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プーチン氏がいなくなれば良いと思っていないか?

 ロシアのウクライナ侵攻はもう一週間以上になる。昨日はついに原発が攻撃され、核兵器を使わない核の脅威に世界がさらされている。

 プーチン氏の武力行使という選択は、個人的感情としては許せないし、理解できない。資源大国なのだから、お金をネタにもっとうまく交渉ができたはずだ。

 全世界を敵に回したし、ロシア国民だって賛成していない人がたくさんいる。

 そういう時にふと思ってしまう。「プーチン氏がいなくなれば」と。おそらく多くの人が思っているはずだ。プーチン氏の首に懸賞金をかけて逮捕された人も、おそらくそういう思いからやっている。

 たしかに、彼ほどにロシアを強力に率いて、世界各国の首脳から恐れられるほどの人間はそう簡単に現れない。意志を継ぐものがいたとしても、この状況で急にプーチン氏と同じようにはやれないだろう。

 私が言いたいのは、あいつがいなくなって、意志を継ぐ者が出てくる、という少年漫画的な話ではない。

 プーチン氏がいなくなれば良いという考え方は、考えの合わない人間を武力で抑え込もうとするのと同じ発想だということだ。

 ロシアは戦争前から、ヨーロッパ・アメリカをはじめとする国から批判されていた。それはロシアが独裁国家であり、人々の自由や人権を十分に保障していないからだ。

 しかし人権というのは、誰にでも平等に与えられた権利であることを忘れてはならない。そして私たちが人権を強く意識しなければならないのは、ウクライナ国民に対してよりもむしろ、プーチン氏に対してである。

 戦争に巻き込まれているウクライナ国民に対して、この状況で負の感情を持つ人はほぼいない。人権が蹂躙されていることは、考えるまでもなく明らかだ。

 だがプーチン氏の人権について考える人はどれほどいるだろうか。人権とは、誰にでも平等に与えられた権利である。私たちが、ウクライナ国民が持つ権利を、プーチン氏だって持っているのだ。

 もちろん、人権も無制限ではなく、他人の人権と衝突したときには制限されることが、当然ある。だから、そこまで意識したうえでプーチン氏を非難し、彼がどのような罰を受けるべきなのかを考えなければならない。

 今回の戦争はあまりに苛烈な人権侵害であり、許されるものではない。しかし、理解できない・許せない相手の存在を消し去ることを、あまりに安易望んでしまうことは、プーチン氏と同じだ。

 今、人権が試されている。

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