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文科省『入試で外国籍生徒に配慮を』の無責任さ

文科省がまた一つ業務を増やしましました。高校入試における外国籍生徒への配慮を文科省が求めたというニュースが話題です。ニュースの概要と、この文科省の姿勢に対する批判的意見を述べてみます。


ニュースの概要

文部科学省は2024年度からの公立高校入試において、外国籍生徒を対象に入学での特別な配慮を実施するように全国の教育委員会へ通知しました。

特別な配慮の具体的な内容としては

  • 外国籍生徒の特別枠の創設

  • 試験験問題の漢字にルビを振る

  • 辞書を持ち込み調べることの許可

などが示されました。また、定員割れしているのに不合格となる『定員内不合格』については、意欲のある生徒へ学びの場を確保する点から、『定員内不合格』を出さないようにしている教育委員会の例を参考にするよう伝えられました。

総じて、外国籍生徒については、学力や言語力が不足していても、意欲のある生徒なら特別な配慮を用いるなどで入学の機会確保をせよと文科省は求めているようです。

無責任な文科省への批判意見

入学後はお決まりの全て教師に丸投げか?

日本の高校の授業は日本語で行われています。また、その日本語も日常会話ができればいいというものでもありません。教科学習を行うには、論理的思考や抽象的な語彙力が可能な言語力が必要です。後者の情報整理や理論的思考に必要な学習言語能力のことは、CALPと呼ばれています。この能力は読み書き含め、5〜7年、近年の研究ではさらに10年近くの学習経験が必要と言われています(Terms to know: BICS and CALP)。入学時にこの教科学習の素地がない場合、高校の学習はほぼ成り立ちません。

入学してから授業と同時に専門家からの言語支援を受け、言語能力を身につけていくのは期待できません。文科省はこれまで、給特法に甘えて予算を用意せずに新たな業務を増やし続けてきました。外国籍生徒を特別枠で入学させよと命じても、文科省は予算の確保はしないでしょう。そして、入学したら学校と教員の責任に新たにするでしょう。言語の支援、教材のルビ振り、学校からの通知の翻訳など、新たな業務や外国籍生徒へのサポートで教員がさらに長時間働いても『勤務時間外は自主的自発的』と見て見ぬふりでしょう。

令和3年時点で、外国籍児童生徒数は全国で11万4853人にいて、そのうち言語支援が必要な数は4万7000人とされています。さらに、言語支援が必要なのに、無支援状態である児童生徒は1万400人に上ると文科省は述べています。令和6年の時点ではさらに、言語支援が必要な子どもの数は6万9000人余りへと増加しています。増加する外国籍児童生徒に対し、多様な言語に合わせての支援員の確保は困難で、限られた予算と人員のままでは対応しきれていないのが現状です。文科省は、この問題に対し、地方自治体や学校現場に対応を丸投げしてきており、今回の高校入試での特別な配慮はさらにその延長と言えるでしょう。

『外国籍生徒に配慮し入学させよ』と高校に押し付けるのではなく、外国籍生徒も安心して勉強ができる環境整備をするのが教育行政トップの文科省の役目ではないのでしょうか。無責任に定額働かせ放題を生み出しているのはほかでもない文科省の姿勢です。

日本人生徒への逆差別

辞書の持ち込みはテスト成績に大きな影響を及ぼす要素です。日本人生徒がもし辞書を使うことができるならば、同じテストでも高い点を取れるかもしれません。仮に、辞書が許されない日本人生徒が不合格になり、辞書を引けた外国籍生徒が合格になった場合、不公平感、不平等感を抱かせることになるでしょう。

また、海外に目を向けた場合はどうでしょうか。日本人が海外の学校へ留学したい場合、入学選抜は『外国人だから』『日本人は英語が苦手だから』と配慮してもらえるでしょうか。いいえ、違います。英語が苦手なら必死に勉強して、語学力を上げなければ希望する学校に入学し勉強することは許されません。

学力試験の意味を履き違えている

高校は義務教育ではありません。高校入試での学力試験は、学力が基準を満たし入学後にやっていけるだけの適性があるかどうかを測るものです。だから、入学試験があるのです。入学したいならば、それ相応の学力を身に付けていなければ、入学後に学習についていくことができず、留年したり学校不適応(不登校、うつ病、適応障害)になったりと、子ども本人が苦しい思いをすることになるでしょう。実際に、文科省の調査によると、日本語支援が必要な高校生は中退率が高いです。

令和2年度中の日本語指導が必要な高校生等の中退・進路状況
外国人児童生徒等教育の現状と課題)

文科省自身は、新学習指導要領で言語力の育成を重視しているのに、入試では軽視するというのは皮肉なものです。基準に達してない生徒を受け入れよというのは、入学試験の意味を履き違えているのではないでしょうか。

まとめ

予算を用意せずカネも人もないままで『やれ』と文科省は繰り返しています。今回も同様です。外国の子どもを優遇し、子どもたちの間で不公平感を生み出し、そして教師の多忙化に拍車をかけようしているようにすら思えます。文科省は、公教育を崩壊させる青写真でも描いているのでしょうか。

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