としていた僕にとって、彼らの時間の使い方は魅力的に映ったし、そんな人たちと同じ音楽を愛し、同じ目的を携えてここに集ったことに背伸びしたくなるような気分だった。
 かく言う僕は、リュックに忍ばせていた文庫本をホテルに置き忘れてしまい、スマホを撫でまわすことは己の信念を否定することになりかねないことから、不慣れな観光客のように周囲を見回すしか術がなかった。時折聞こえてくる音漏れだけが上質な退屈凌ぎだった。

 1時間ほど並んだが、先行販売分のTシャツは僕が販売ブースに到達する前に完売。結局、一般販売で余っていた白色を購入した。(初めから白狙いだったので大満足だ)
 ブースの傍にはタワーレコードのポスターが貼られている。「音楽で爆笑したい」という坂本さんの言葉はたしかにカッコイイと思うけれど、心揺さぶられる音を追求し続ける姿勢に感激しているのか、坂本さんの口から出た言葉であれば何でも賞賛してしまう浅ましいファンなのか、僕はどちらなのだろう。

 時間は少し飛んで18時。遂に野音へと足を踏み入れた。想像の倍は広かったし、想像の4倍は開放感があった。感嘆と戸惑い。僕は野音はおろか、野外でのライブを一切経験せずに24年生きてきたのだが、いよいよ開演というこのタイミングで一抹の不安が頭を過った。
 僕はライブハウスの閉塞感がたまらなく好きなのだ。そこは現実という喧騒からは完全に切り離された異空間で、ステージを前にした自分はもはや僕ではなく、音楽に酔いしれる動物でしかない。夢か現かも定かではない。そんな魔法みたいなひと時を過ごせるのがライブハウスだと思う。
 しかしこの野音というのは、国会議事堂や警視庁、皇居といったお堅い場所とさほど離れておらず、少し視線を上にやれば高層ビルが見える。時期的にまだ日は落ちていない。これじゃあまるで、ただ人がたくさんいるだけの現実じゃないか。ライブDVDの視聴中にも薄々感じていたことだが、本当にこの場所で坂本慎太郎の夢見心地なパフォーマンスを堪能できるのだろうか?些細なきっかけで集中が途切れてしまうんじゃなかろうか?

 DJがかけてくれる小粋な音楽にも素直にノれないのは不安のせいなのか、それともまもなく現れる憧れの人に対する緊張感なのか。
 十数分後、ステージ袖からゆらりと現れたロックスターを一目見た瞬間、全身が空気の抜けた風船になったような心地がした。何もかもがどうでもよくなり、意識するよりも先に僕は立ち上がる。
 坂本さんの声がマイクに乗る。沸き立つ会場。坂本慎太郎がステージに立つ、それだけで十分なのだ。そしてこの野音というステージは、坂本慎太郎の存在をより際立たせる魔法が使えるらしい。

ライブ

 いつも通りこれといった演出もなしに登場した坂本さん。スチールギターを手に椅子へ腰かけたのを見て「お、スーパーカルト誕生か?」と思ったが、1曲目は「できれば愛を」。こちらも大好きな楽曲だ。
 一歩間違えれば面白くなってしまいそうな音に、半ば投げやりになって自分を曝け出し、愛を懇願する歌詞が乗る。坂本慎太郎のソロ楽曲の多くに通じて言えることだが、このギリギリを攻めた音作りがたまらなく気持ちいい。ゆらゆら帝国のメジャー1stアルバム「3×3×3」を初めて再生した時、このバンドの音は刃物みたいだと思ったが、ソロになってからは細い指先で脳を直接撫でられているみたいだ。もしくは41℃のお湯を張った湯船に浸かっているかのような温かさがある。

 SGに持ち替えて演奏を始めたのは「めちゃくちゃ悪い男」。個人的にはそれに続く「鬼ヶ島」が非常に楽しかった。普段は冴えない烏合の衆が、勇気を振り絞って反撃に向かう冒険譚のような歌詞。楽しげなメロディに先導されて、気がつくと腕を上げてリズムをとっていた。昨年末に放送されたアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」では、主人公の女子高生が“ギターヒーロー”と謳われていたが、あの日においては間違いなく坂本慎太郎が僕たちのヒーローだった。

 「義務のように」あたりから徐々に日が落ち始め、照明による演出が本領を発揮し始めた。ここに野音の真の魅力があるのだろう。自然の手によって開演直後、中盤、終盤であたかも異なるステージを見ているかのように錯覚させ、そこに音楽と照明を加えることでそれぞれに最適な光景を描き出していく。それを見ている僕たちは絶え間なく心を揺さぶられる。会場、演者、音楽、スタッフ、そして観客の総動員でライブを作り上げているかのようだった。
 楽曲の話に戻ろう。昨年のZepp公演でも「仮面をはずさないで」の次々とステージの色が変わる演出には度肝を抜かれたが、今回もやはり格別だ。やはり一筋縄ではいかない楽曲だと思い知らされるし、感情を掴みきれない坂本慎太郎という人物ともマッチした曲だと思う。
 一方「小舟」では、星が散りばめられた夜空のような照明。不揃いな姿が非常にリアルで、ステージ上はまるで絵本の1ページのような幻想的な空間に様変わりだ。地元で暮らしていた時は当たり前のように眺めることができていた星空が懐かしくなる。周囲からもため息交じりの歓声が聞こえてきた。
 さっきから照明の話ばかりしているが、演奏ももちろん素晴らしかった。僕はアルバムを聴き返すことが多いため、小舟はそれほど聴きこんでいなかったのだが、終演後のホテルで最初に聴いたのは「小舟」だった。すすり泣くようなギターソロが印象的だし、日々に忙殺されて余裕のない大人たちを風刺したような歌詞も、今の自分にとっては耳が痛んでしまう。判で押したような生活を送り、余暇の時間は与えられる娯楽に満足するだけ。狭まっていく視野と可能性。「次の週末は家の周りの探検がてら散歩にでも行こうかな」と、余裕のある生き方がしたくなる曲だった。

