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明日もコロッケ/ 孤独の自炊日記

子供の頃学校から帰えると近所の食堂にコロッケを買いに行った。
記憶が曖昧だが食堂が揚げ物を売っていたのか、肉も売っていたのかもう覚えていない。

確かに言えるのは子供の小遣いでも買える値段だったことだ。10円とか20円とかそんな値段だった。私が買いに行ったコロッケはカレー風味が付いていてソース無しでいけるごちそうだ。小さな袋に揚げたてを一つ入れて貰い、ホクホクのコロッケをハフハフ言いながら、まだ賑わっていた昭和の商店街を歩いた。コロッケの他にもこれも又懐かしいハムカツ、メンチカツも時折買っていたが戻るところはこのカレーコロッケだった。子供がカレーが嫌いなわけがない。そして忘れられない味となる。

時はずーっとずーっと後の1986年新婚の頃、妻が私の誕生日に何が食べたいか聞いたので、迷わずコロッケと答えた。その日帰宅するとコロッケがテーブルに沢山揚がっていた。誕生日のディナーにコロッケ、素朴な夫婦である。でも、新婚当時はアメリカ暮らし、日本のコロッケは暫くたべていなかった私に高級ディナーに思えた。そして妻の作っったコロッケは多少形が崩れていはいたが生涯忘れない味となった。

そしてまたまた時は過ぎ2009年頃、妻は相変わらず気が向くとコロッケを作ってくれた。手作りのコロッケはスーパーやお肉屋さんのそれとは違う。当たり前だがひき肉も多めでコストのかかり具合が違うから旨いに決まっている。そして新婚の頃とは大違いの完璧なオリジナルコロッケが食卓に出てきた。

2010年、僕は胃癌になり全摘という絶望のどん底に落ちたが妻の励ましでどうにか生還した。その頃はCafe経営をやめカメラマンを仕事としていたので、朝から晩まで仕事で家を空けることはなく、二人の時間を楽しめる生活になっていた。お互いこれからもずっと妻のコロッケを食べていけるんだと老後の話をしながらゆったりとした時間楽しんでいた。

しかし、それは突然やって来た。2014年、妻は私と同じ胃がんになり一部を残して摘出、どうにか生還したが2017年秋、癌は大腸に転移、腹膜播種も伴い、最後の2ヶ月は殆ど食事を摂ることが出来ないまで衰退し、2018年秋、私が見守る中、自宅で帰らぬ人となった。私も胃を全摘して普通に食事は摂れず体力がなくなったので、妻の日に日に小さくなる身体、そして壮絶な最期を迎えるのは想像を絶する辛い事だったろうと思うと、今でもトラウマ様に心が締め付けられる。

これから二人で穏やかな生活を始めようという矢先だった。何で私達がと天に叫んだ。それから1年近く悲しみが続き何も手につかない状況だった。

2020年、コロナが始まって仕事が激減した頃、このまま引き篭もっていてはいけないと思い立ち、Youtubeで料理動画を配信始めた。色々なものを作ってアップしたが、その中でも好きな料理動画はやはりコロッケだ。生涯を通じて節目節目でコロッケはいつも私を励ましてくれる。

youtubeの自炊動画は下記のyoutubeリンクよりご覧ください。


それは小さい頃の思い出の味であり、妻の得意料理であり、そして今では僕の得意料理になった。気が向くと作りたくなるコロッケ、これからどんなドラマを作ってくれるのだろうか。願わくば楽しい思い出であってほしい。

コロッケは一度に6個は出来るから3日は食べることになる。サクッとした揚げたては確かに一番美味しいが、冷蔵庫で一晩寝かせ温め直して食べるのもそれはそれで美味しい。

昭和歌謡に”五月みどり”の「コロッケの歌」というのがあった。
今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケコロッケ♪

photographer higehiro
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