情報過多の生存戦略ふぉーすと共にあらんことを・・・

フォース=理力?

スターウォーズ初期の字幕でフォースを【理力】と表記していたことも今では懐かしく感じる昨今、久方振りに何か文章を書きたくなり、時は令和と時代も流れ、また、身の回りの変化も重なったことで逆に自分の今までの人生で変わらず助けてくれている”何か”について雑記と言いましょうか、想いをしたため様と思い立ち、筆ならぬキーボードを走らせたくなった次第でして。タイトルのフォースというと目に見えない何かの力が働き光る剣が自分に向ってヒュッ!と飛んでくる緑の小さな人がフォースと共に・・・の下りを連想されるかと思いますが、どちらかというと冒頭での”理力”という言葉についての内容となりますのであしからず。

コーヒータイムにつきエナリ君と逆徳永とマッチです

ここでこれを読んでいただいている方にまず1つ質問を投げかけてみたいと思います。・・・・・・”真実”・・・・・とは何でしょうか?ご自身の答えが出た後次の文章をお読みいただければ幸いでございます、少しの間考えてみるのも、もしかしたらオツな時間になるかもしれませんよ♪それでは私の考える真実の定義をお話しいたします、真実とは”事実”そのものに他ならない!というものですが、そのまま四角四面に受け取られてしまうと

「そんなのあたり前じゃないか」と渡る世間の坊主頭の方の声が聞こえてきそうなので少しだけ付け加えます、

【発生した事象においてそのままを認識する行為】

を真実と私は定義づけています。このお話と理力につながりがあるのかと訝しんでおられる方も多いかと思いますが少しだけ真実について書かせていただきます。そもそもこの定義づけは本当に必要に迫られたためという理由でした。20年以上前に前回の記事で書かせて頂いた強迫性障害という病気に苦しめられた経緯があり虚構と現実の区別がつかなく大変困ってしまった時期に何を信じて生きていけばいいのかが曖昧な逆徳永状態を脱却するため

(この内容だけで逆徳永状態が分かる方は同年代のおじさんですよ♪※ヒントはドラクエのED)

唯一無二な”真実”という概念そのものに縋りついたことがありましてその際にも真実とは何なのかというマッチ状態に陥り永らく考え続けた結果

自身や周りの意見、状況や環境等の複合的な要素に至るまでその事象の周りについて回る不純物をすべて引っぺがした状態のそのままの事象を真実ないしは事実

と認識するに至りました、この答がまあ私を助けてくれること助けてくれること、事実だけを一切脚色なく傍観していると世の中の理が色々見えてくるわけですよ。

野良リーマンとヤバい奴とお湯の温度

ここまで読んでいただいた方のお気持ちは多分「ヤバい奴」か「違法なお薬の方」か「新手の何かを信じる奴」的な反応かと思いますがどれにも該当しないごくごく普通な野良リーマンですのでもう少しコーヒーでも飲みながらお付き合いいただけると幸いなのですが、ここで前述した世の中の理の力”理力”が登場致します。この理力とても優秀な奴でして、起きる事象の予想もできれば、起きた事象の逆引きも可能な万能ツールな頼れる兄貴なんですよ。

例えば、彼女に振られたや仕事で注意されたというネガティブな内容から臨時でお金が入ったや打ち出した施策や企画が通り仕事がうまく行った等のポジティブな内容に至るまで、様々な事象が日々起きていますが先ほどの不純物のせいで正確に何故その結果に到達したのか、そもそもの物事を推し量ることが難しくなっている方をよく目にします。さらにはSNS等の外部の情報が日々目まぐるしく目に飛び込んでくる昨今(昨今2回目)さらにそれを難しくしていることも原因の一つではありますがそれを踏まえたうえで声を大にして言いたい、

真実は過大評価や運と呼ばれる不確定要素から発生する自分や誰かの都合の良い物ぬるま湯でもなく、過小評価や憐憫、ひいては苦行のような観念に伴う自分や誰かを苦しめる熱湯冷水でもなく丁度適温なお湯!

ではなかろうかと考える今日この頃でございます

人生長い・・・

そもそも理力が人生の何の役に立つかというと、簡単な話リスクヘッジでして人生のソリューションプランニングを行う上で優秀なツールの一つとなる事を今回私自身のために雑記に記す事が目的でございます。そもそも事象は無からは発生しないため必ず理由がある必然にて発生します、偶然という言葉自体私の中では幻想や奇跡のようなものと認識しておりますが・・・

先ほどの彼女に振られたや仕事で云々の内容について私が悪かったや相手が悪かったといった根拠のない評価を行う前にまずは”振られた””注意された”という事象を認識し理由が分かる場合は解決できるものか不可能な物かを判別し対処する不可能な物は糞して寝ろ!だけですが、その事象がなぜ起こったのかの理由が分からないものに関して希望的観測や極端な評価を完全にストップし過去の記録から引き起こされる要因を探しだす事で解決する指針ができます。

事象に対して自己完結した結果が自己や他者によって誇張されていればいるほど次回のダメージがどんどん深刻になり、かつ、深刻なダメージを負うとさらに事象を誇張するため精神のデフレが始まるわけですな。経験者は語りますがこれが良くない、どこでもドアならぬどこまでもドツボ状態に突入するとまあ後はズブズブ不毛な場所に埋もれていくだけでして、はい。

これぞ真の脳筋

それでは、はてさて、どうすれば理力が鍛えられるかについて、20年間の記録から算出された結果がこれです!

ドン!!!!!

常に考え続ける事しかないです♪

全てに?を表示させながら生きていく、つまり脳の筋トレですね。継続する事で強くなりますが、一定期間継続しないとトレーニングのクセが付かないためクセがついていない状態でやめると一瞬でバカボンになることも実証済みです・・・トホホ(泣)。

そして今日も玉ネギの芯を見つめる

例外無く性格上の考えや今までの人生の中で沈殿している無責任な自己・他者の評価から生み出される表面的な思考モドキ”多分”を人生の問題におけるソリューションのツールとして利用するのはギャンブル過ぎて正直私の人生では糞の役にも立たなかったのですが起きた事象について淡々と真面目に考え解決するのは正直つまらない時もあるのでそんな時、感情を勘定にいれると(韻を踏ませていただきました)リスクヘッジだけでなくその後の楽しみの為の目印になります。楽しいや好きはなぜなのか、良し悪しではなく、その事象の玉ねぎの芯を発見できればそれがその事象の理の元ですので今日もジッと玉ねぎの芯を見つめながらどうしようか考えております、いずれ大概の玉ねぎが処理できれば人生のリスクを回避しロハスロハスな人生を送れると信じて今回の雑記はここまで。おしまい

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