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4年越しの思いつき


noteとの出会いはいつだっただろうか。

はじめはTwitterのフォロワーが時折URLを貼っていて、たまに目を通すくらいだった。

noteのアカウントは成田空港で京成線の特急を待ちながら作った。
その日は鳥取から大阪を経由し、飛行機で当時住んでいた成田市に帰ってきて
とりあえず、鳥取の良さをnoteで発信したくなったという動機だけは覚えている。

しかし、その後は地元へのUターンやらコロナやらなんやらが重なり、結局、僕のnoteは投稿されることがないまま放置された。


先日、行きつけの居酒屋の大将と、SNSでの発信力が話題に上がった。

この美味しい海鮮の旨さをどう伝えるか。

Instagramのようなインスタントなスタイルではなく、もっと丁寧にじっくり伝えたい。そんな話をしていると、

「noteで発信すればいいじゃん」

4年越しの思いつきだった。

そうだ、note書こう。
誰得なマイナー情報を垂れ流そう。

そう思って早速noteを開くと4周年記念のバッジが輝いていた。
まだプロフィールすら設定していないというのに。

思い返せば4年前の自分は大好きな鳥取の、米子の良さを伝えたい。
そんな思いで溢れていた。

Uターンを決意して帰米してからは早速大山に登り、紅葉の写真を撮り、ウィンタースポーツを楽しみ、自らが鳥取の生活を満喫し、さらにゴリ押しの甲斐もあってか県外の友人が米子に遊びにきてくれるまでになっていた。

が、そんな楽しい生活もコロナによって一変した。

思ってたのと違う、満足できない生活を送る日々が続いた。

そのうち、「米子の良さを発信したい」というかつての思いはいつの間にか忘れてしまっていた。

とはいえ満足しきれないながらもなんとか騙し騙し生活してるうちに数年が過ぎ、少しずつ日常が戻りだしていた。

そして、戻ってきた日常が米子の居酒屋のカウンターにいる自分と、4年前の、成田空港の京成線ホームにいた自分を繋げたのだ。

この思いつきが、"いろんな人にもっと米子のことを知ってもらいたい"というコロナ前の純粋な気持ちを思い出させてくれた気がした。(こう書くと聞こえはいいが、実質のところサボってただけかもしれない。)

ただ、案の定、強烈なパワーのある記事を書く元気もない。
とりあえず、どこかに載ってそうで載ってなさそうな、誰が得するかわからないような変わりゆく米子の日常の断片を綴ることにした。

世の中に影響を与える力はもちろんないし、立派なことは書けないけれど、このnoteを読んでくれた人が、少しでも米子に興味を持ってくれたら。

米子に住んでいる人が、少しだけ、昨日より米子に誇りを持ってくれたら。

そんな思いを込めて、米子の街からフォロワー0のnoteへ、この落書きを放り出すことにする。


読んでね。





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