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何故…作詞家だったのか? ④

出来事に追い付けない感覚

まだ半信半疑なまま

 その後、確か一週間も経たない内に酒井氏からの電話がありました。秘書の女性からの言葉に先ず緊張し、酒井氏が電話口に出られるまでのほんの数秒、何と言われるのか? 胸の鼓動が…という感じです。
「初めまして、酒井です、今ご迷惑じゃないですか?」という何ともジェントルな鉄人に、この度も大変恐縮したものです。若松氏と同様に物腰柔らかな声、少し早めなテンポの口調が印象的でした。ある程度のお歳だとは言え、この業界にもこういった方々がいらっしゃるのかと、それもまた驚きでした。話しの主旨は、全て若松氏から聞いている旨、一度オフィスに…というご指示で、私はただ「はい」「承知しました」「宜しくお願いします」程度のことしか言えなかったと思いますが、それで用件が足りてしまう位にシンプルなやり取りだった気がします。

いざ、市ヶ谷へ出陣

 市ヶ谷のCBS SONY本社屋は、当時 “黒ビル” と呼ばれたその愛称通りに黒い色をした、比較的コンパクトな建物でした。何階だったか、フロアーの一番奥、簡易に仕切られたスペースに「酒井制作室」はあり、その途中にはカセットテープやCD、書類等が山積みになったデスクが並んでいて、皆さん忙しそうにされていたように思います。
 先頃お亡くなりになった際も、数々のメディアでニュースにもなりましたし、容姿やお人柄はご存じの方も多いかと思います。ソファーの前に立ったままの私に名刺を差し出し、「コーヒーがいいですか? お茶がいいですか?」と言われ、「タバコは吸わないの?」などとても気さくな方でした。喫煙者だった私も、流石に「はい、では…」とタバコに火をつける訳にもいかず、またまた「はい」と「いえ…」位しか言えなかったと思います。
 「取り敢えず一度お会いしようと思って、今日はご挨拶ということで来て頂きました。」
 それ以外に詞に関する会話は全くなく、他愛もない会話を交わした最後に、
「詞は見せてもらいましたよ。これは貴方の宝物だからお返しします。」と例のボリュームたっぷりの封筒を渡されました。
そして、
「今日はありがとう、何かあればまた連絡します。」という言葉に私は、「ああ、この瞬間が今回のゴールだったんだなぁ」と感じながら黒ビルを出ました。元同僚からの依頼に筋を通してのことか、それでも、形だけでも、そんな著名な方にお会い出来たのはいい思い出になるなと、ある意味充分満足な気分でしたし、ここまでして下さったお二方に大変感謝も感じました。

そして日常へ…我に返るや否や

 よく聞く「何かあれば連絡を…」は、お断りに優しい常套句だと認識していましたから、改めてコツコツ営業を続けようと、逆に勇気を頂けたのかもしれません。
 翌日からマネジメント業務をこなす日常に戻りました。そのほんの半月後に起こる驚くべき出来事など、予想出来るはずもないままに。

また続きを書きます。

 




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