”ゼロ”プロパガンダン展プロジェクト

板橋区で毎年行われる展覧会の10周年に向けたプロジェクトです。

”ゼロ”プロパガンダン展プロジェクト

板橋区で毎年行われる展覧会の10周年に向けたプロジェクトです。

最近の記事

アーヤトッラー・ホメイニー(資料7)

イランは、私にとって人生を変えられた国だ。 まず、ホメイニー師の出立ちが、小学2年生の頃から気になって仕方なかった。1979年のイラン革命の時、父の転勤で米国に住むことになった。米国には、師の顔を色々な場所で見かけるようになっていた。今考えると同年11月には、イランアメリカ大使館人質事件が起き、大変な時だったので当然と言えば当然だ。しかし、そんなことは知らず、小学生の私にとって顔に髭いっぱいにの大きなターバンを頭に巻いた顔は興味津々! 「いったいこの人は、どんな人なんだろ

    • アタテュルク(資料6)

      ユーゴスラビアとその前後の国、つまりハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャには、元首モノを見つけることが出来なかった。ルーマニアでは、招待してくれた家に昔の国王の絵が飾ってあり、これは手に入らないのですか〜!と食い下がったがくれなかった。本当は、チャウシェスクが欲しかったのだが、当然ながら販売していなかった。 さて、トルコだ。現在この国は、どこに行ってもアタテュルクこと初代大統領ムスタファ・ケマルの肖像画が、さまざまな店に飾られている。とはいえ、1994年当時は、そこ

      • チトー(資料5)

        私が初めてベオグラードに訪れたのは、1994年の7月だと思う。暑い日だった。ボスニア戦争真っ最中のユーゴスラビア連邦共和国、いわゆる新ユーゴと呼ばれる国の首都だ。 この国を訪れたのは、その時たまたま一緒に旅行をしていたタケさんと呼ばれる人物にイスタンブールで出会い、旅慣れたタケさんに提案されてついて行ったからだ。なぜ、イランに訪れるのに逆方向になかったかと言うと、イランのビザが取れなかったからである。 この時、旅をしながら各地でビザを取って、次の国に行くという手法をとって

        • ヴァーツラフ・ハヴェル(資料4)

          さて、英国の次に訪れたのは、フランスだ。なんとかフランスの元首モノを探したが、見当たらなかった。唯一ナポレオンの像を見つけたのだが、どこかの段階で壊してしまう。一応、首だけコレクションとして残っている。 その後、ベルギー、オランダ、ドイツと絵葉書程度の元首モノしか手に入らず、コレクションを増やすという目的が、微妙に盛り上がらなかった。そんな中、チェコで出会ったのが本屋(あるいは文房具店)で販売していたヴァーツラフ・ハヴェル大統領の中くらいの肖像画ポスターだ。これを購入出来た

          エリザベス2世(資料3)

          1993年夏、私は米国のニューヨーク大学へ入学。1年後の1994年夏、私は親からお金を借りて思い切って世界一周の旅に出る。飛行機でイギリスへ飛び、そこからは飛行機を使わずに日本へ一時帰国するというものだ。 旅の工程は、米国→イギリス→フランス→ベルギー→オランダ→ドイツ→チェコ→オーストリア→ハンガリー→ルーマニア→ブルガリア(トランジット)→トルコ→ギリシャ→トルコ→ブルガリア(トランジット)→ルーマニア→ユーゴスラビア→ブルガリア(トランジット)→トルコ→イラン→日本と

          レーニン(資料2)

          レーニンも毛沢東同様1992年3月に、ソ連崩壊後まもないモスクワで購入。当時のモスクワには、ブラックマーケットや闇両替などがあり、混沌としていた。当然、ソ連のプロパガンダグッズが、格安で道端などで販売していおり、この状況をきっかけに、グッズを集めることに決めた。GM0001~0003の毛沢東をすでに購入していたので、買わなきゃいけないという思考回路にすでに変わっていた。 GM0004:レーニン(金属製彫像、1992) この旅の1年後にイメージフォーラムで、この彫像でコマ撮り

          毛沢東(資料1)

          1992年3月の春休み。シベリア鉄道で旅に出るにあたり、大阪から鑑真号で上海に渡り、北京でモンゴルビザを取得し、7泊8日のシベリア鉄道の旅を敢行した。私にとって忘れられない、初めての1人旅。 旅行人生においても「元首モノ」にとっても、私の運命を変えた旅と言える。そして、この毛沢東の肖像画を購入したことから、その後30年以上の人生において、様々なドラマが生まれたと言っても過言ではない。 GM0001:毛沢東(布製、1992年) 毛沢東紀年堂の土産コーナーで購入したもの。たく

          "ゼロ”プロパガンダン展10周年に向けて

          第1回大和町サミット'14 ~毛沢東からローマ法王まで、板橋に集う珠玉の肖像画~ 世界各国で尊敬の念を持って製造される王室、国家元首、首脳の肖像画。しかし、自国を離れ、他国の壁に貼られると、それらはどんな意味を持つだろう?アパートの一室で一堂に集めてみたら?板橋区大和町という政治的意味合い"ゼロ"の場所で公開することで、プロパガンダの効力を"ゼロ"に導く。 1991年に毛沢東の各種肖像画を北京の毛主席紀念堂で購入して以来、20年以上に渡り収集した40カ国以上の比呂啓の肖像

          "ゼロ”プロパガンダン展10周年に向けて