 「浮き草」「物語のように」でほっこりした空気に包まれた会場は、続く「君はそう決めた」から「ディスコって」の流れで一挙に湧き上がる。うねる光線みたいな照明に楽曲が絡められ、観客たちは思い思いの踊りを始めた。「ディスコは君を拒絶しない」「ディスコは君に何も求めない」といった歌詞に触発されたのだろうか、その日一番の自由な空間が出来上がっていたと思う。個人的な話だが、普段は板挟みの立場から様々な方面に気を使う仕事をしているので、何にも縛られず、「好き」「楽しい」「幸せ」という想いを恥ずかしげなく弾けさせることができるこの曲は本当に楽しかった。

 「ナマで踊ろう」のイントロが流れ出し、いよいよライブはクライマックスに向けてスパートをかけ始める。ここで語りたいのはやはり長尺のアウトロだろう。往年の坂本慎太郎を彷彿とさせる歪みまくったギターソロ。彼のプレイを支える安定感抜群なリズム隊。陽気なダンスでさらなる熱狂へと誘う西内さんという存在。僕たちはナマの感情を剝き出しにして熱狂した。この時間がいつまでも、いつまでも続いてくれたら。心の底からそう思える快楽が全身を打った。これだから坂本慎太郎はやめられない。前述した腰が砕けそうなほど甘美な音作りも素敵だが、やはり坂本慎太郎には鋭く脳に突き刺さる様な音を鳴らし続けて欲しいと思う。

 「幻とのつきあい方」「動物らしく」が演奏され、お決まりのメンバー紹介を経て、アンコールもなしで本公演は幕を閉じた。正直、先ほどのギタープレイによる脳の痺れが抜けきらなくて、ラスト2曲の記憶は少々曖昧だ。それほどまでにあの瞬間は衝撃的だったのだ。
 ただ、メンバーを紹介した後、照明やライブスタッフの紹介も怠らなかった坂本慎太郎の姿は色濃く記憶に残っている。

終演後

 しばらく立ち上がることができなかった。同じ気持ちの人がたくさんいたことは周囲の様子から一目瞭然だ。15分ほど手際よく片付けられていくステージを眺めた後、慌ててその様子を写真に収め、ついでに会場全体の様子を動画に収めることにする。ちょうど「Let it be」を女性がカバーしたバージョンが流れていた頃だ。(誰が歌っていたのかは存じ上げない。無知な僕を心の中で詰ってくれても構わない)紫がかった照明と美しいメロディ。起床直後で頭がぼやけている朝、直前まで見ていた夢の内容と今との境界が曖昧で、まだ夢の続きにいるような気がする。あの時はそんな時間に似ていた。DJが流す楽曲にも歓声や拍手が起こる。坂本慎太郎とその楽曲が会場を巻き込んで作り出したグルーヴは、その後もしばらく会場に残り続けていた。

 ホテルに戻った後は遅い夕食をとり、坂本慎太郎の曲を聴きながらSNSでライブ参加者たちの感想ツイートを追ったり、記憶を頼りに今日のセトリのプレイリストを作成したりと、順当な余韻の浸り方をして楽しんだ。

総括

 恥ずかしいくらいに率直な感想だが、最高のライブだった。格好つけて「総括」とかいう欄を設けたのはいいものの、ここまでで感想は十分語ってしまったので、この程度のことしか言えないのだ。しかしこれで終わってしまうのはいくらなんでも寂しいので、ひとつ思い出したことを書き記して締めようと思う。
 昨年参加したアルバムツアーと違ったのは、観客たちがより自然体だったことだと思う。演奏中にお酒を買いに行く人も珍しくなかったし、歓声や踊りも観客の数だけ種類があった。途中疲れたのか腰を下ろす人もいて、彼らは好きなタイミングでまた立ち上がり、無理せず音楽を楽しんでいた。最初に述べたことに関しては賛否あったようだが、あれほどまでに“ナマ”の人間として楽しめるのなら、それは良いライブであった何よりの証拠だと思う。僕は開演前に些か肩に力が入っていた気がするが、安心して音楽に身をゆだねてさえいれば、それでライブは楽しめるのだと実感した気がする。

 さて、平日の晩にちまちまと書き進めた本記事もいよいよ終わりを迎えようとしている。本来であれば先週の日曜に開催されたカネコアヤノのワンマンライブより前に書き上げてしまいたかったのだが、想いが溢れてしまって苦労した結果なのだから仕方がないとしておこう。
 そうだ、カネコアヤノの野音ワンマンについてもいずれ記事を書こうと思う。また一月くらいかかってしまうかもしれないが、大切な記憶が薄れる前に文字に起こして残すことに価値があるのだから、時間はいくらかけてもいい。もし本記事をここまで読んでくれた読者がいるのであれば、その方には花の1輪でも送りたい気分だ。

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