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無職、妊婦連れの20代の若者が、沖縄に移住してホワイト企業に転職した話

はじめまして。元リクパパ(Twitterアカウント)と申します。

東京で仕事をしていたら、沖縄出身の嫁が妊娠。里帰り出産することになった20代が、田舎で給与平均の激低な沖縄県で、なんとか一馬力、嫁専業主婦で子ども1人、18時帰りののホワイト企業に転職できた経験を書いていこうと思います。

まずは自己紹介がてら、ちょっとだけ職歴を書いていこうと思います。沖縄転職から読みたいからはスクロールしてください。

◆実は新卒の就職活動自体は、失敗組。

いわゆる「Fラン」大学出身で、大卒の資格はあるけど就職市場での価値は低い学生でした。初めての就活は大学に来た就職エージェント頼みで、従業員60人程度の卸会社に就職しました。でもそこはいわゆる「ブラック企業」。

出勤時間は午前8時半なんですが、毎朝8時前に出社して資材の在庫作業をしなければならない会社。当然、残業代があるわけでもなく、社員同士の雑談といえば「次は誰が辞めるんだろうな」「あの人辞めるんじゃないか」というような会社でした。ですから、すぐに転職について考え始めました。

◆「キャリア・リベンジ」でリクルートへ

初めての転職は大手人材会社へ。前職での担当は有形商材を扱う「ルート営業」だったので、キャリアアップのために、真逆の無形商材を扱う「新規獲得営業」をしてみたいと思ったのがきっかけです。広告業界など、無形商材を扱う営業は、成果が上がればそのまま給与に反映される企業が多いが、その分大変だという認識はありました。

まず「第2新卒」の募集をうっていた求人サイトに登録して、転職エージェントにつなげてもらいました。転職は、エージェントにつながるのが一番楽です。その時つながったのが、たまたま同社での勤務経験があるエージェントでした。同社独特の面接の対策をすることができて、情報収集を始めて2カ月ぐらいで転職することができました。面接は3社受けたんですが、元々憧れもありましたし、一番早く内定をくれたこの会社に決めました。

私のように、新卒の就職で失敗した人、思ったよりうまくいかなかった人にとっては「第2新卒」はチャンスです。ビジネスマナーを知っているし、ある程度経験もあるから人材育成の基本的なコストがかからない第2新卒。2.3年働いた意欲のある若者は「もっとモチベーション高く働きたい」と考えて転職する人も多いし、特にベンチャー企業はそういう人材を欲しがっています。

転職を考えている求職者側にとっては「キャリア・リベンジ」できるメリットもあります。新卒で失敗した分を取り返す逆転を狙うのに最適です。逆に一度新卒で大手企業などに入って、キツイからそこから転職し、働きやすいところを探そうとしても、それは当人の希望も含めて、すべてを叶えることは難しいことが多い。特に給与は下がりがちですからね。私の場合も、転職した大手人材会社から、さらにルート営業の仕事に転職する時は大変でした。

◆退職と妊娠ー嫁の実家、未知の沖縄へ

大手人材会社から再び転職しようと決めたのは激務で体調を崩したことが理由です。その会社にて配属になった部署は、長く在籍している人でも3年で辞めてしまうような激務でした。私には同期が30人いたんですが、私が辞めた時には、同期はすでに半分もいませんでした。

残っていたのは、きついことで有名な外資系金融や国内の生命保険会社から転職した人たちぐらい。そういう人たちは元々さらにストレスフルな会社から転職してきたので「ここはまだまし」と言っていましたね。この会社も、もともとそういう新陳代謝でやっているから、常に求人していて、私が辞めるときもあっさりしたものでした。

いったんその会社を辞めて、別の会社に転職したが、入ってみると、募集していた内容と仕事が全然違う。そういう雇用のミスマッチって実はよくあることなんですが、当時の私はメンタルがやられていて、2度目の転職にも関わらずエージェントの言いなりになって失敗しました。「1度転職に成功した人でも、次も上手く行くとは限らない」のが転職の難しいところだと思います。

そんな時に同棲していた彼女の妊娠が分かりました。彼女も東京で働いていたんですが、2人とも地方から東京に出てきた身。東京で子育てするイメージが湧かなくて。彼女が里帰り出産のため沖縄に戻ったことをきっかけに、私もついて行くことに決めました。

