見出し画像

2012年誕生日に書いた事
夕方帰宅すると母より電話があった「誕生日だね!おめでとう!」と一言。この世に出てきてから流石に言えないほどの年月が流れたが、88歳近い母はちゃんと覚えている。ありがたい事だ!母は自分の事はさておいて「最近体調はどうだ?」「ちゃんと食べられる様になったか?」とちょうど二年前に僕がした手術の経過を心配している...。思わずそっちの方は大丈夫か?と切り替えした。流石に88ともなれば、そこらじゅうがやれている。ひとしきり話を聞いて元気であることを確認して、今日の電話は終わった。そして、今日一番嬉しい電話だった^^

今日の電話で、最近、DVDで見た「みんな元気」という作品を思い出した。ストーリーは妻を亡くして初めて大人になった子供達と自分が疎遠になってしまったことに気づいた父が、再び絆を深めようと実家に集まるようにセッティングするが子供たちにドタキャンされてしまう。そこで、自分が子供達を訪ねて驚かそうと旅に出掛ける...。ロバート・デ・ニーロをはじめ豪華キャストが勢揃いなのに、劇場未公開となってしまってもったいない作品。この中で会いに行った子供達は皆おとなになってなっているんだけど、父親に映る姿は子供のままというシーンがいくつも出てくる。きっと僕の母にもそんな風に僕は映っているのかもしれないと思った。

2016年誕生日に書いた事
今年92歳になった母よりお祝いの電話があった。子供の誕生日には必ず電話をくれる事に感謝です。

「お前は生まれた時泣かなかった...慌てて医者を呼んで注射を打ったり、叩いたりしたら(笑い)やっと泣いてホッとしたんだよ」と....この話は以前にも聞いたことがあるけど、どんだけ心配したか話していた。

「小さい頃、誕生日に卓袱台の脇においてあった、味噌汁の鍋をひっくり返して足に大やけどをして誕生日どころではない大騒ぎになった」と...今でもその火傷痕は右足にある。

「高校生の頃は学生運動にハマり成田空港反対のロックフェスに出掛け、一晩家に帰ってこなかった時はホント心配したんだよ」と...その後、この成田空港は便利に使わせていただきましたが...

「25の時、突然アメリカに行くといった時は、なんでそんな遠くに行くんだと悲しんだと...でも、夢をかなえることが出きるならと応援した」と...

画像1
母の手

                                                          わたしは6年前の今日は病院のベットで迎えました。あれから元気で生きていますが、もう太ることは出来ないと宣告され、元々痩せなのにいまだ体重は10k減ったまま。もう体重が増えることはないことにショックは受けたが、少しづつ食べ続けること(笑い)で体調は維持できそうです。骨皮筋衛門(笑い)顔はコケ、髪は細くなりそして白髪、まるで猿のようなシワ(笑い)も沢山増えました。

2020年の誕生日に書いた事
珈琲を飲みながら振り返った。
困難に差し掛かった時、思わぬ力に助けられた事を思い出す。それも一回ではない。そして生き残った。
信じるか信じないかは自由。道を間違えそうになった時、危険が迫った時に助けが入る。誰から?いやいや見えない。
そして、覚悟を決めて決断した時、助けが入る。そしてことは良い方向に流れていく。中途半端な決断 では現れない。
中には見える究極の助っ人もいる。妻だ。突然現れ、32年間支えてくれ、そして去っていった。いやいや感謝しかない。

この世は一つの舞台だ。
 すべての男も女も役者にすぎない。
 それぞれ舞台に登場しては、消えていく。
 人はその時々にいろいろな役を演じるのだ
シエクスピア

2022年6月13日、誕生日に残しておく言葉
母は5年前に亡くなった。妻は4年前に亡くなった。
それでも人生は続く

昨日、昔同じ職場で働いてた同僚から電話があった。
まず話すことは最近調子どう?!
開口一番これだ。きっと其内安否確認に変わるかもしれない(笑い)
結局、終始体調の悪さ比べ(笑い)の話をしてしまう事になる。

そんな私でも幾つになっても夢はある。今その夢に向かっているのだが、昔に比べるとペースがおそくなった。それでも焦る気もなくマイペースで行けるような年令になったと言う事か、若い時は何であんなに突っ走っていたんだろう、今より残りの人生は沢山あったのに。

誕生日には妻がコロッケを作ってくれたことはもう話したけど、結局作ったのはトマトソースのパスタにフレンチポテトサラダとバゲットだった。妻のの手作りコロッケが恋しい。

Photographer higehiro

Twitter higehiro134

instagram higehiro

Youtube 134higehiro


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?