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推し活ついでに気仙沼に行った話 #2


こんにちは、なななです。
気仙沼の旅記録第2弾です。
今回は主に道中の思い出を写真と共につづっていきます。
第1弾はこちら。

7:53 仙台駅発

仙台駅から出発!
東北本線で小牛田(こごた)へ向かいます。
ぼーっとしていたら、窓の外には見渡す限りの田んぼが広がっていました。
ちょうど稲刈りを過ぎたところで、藁を束ねて乾燥させているのがいくつも見えました。
藁の干し方って色々な種類があるんですね。
丸めたり自立させたり柵に掛けたり。
私も米どころ出身なので懐かしい気持ちになりました。

小牛田からは石巻線に乗り換え前谷地(まえやち)へ向かい、前谷地で気仙沼線の柳津行きに乗り換えます。
前谷地からは1両編成のワンマンカーでした。
ワンマンカーって降りる時に一部ドアしか開かないことが多くて久々に乗ると焦ります。。

9:42 柳津駅にてBRT乗り換え

柳津からは北の海側は電車が繋がっていないので、気仙沼方面にはJR東日本のBRTで向かいます。

仙台・宮城環境PRキャラクター「むすび丸」がついた柳津駅の看板
柳津駅と乗ってきたワンマンカー
JR東日本のBRT

バスの車窓からは、まだ新しい堤防や水門がいくつも見えました。

堤防

バスだと車窓をゆっくり楽しむことができ、観光バスに乗った気分でした。

志津川には大きな道の駅「さんさん南三陸」もあり、この日も多くの人で賑わっていました。自家用車やバイクで来た場合はここに寄ると面白そうです。
河口付近には堤防と貯水池、その中に「震災遺構 ブライダルパレス高野会館」が見えました。
ここでは震災当時、職員の方等の迅速な判断で327名が屋上に避難できたそうです。
建物の3階部分に津波到達点の表示が見えました。

団地〜小金沢あたりまではもともと線路だったBRT専用道路を通ります。
長いトンネルをいくつも抜けました。

抜けた先には大谷海岸というきれいな海が広がっていました。
大きい道の駅があり目の前は砂浜の海岸、それを見渡せるテラスなんかがありました。
夏は海水浴場にもなるようで、この日はゆったり散歩している人たちが多く見えました。

11:10 陸前階上(はしかみ)駅着

新しくて綺麗な陸前階上駅

BRTを一旦降り、ここからは歩いて震災遺構伝承館に向かいます。
行きは気づかず遠回りしてしまいましたが、駅を出て左手の電話ボックス脇の道を通ると近道になります。
駅前にはタクシーも1台停まっていました。

この柵の右側を通ります


11:30 「はじかみ」にてランチ


お昼は震災遺構伝承館からほど近い「はじかみ」さんで海鮮丼をいただきました。
甘エビ、ホタテ、マグロ、いくら+日替わり三種で2000円というボリューム満点で大満足な内容!
この日はスズキ、ヒラメ、黒ムツだったと思います。
新鮮でどれも美味しかったです。
季節限定のカキフライ定食も美味しそうだったな〜

駐車場入口の看板
海鮮丼!!
お店は新しめの建物でした

はじかみさんから先は拓けた土地が広がります。
だだっ広いゲートボール場が見えて、たくさんの人がゲートボールしているな~と思って近づいていくと、そのすぐ脇に大きな建物が見えました。
目的地、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館です。

12:00 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館見学

※この先瓦礫等の写真があります。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、震災以前は気仙沼向洋高等学校だった建物です。
震災当時は生徒・教員・工事関係者の約250人が校舎にいましたが、13mを超す大津波に襲われながらも、迅速な避難で誰一人犠牲にならなかったそうです。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え、警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として活用し、気仙沼市が目指す「津波死ゼロのまちづくり」に寄与することを目的としています。(HPより引用)

入口で入場料を払い、伝承館になっている建物に入館します。中は階段があるので大きい荷物はロッカーに預けるか、フロントで預かってもらえます。

最初はシアターで映像を見ます。上映時間が決まっているので、到着時間によっては少々待つ場合も。
私が着いた時はすでに上映が始まっていましたが、まだ序盤だったため途中からでよければ入れていただけたので入ることにしました。

映像は地元の方々が避難中に撮影したものでした。
私が津波の映像をしっかり見たのはそれが初めてのことでした。
津波という現象を頭では理解していたつもりでしたが、実際の映像を見るとその威力は想像を遥かに超えていました。
波というより、真っ黒な海そのものが町に押し寄せ全てを飲み込んでいるようでした。
「津波が来たら逃げるしかない」
そう強く感じました。
映像には撮影者や周囲の方々の話し声も入っていたのですが、映画やドラマであるような悲鳴はなく、むしろゆったりとした方言まじりの話し方に、加工されていない現実を感じたことが印象的でした。

シアターを出た後は写真が掲示された通路を抜けて校舎の見学へ進みます。

特に印象的だったのは、校舎3階の教室です。
その教室には津波で流され、校舎のベランダと窓を突き破って流れ着いた車がありました。

校舎3階に流されてきた車


3階の高さに車が流されてくるということは、その高さまで水があったということ。自分が見ている目線全てが水に浸かってしまったことが信じられませんでした。
その車に押しやられて積み重なったロッカーの扉に挟まった学生の作業服の裾や、部屋中に散らばった教科書や辞典を見て、震災が起きる直前まではいつもと同じ日常だったということを強く感じました。