◆「勝ち筋」を見つけて、沖縄求人市場と戦う

一種の賭けのような面は多分にあったんですが、転職を重ねた自分の経験と、東京で沖縄関連のの求人情報を収集していく中で、自分にとっての「勝ち筋」を見つけることができました。万全というわけではないが、このぐらいあれば沖縄に行っても大丈夫だろうという勝算みたいなものを見極めて沖縄にやって来ました。

「勝ち筋」を見つけるために役立った情報源は求人サイトです、4つのサイトを閲覧していました。求人サイトでは幅広く、安く、求人情報が得られるのが特徴です。当時、これらのサイトに載っていた沖縄関係の求人は300件くらい。

そのうち10~20件が毎日更新されていました。沖縄に行く前2カ月弱くらいこうしたサイトを見て、沖縄での求人のポイントをとらえました。それと自分の市場的価値を見極めること。それが「勝ち筋」です。

沖縄の求人は総じて給与が低いといえます。求人は大きく8つに分類され、①ホテル、②運送、③介護・看護、④不動産系、⑤IT、⑥コールセンター、⑦技術系、⑧本土メーカー。⑧は沖縄で求人を出しますが、採用は福岡、熊本などが多くて、実際には沖縄での就職につながらないことが多いです。しかし給与面は8つの分類の中で断トツに高いのが特徴です。

ほかの職種は基本的に給与が安いのですが、中でも運送や介護、看護、コールセンターは安かった。技術系はある程度の給与がありますが、枠が少ないし、未経験の人は入れません。その中で私にとっての沖縄での「勝ち筋」は当初、不動産系だと踏んでいました。ある程度収入があって、営業で経験を積んできた私の経験とも合致するからです。

◆リアルの転職と大失敗

一方、東京には沖縄に強いエージェントはいませんでした。今もおそらくいないと思います。本来、企業と求職者を橋渡ししてくれるエージェントを使う方が転職は楽なのですが、沖縄に限らず地方の求人はエージェントが情報を持っていないことが多いです。東京でのエージェントの情報は知識の足しにする程度にして、基本的には求人サイトから情報を集めていました。

沖縄へ転職するにあたり困ったのが、「沖縄で面接したい」という企業側の要望でした。東京から面接ごとに行き来すると費用がかかるし、働きながら転職活動している人にとっては、日程を確保することも難しい。新型コロナウイルスの感染拡大でリモートが当たり前になった今なら、オンライン面接をしてくれる企業も多いが、当時はそういう企業はありませんでした。彼女の両親からも「沖縄で就職活動したほうがいい」と言われて、東京では情報収集にとどめて沖縄にやって来ました。

沖縄への転職で一つ失敗したと思ったのが、失業保険です。都市から地方へ転職する人の多くは、私のように都会での長時間労働に疲れて転職を決めるというのが定石で、多くは会社都合で退職し、失業保険をもらいながら転職活動します。しかし私は失業保険をもらうことができませんでした。私の会社は紙のタイムカードで労働時間を管理していたんですが、時間記入をミスして修正した分の残業を認めてもらえなかったためです。それを引くと残業時間に満たないといわれて、会社都合の失業とはなりませんでした。失業保険を受給できなかった私には、沖縄に来た時、家も、車もありませんでした。彼女の実家に身を寄せての転職活動がはじまりました。

意外だと思われるかもしれませんが、沖縄で新たに始めた求職活動は、ハローワークに通うことでした。沖縄で転職活動をして気付いたのですが、沖縄の企業はあまり市場に求人を出さない会社が目立ちます。人のつながりで人材を探してる会社が多く、求人サイトにも載っていない未公開の求人が沖縄には多いんです。こうした未公開や最新の求人にどれだけアクセスできるかが、沖縄での転職の成功の秘訣だと言えます。

◆ハロワーク担当者に「営業」をかける作戦

私の場合は、ハローワークの担当者に「営業」をかけました。自分の情報はすべて与えて、紹介された面接は必ず行くようにしました。ハローワークの担当者はエージェントと違い、あっせんした就職が決まっても個人の成績になるわけではないんですが、「あの担当さんはよく決まるらしい」とうわさになるんです(と現地で聞いた)

