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チトー(資料5)

私が初めてベオグラードに訪れたのは、1994年の7月だと思う。暑い日だった。ボスニア戦争真っ最中のユーゴスラビア連邦共和国、いわゆる新ユーゴと呼ばれる国の首都だ。

この国を訪れたのは、その時たまたま一緒に旅行をしていたタケさんと呼ばれる人物にイスタンブールで出会い、旅慣れたタケさんに提案されてついて行ったからだ。なぜ、イランに訪れるのに逆方向になかったかと言うと、イランのビザが取れなかったからである。

この時、旅をしながら各地でビザを取って、次の国に行くという手法をとっていて、オーストリアでハンガリーやブルガリアのトランジットビザなどをとってトルコに向かったりしていた。イランのビザは、イスタンブールなら簡単に取れると踏んでいたのだが、友人宅を訪れるという理由にしたためか、足止めを食らってしまった。それで、一人で数日ギリシャを旅して、イスタンブールに戻った。そのイスタンブール行きの電車でタケさんと出会い、彼との2週間ほどの旅が始まった。

彼は、紛争が起こる前のアルジェリアに旅したことがあり、いつも彼の国を素晴らしい国なんだよと私に教えていた。私より、4、5歳年上で、コミュニケーション能力の高い人物で、私の兄貴分となって色々とイスタンブール周辺で楽しい旅を続けることができた。私が、人とこんだけオープンになったのは、かなりの度合いでこの人と出会ったことが大きい。

そんな時、またしてもイランのビザが、また1週間くらいかかると言われてしまう。それでタケさんが提案したのが、一緒にユーゴスラビアに行こうというものだった。戦争中なのに、大丈夫なのかと訪れてみると、平和そのもの。基本的にボスニアで戦争していて、ユーゴ側は援軍が出兵しているだけだった。私は、公園で野宿したり、イスタンブール行き電車を逃したり、ディスコで踊ったりと、ベオグラードで人生初めての経験を数多くしたのだった。そんな思い入れのあるベオグラードで購入した元首モノがこの資料5である。

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GM0023a:チトー(絵葉書、1994年)
GM0023b:チトー(絵葉書、1994年)

タケさんと別れた後、一人ベオグラード観光を試みる。どうしても欲しかったのが、チトーことヨシップ・ブロズ・チトー大統領の肖像画だ。しかし、ユーゴ紛争真っ只中のベオグラードの中心地でチトーの元首モノは、発見することが出来なかった。おそらく、ベオグラード市民にとって、この時期チトー大統領に対する評価は、賛否別れていたものと思われる。

しかし、さすがにチトー大統領の霊廟なら売っているだろうと、バスを乗り継いで行ってみた。公園は、かなり荒れていた。管理する人がほとんどいないような状態。一応、霊廟だけは綺麗にしてあったが、老人の守衛が一人いるだけだった。その守衛のいる場所で、若いチトー元帥の絵葉書が数枚販売していた。そのうち購入したものがこれら2枚である。

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GM0024:フランツ・ヨーゼフ1世(絵葉書、1994年)
チェコとトルコの間で、ユーゴ以外で唯一購入出来た元首モノがこちらである。オーストリアで、実質的な「最後の」皇帝と呼ばれる彼の絵葉書は、エリーザベトと共に結構販売していた。元首モノとしては、すでに帝国ではないこの国で観光向けに販売しているので、そこまで価値を見出していないが、近年になって「あれは良いものだ」と想うようになった。あと、未だにこの国の歴史をよく分かっていないのも、価値を見出せない理由の一つだ。

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GM0025:エリーザベト・フォン・エスターライヒ(絵葉書、1994年)
こちらは、元首モノの理解者第1号であり、寄贈者第1号のOさんが、オーストリアに行っていた友人から貰ったという絵葉書を、いただいたものである。「昔の友人だったので、私なら保管してくれるし面白いだろう!」(Oさんは、面白いことが好きだ)と寄贈してくれた。これは、もしかすると、この世界1周の前にもらったかもしれないので、非常に貴重なものとして毎年大事に展示されている。Oさんも本望であろう。

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GM0026:チトー(絵葉書、2001年)
前回のベオグラードを訪れたことで、すっかりセルビア贔屓になった私は、ふたたびベオグラードを訪れた。今度は、1999年に行われたNATOの空爆の跡が、まだ生生しい雰囲気の2001年だ。中国大使館をNATOが誤爆した跡や、共産党のビルの爆破跡とか、かなり色々残っていた。ベオグラードの銀座のような歩行者専用の通りがあるのだが、そこに古くからある本屋があり、そこで購入した。

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GM0027:ペータル2世と王妃(絵葉書、2001年)
同じくベオグラードの銀座のような通りの本屋で購入した王室の絵葉書。笑顔のペータル2世と王妃の穏やかな表情が、当時のユーゴスラビア王国の雰囲気を伝えていて、とても好きな写真だ。その後、社会主義国家となり、果ては解体されたユーゴスラビア。写真を見るたびに、遥か昔のファンタジーの世界を見るかのような想いに駆られる。

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GM0028:カラジッチ(シール、2001年)
当時のベオグラード駅(今は場所が移った)の周辺には、いくつかの愛国的な屋台のような店がいくつかあった、そこで販売していた人物のシールがこれだ。店の人にスルプスカ共和国の大統領だと教わり、購入したもの。旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷により戦犯となり、購入した2001年は逃亡していた時期と重なる。2008年にベオグラードで逮捕されたことを考えると、この時、同じ町にいたことになる。感慨深い。

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GM0029a:ユーゴスラヴィア連邦空爆地図(地図、2001年)
同じく屋台のような場所で購入。なかなかなプロパガンダグッズなので、肖像画ではない(あるいは含まない)ので、元首モノとは言い難いのだが、かなりのプロパガンダ性の高い代物なので、次のGM0029b、GM0029cと併せ技で1つの元首モノとして扱うこととする。

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GM0029b:ユーゴスラヴィア連邦空爆写真(絵葉書、2001年)
同じく屋台のような場所で購入。なかなかなプロパガンダグッズなので、肖像画ではない(あるいは含まない)ので、元首モノとは言い難いのだが、かなりのプロパガンダ性の高い代物なので、前のGM0029aと併せ技で1つの元首モノとして扱うこととする。

現在、ギャラリーレーニンが保有するチトーの元首ものは、2019年に再度セルビアに行ったことで、魅力的なチトーやユーゴスラビア王室の元首モノが数多くある。しかし、これらは、すでにチトーの権威が過去のものになり、観光客向けに販売しているようなグッズである。その意味で、政治のゴタゴタが続いていた時期に購入した上記の新ユーゴスラビアの元首モノと2019年の元首モノは、資料としては分けて考えることとする。上記数点は、館長の観念的にかなり上位にあるものとして、資料5として記録する。


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