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それまでの人生全てををひっくり返された30分の話

「企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなる程情報化されていない近未来ーーー。」攻殻機動隊序文

Twitterでも親の小言より言ってますが、攻殻SACの第二話「暴走の証明」が好きです。大好きです。もはや人生の血肉です。

当時確かSACは日テレの深夜で有料放送版の再放送の形として放映されていました。TV版オリジナルのOP、GET9のかっこよさったら無い。既に放送済みだからこそ出来る作中のシーンを贅沢に使った総集編のようなCOOOLなオープニング。

しかし覚えている限り最初に見たのは、なだらかな道を田んぼを背景に車のような機械がスイ〜と動いていく奇妙な光景でした。剣菱で暴走した戦車を9課が追いかけていく場面。そこで少佐が「我々は攻殻機動隊だ」と名乗ります。実はこれかなりのレアシーンで、少佐が自ら9科という通称を名乗らず恐らくは書類上の正式舞台名を名乗るんです。多分ここしかないです。多分(自身薄い)

それでまあ、当時既に攻殻はヲタクなら名前を聞いたことあるというかコアなファンには人気だったからこそのSACアニメだったんだと思います。

暗い部屋でブラウン管に映る景色をボンヤリ見ていました。途中から見たから話もよく分からないし専門用語も多い。ただ分かるのはこのアニメは絶対面白いから目が離せないということだけでした。

話は進み、概要がだんだんと見えて来ます。ああ、あの戦車の中の人は家に帰りたいのか。帰りたいような家があるのか。羨ましいな。そんなようなことをぼんやりと思っていました。

私は宗教は人を幸せにする為に存在しています。だから、宗教の為に死ぬなんて馬鹿げている。ましてや自分が信じている訳ではないのに...加護タケシに、生まれた家のせいでままならない自分を重ねました。宗教も、政党さえも強制され、恐ろしい家父に誰も逆らえないで怯えている。私にとっては収容所のような家でした。だからこれは、私の物語だと思ったのです。正しくは私のような人間に向けて、誰かが丁寧に大切に拵えた物語なんだと。

見終わった後、私はボロボロに泣いていました。理由は、その時は分かりませんでした。ただアニメを見て「悲しい」以外で泣くのは、生まれて初めてだったんだと思います。その夜、私の人生の全てはたった30分でひっくり返されました。たった30分のアニメーションが、それまで生きて来て硬っていた何かを破壊してしまったのです。恐ろしいと思いました。虚構が現実に勝る、というのを身をもって知ったからです。

その数年後、私は家を出ました。周りからはお前には無理だと嗤われました。見送りには母しか来ませんでした。私はふと加護タケシを思い出しました。私は戦車になったらここに帰ってくるんだろうかと思いました。誰にも負けない強い鋼の体を、誇らしげに見せようとしたのか。それとも本当に両親を恨んでいたのか。結局その時の私には分かりませんでした。

あれから20年以上経ちました。あんなに帰りたくなかった家に、私は帰ってきました。戦車にもなれず何者にもなれず、身も心もすり減りボロボロになった私を、あんなに恐ろしかった祖父は黙ってまた迎え入れてくれました。

私には息子が居ます。もし息子が今すぐ義体化が必要になったら、私は迷うことなくそちらを選ぶでしょう。命より大切な教義なんてクソ喰らえだと思います。だから加護タケシの母親の気持ちは百遍生まれ変わっても永遠に分かりません。ただ息子の忘れ形見の小さな戦車を手に抱えた老いた母親は、ひどく哀れに見えました。憐憫に値します。それでもそんな両親が大切にした宗教を大切にして亡くなった加護タケシの、愛憎見える人間臭さがずっと私を捕らえて離さないのです。

何遍も言いますが、私は人を不幸にするような宗教なんかこの世から一切合切消えることを願います。加護タケシのような、家に歪められた不幸な人間が生まれないことを願います。願うしか出来ない。無力だから。

なんだかしんみりしてしまいましたし、これ書いている途中も色々な感情から泣いてしまいました。歳を取ると涙っぽくてやーね。でも私は泣かない人間より泣く人間の方が人間臭くて好きやんね。世界が早く平和になりますように。おしまい。

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