見出し画像

【4】ミクロネシアで2年間の南国ライフ、ついに始まった話。


Kaselehlie! ひぐちです。
= 「カセレーリエ」と読みます。
ミクロネシア連邦ポンペイ語で「こんにちは」

ミクロネシアに到着し、早1ヶ月。
あれま。という間に時が流れていき、
2年なんて一瞬なんだろうなあと思います。

ひぐちは相変わらず元気でやっています、
たくさんのメッセージありがとうございました。

この1ヶ月間。話したい事は山々ですが、
今回は出入国、文化、生活について
お話しできたらと思います。

①出国、さらばJapan

2024年1月30日、
たくさんの大切な人たちに囲まれ、
たくさんの幸せを抱え日本を出国しました。

大学ラクロス部の同期がくれた

日本で生まれ育った24年間、
「いつかできたらいいな」と思っていた
海外での生活、海外での仕事。

でもその「いつか」は
ただ待っていてもやって来ない。と、
何の不満もなかった最高の会社を辞め、
大切な家族や友達のもとを離れ、
私は今、ミクロネシアにいます。

改めて、第1弾の投稿を見返すと
今の私は「自分で選んだ道にいる私なんだ」
と、自分の人生を生きている実感がします。https://note.com/higuchi_jocv/n/nbf523b309e2c

これからの2年間が楽しみだし、
協力隊後の将来も楽しみだし、
日本でまた皆に会うのも楽しみだ。

まずは、さらばJAPAN
2026年1月30日、また会う日まで。

②入国、いざMicronesia

ということで無事に成田を出発。
ミクロネシアへ直行で行ければいいのですが
まずはグアムで1泊する必要があります。

私は一緒に行く同期隊員がいないので
タクシー手配からホテルチェックインまで
この大量荷物と共に一人でやらねばならず・・

スーツケース3つ運ぶ知恵

タクシーのおっちゃんに人生観問われたり
薬やってそうな男に絡まれたりしながらも
まあ普通に、なんとかなりました。

そして次の日、早朝便でグアムを出国。

グアム〜ハワイ間の島々を何度も離着陸する
通称「アイランド・ホッパー」に乗り、
目的地「ポンペイ国際空港」へ向かいます。

This is THE 絶景

美しい島々を囲む青い海、
空にはどこまでも青い空、
どっちが海で、どっちが空なのか
よくわからないほど青く美しい景色に
ただ茫然と見惚れていました。

この上なく青という色が好きな私。
きっとお天道様が、私の旅の始まりに
この素敵な贈り物をくれたのでしょう。


勝手にそう思うことにする。


そしてついに、
ポンペイ国際空港に到着〜!

ここで降ろされるスタイル、初。


この国は、年中夏です(27~32度)
でもなんだか、心地良い暑さで、良い。

一時滞在するホテルまで送迎してもらい、
とりあえず大荷物から解放。

ホテルまでの道中、
とにかくそこらじゅうに狂犬がいた。

私は、しば犬が大好きなのだけれど
あんなかわいい犬はここには居ない。
それでも、もしかしたら。。と
私は今でもしば犬を探し続けている。

(これを書いてる今も外で狂犬たちが暴れ狂っている。しば発見までの道のりは長そうだ)

ついに、ミクロネシアでの生活が始まる。


③文化、ミクロネシアと日本。

大洋州の全体図

ミクロネシアは連邦国家で
ヤップ・チューク・ポンペイ・コスラエの4州
+607の小さな島々から構成されます。

私の任地は首都があるポンペイ州。
現地人同士はポンペイ語で会話します。

同じ国とはいえど、州や島によって
言語、文化、制度も全く違うという複雑性。
(戦後アメリカ統治の影響で、公用語は英語)


みなさんは、知ってましたか?
第2次世界大戦終結まで、30年間も
日本がミクロネシアを統治していたこと。

その名残で、良くも悪くもこの国には
多くの日本語が根付いており、
日本語が話せる人もいます。


例えばポンペイ語には
・デンキ (電気)
・シドーシャ (自動車)
・ジャンケンパオン (じゃんけんぽい)

彼らの苗字には
・Nakasone (中曽根)
・Kato (加藤)
・Nakamura (中村)

彼らは、桃太郎のテーマソングも歌えます。
(「も〜もたろさん、ももたろさん」てやつ)


このような日本の言葉や文化が
現代まで残っている事実を目の当たりにすると
日本人として複雑な気持ちになりますが
日本人や日本が好きだと言う人が多いので、
少なくとも親日国でよかった、と思います。

この国で長期生活をする上で、
日本人であることで差別を受けることは、
たぶんない。今のところ、ない。

至る場所で日本が開発援助していて、
スーパーには日本製品が売られてて、
道端に戦時の日本戦車があったり、
93歳の最強日本人が住んでたり、
この国の人たちにとって日本の存在は
結構身近なのではないかなと想像する。

逆に、戦後から70年以上が経過し、
アメリカの文化やモノが大流入し、
この国における今後の日本の存在は
どう変わっていくんだろう。

ということにも興味があるので、
この2年で肌身を持って感じたい。


④生活、南国ライフがここにある。


ミクロネシアといえば、
海!自然!ヤシの木!マングローブ!

こんな南国イメージでしょうか。
はい、まさにそんな感じです。

ここに来てから1ヶ月、
その南国っぷりを堪能しております。

どのレストランからも基本海見れる
夕焼けすごい時、もはや赤超えて紫らしい




東京とはまるで違う景色。


高層ビルなんてここにはないし、
ショッピングモールもないです。
映画館もなければ(コロナで閉鎖)
電車もバスもない(自転車すら見ない)

でも代わりに、
道端に無限にバナナ生えてます。

バナナ、15種類以上あるらしい


バナナあれば、十分。
逆に世界は、いろいろなもので
溢れ過ぎているんじゃなかろうか。
それらは楽しくて便利かもしれないけど、
なければないで、意外と問題なかったり。


休日は、
朝から気持ちよくヨガしたり
海を眺めながらウクレレ弾いたり
教会で礼拝に参加したりして、
ゆったりとした時間を過ごしています。

プロテスタントの素晴らしい教会


このポンペイ島には
"Pohnpei time"という言葉があります。

簡単に言うと
「ここでは時間はゆ〜くりだよ」
ていう意味です。

ポンペイの人々は、
誰も急いでない
誰も焦ってない
誰も何かに追われてない

そんな風に見えます。
それはきっと、ここでは
時間の流れや感じ方が
日本人とは違うから。

それが良い悪いかは置いておいて、
私はこのPohnpei timeに身を任せて
協力隊員の醍醐味である
「現地生活に溶け込んだ活動」
を楽しみたいなと思います。

まだ赴任して1ヶ月ですが、
素晴らしい人と環境に恵まれ、
とても幸せな日々を送れています。


その全てに感謝です、本当に。
Kalangahn (カランガン) = ありがとう


次回の投稿では、
私の活動内容「環境教育」について、
職場の同僚や日々の仕事について
お話ししていけたらと思います。

職場に配属され3週間が過ぎた今、
とりあえず言いたいことは
「同僚が神すぎてヤヴァイ」


ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?