だから私は、例え自分の就職が決まらなくても、面接を受けた結果「あの企業はこういう人が欲しいらしいので、次はこういう人を充ててあげてください」という情報を担当者に還元するようにしました。そしたら、「こいつは熱心だな」となって、担当者が最新の求人を回してくれるようになります。そうして得たのが今の会社の求人です。

沖縄では4社の面接を受けました。その中で、国内シェアが大きく、業績が安定していること、ルート営業に就ける、転勤がないーという最高の求人条件だったので、今の会社を選びました。給与もなんとか私一馬力で、妻は専業主婦、子ども1人の3人で生活できるくらいには貰えています。営業職に就きたいという希望は一貫してありました。有形商材であっても無形商材でも、私が続けてきたのは営業という仕事でしたから。この「キャリアの軸」を持っていることが、私の強みになったと思います。営業職が欲しいという会社のニーズと一致できたのです。

今の会社は、県内で比較的待遇のよい本土メーカーでありながら、転勤がありません。会社側は沖縄で働き続けられる人を人づてで探していたが、なかなか見つからず、ハローワークへの求人を出したばかりでした。私は他県出身ですが、「沖縄で働き続けて、沖縄のお客様と密接に仕事していきたい」という意思が採用担当者側にささったようです。希望していたルート営業の仕事に就いた現在、仕事も家庭も充実しています。

◆元リクパパの沖縄転職「成功の五カ条」

1、自分なりの「勝ち筋」を見つけるなど、周到な下準備で挑むこと(移住組に少なからずいますが、いきなりきて仕事を見つけようとするのは自爆行為)
2、キャリアに軸を持っていること(自分の強み)
3、未公開や最新の求人にあたる(ハローワーク担当者やエージェントに蜜に連絡を取る)
4、そのためにいくつもの手段を組み合わせて求職活動の質を高める
5、地方と都会の採用の評価の基準には差があることを知る(↓具体例)

「地方と都会の評価基準の差」というのは、大手企業で働いた経験があるなど、よいキャリアの人が、地方でよい仕事もらえるかというと一概にそうは言えないところです。これは地方への転職の醍醐味です。東京や大阪で実績をあげていても、30代だと、地方の企業には「扱いきれるのか」と思われてしまうこともあります。「すごすぎる人がきても、うちの会社になじめないんじゃないか」「見合う給与が払えないんじゃないか」など。そこには地方の力学が働きます。逆に20代後半までで、経験をほどよく積んでいるという人ぐらいが地方への転職に向いている。私は意図せず、そのうまみを享受できました。

沖縄での面接で、何度も繰り返し言われたのが「沖縄にどのくらい定住する気持ちがあるのか」ということでした。これは沖縄に特有かもしれませんね。「どうせ3~5年くらいしたらいなくなっちゃうんでしょ」と言われたことも(笑)。私の場合は、妻が沖縄出身であるということが安心感を与えられたポイントでした。「定住する」という意思を伝えることも重要です。ここをしっかり伝えることで、採用担当者に最後をひと押しができます。安心して、不安要素をつぶしておくのです。

◆最後に

長くなりましたが、やはり「地方への移住・転職は簡単ではない」というのが実感です。来る前にしっかり求人サイトに張り付き、傾向と対策を調べ、可能なら来る前に地方のエージェントに登録したりもいいでしょう。

あと退職する前に、自分がいま住んでいるエリアのハローワークに行って「このタイムカードや記録で、会社都合で辞められるか」をしっかり確認しましょう。自己都合退職と会社都合退職は、転職活動を支える基礎。天と地の差です。必ず確認しましょう。

また、それらを総合して「タイミングを見計らう」ことだとおもいます。私の場合はもう子どもが産まれるので、急いでなにもかも準備が必要でしたが、そうでない場合、単純にUターン、Jターンなどを考えている場合は、景気や季節による求人の増減や、自分のタイミングなどを図りながらの移住・転職が一番です。

長くなりましたが、もし実際に同じように沖縄への移住、沖縄への転職を考えている方がいれば、相談にも乗りますし、沖縄のエージェントも紹介できます。TwitterアカウントまでDM気軽にご連絡ください。ちなみにこの2年で3人ほどご相談を受けました。

読んでいただいて、ありがとうございました。元リクパパでした。

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