屋上に上がると、錆びた机と椅子が並んで固定されていました。
現代アート、、?と思いましたが、震災時、資料保存のため校舎に戻った教員の方達が屋上に避難し、水位が上がった時に備えて準備したものだそうです。ギリギリの状態だったことが分かります。

屋上からは屋根が全部なくなった運動場が見えました。

1番左が運動場。屋根がなくなり、室内だった部分には草が生い茂っています


運動場の壁には細長いトタン板のようなものがいくつも巻き付くようにくっついていました。
薄いとはいえ、金属が紙のように折れ曲がっているということは、水によってものすごい圧力がかかったということでしょう。

屋上には周辺地域の情報がいくつかパネルに書いてあり、指定避難場所で多くの犠牲が出た話や、冷凍工場がぶつかった話、家ごと流された方が、奇跡的に校舎の間に家が挟まったおかげで学校に避難できた方の話などを知ることができました。

校舎の1階に降りて外に出ると、先ほど上から見えた運動場や、流されて中庭に折り重なった車などを間近に見ることができました。
先ほどの家が挟まった場所もここで、「この幅に引っかかる大きさのものが流されるのか、、、」と思いました。

校舎の中に戻り、学校の日常風景写真の展示を見ながら最初の伝承館に戻ります。

伝承館に戻ると講和室があり、スクリーンで「被災者の想い・命の大切さ」という15分の映像が繰り返し流れていました。
時間の関係で全て見るのは最初から諦めていたのですが、私が入った時にちょうど気仙沼市立階上中学校卒業生の答辞映像が流れており、ハキハキした喋り方に思わず足を止めて見入ってしまいました。
読みながら溢れてくる涙を懸命にこらえながら答辞を読み上げる姿に月並みな言葉ながら深く感動しました。
この答辞全文は平成22年度『文部科学白書』にも掲載されたそうです。
全文はこちら。

https://jhs.kitagata-gifu.jp/wp-content/uploads/54d3ddc89b69a11fcfa0f9e3e0cbe68d.pdf

この答辞の中にある「天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。」という言葉と、この後に見た展示室にあった「海と生きる」という言葉。
私が当事者だったら、恨まずにいられるだろうか、故郷とはいえ海から離れずにいられるだろうか、と考えさせられました。
これだけの被害に会いながら、天も自然も恨まずに、受け入れて生きていこうと前を向いている気仙沼の人たちが確かにいることにこちらが励まされる気持ちでした。

短い時間で全ての展示を見ることはできませんでしたが、「予想を遥かに超える高さの津波」というものがどういうものなのか、自分の目で見て少しは実感を持つことができたと思います。
そして、日頃の防災教育や避難訓練がいかに大事かを改めて感じました。
いつどこで起きるかわからない災害。今回見て感じた恐怖を忘れずに、防災意識を高く持って備えておこうと胸に刻みました。

13:36 気仙沼駅着

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の見学を終え、再び陸前階上駅からBRTに乗り、気仙沼駅に向かいます。
気仙沼駅に着くとピカチュウのパネルとラッピング車両が出迎えてくれました。

2両編成のピカチュウ列車
顔出しパネル。1人のため顔出せず。

中は見えませんでしたがJRのサイトによると大きいピカチュウがいるプレイルームもあるとか。可愛過ぎる。

そんなこんなで一ノ関駅行き電車の14:22の発車時刻を待っていましたが、この日は南気仙沼駅周辺でイベントがあり、その影響で後続のBRTが遅延!
接続待ちのため一ノ関駅行きの気仙沼線も10分遅延!
一ノ関駅での新幹線乗り換え時間は元々10分予定、、、
一ノ関駅まではソワソワして景色を楽しむ余裕がありませんでした。
結局気仙沼線は7分遅れとなりましたが、一ノ関駅でダッシュしたのと新幹線も接続待ちしてくれたため、無事予定通りの新幹線に乗ることができました。
同じ車両から降りた老若男女皆でダッシュしてるのが妙に面白くて、走りながらニヤニヤ笑ってしまいました。マスクでよかった。

おわりに

今回震災遺構・伝承館を見学して、やはりテレビや本と通して見るのと、自分の目で見て感じるのでは全然違うと思いました。
帰ってからしばらくは伝承館で見た映像が脳裏に焼き付いており、ことあるごとに震災のことを調べたり考えたりしていました。
旅の前に目標としていた「震災を実際に起きたこととして受け止める」ことができたと思います。
推し活ついで、かつお得な切符のおかげで重い腰をあげて仙台から気仙沼まで足を延ばすことができましたが、これからも自分で足を運ぶことを大事にしていきたいです。
ほぼ前日の夜に予定を立てたのでバタバタでしたが、それも旅の良い思い出ですね。
次はどこに行こうか、色々なアンテナで探したいと思います。

初めて長い文章を書いたのでかなり時間がかかってしまいました。
拙い文章ですが、最後まで読んでくださいありがとうございました。


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