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エッセイ / 日々感じたことを写真と共に徒然に

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書きたい気持ちを徒然に。
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#エッセイ

ある日の独り言

遅い午後16時散歩に出る。少し風が出てきて寒い。 今晩何作ろ?そんな事は2017年の秋まではたまにしか考えなかった。男の気まぐれ料理ってやつ。 一緒に夕方の散歩していると、妻は途中で買い物に行くからとスーパーに向かって行った。僕はと言えば呑気に夕日を撮っていた。1時間程して帰宅しドアを開けるといい匂いがしていたものだ。おっ!今日はおでんだな...。 ふと我に返り、今日の夕食を考える。 こんにゃく、ごぼう、人参はある。きんぴらを作ろう!スーパーで買ったコロッケもある、そ

早起きは三文の徳 ?/ 茅ヶ崎柳島の朝

かれこれ3年ぶりくらいだろうか?辻堂からチャリで茅ヶ崎柳島海岸へ! この季節、朝日が海に戻ってくるのでお気に入りのスポット目指して出かけた。 いい感じに朝日がシルエットを作り出している。 6時台はラジオ体操にシルバー世代が集まってくる。まぁ〜私ももう少しで足を突っ込みますがね。 望遠レンズで撮影していると、おばちゃんが寄ってきて「どんな写真撮ってるの」と言うからモニターを見せた。老眼らしく眼鏡を引っ張り出して覗き込んだ。「へぇ〜いつも通っている道が南国みたいだね〜」と言っ

妻の命日に思う

10/7、寒い雨の日、妻の命日でした。静かに海側の窓から散骨した海の方に手を合わせました。雨粒が窓に当たり涙しているようにも見えます。あっという間に月日は4年も流れています。 自宅で過ごしたいという妻の希望が叶うよう介護ベット、介護士さん、緩和ケアーの医師等を手配して万全の体制で最期3ヶ月を過ごしました。 私としては未だに最善の事ができたのか、妻の苦しみを少しは分かってあげられたのか、未だに後悔ばかりです。2018年10/7 永眠する時は鎮痛剤の影響で話も出来ずにお別れし

ハッシュドブラウンポテトは朝の味

アメリカ大陸を横断したことがある。 フロリダから10号線を走り、LAへ、そこからRT101でサンフランシスコまで。 横断中の食事はロードサイドのレストランで安い朝食を食べた。そして、多くの朝食をこのハッシュブラウンとパンケーキ、アメリカンコーヒーで済ませた。よくも飽きずに食べたものだと今は思い出す。そして量がゴジラにでも食べさせるのかという量!これには流石の痩せのお大食いだった私にもむりだった。周りのテーブルを観ても皆少し残している。 今となってはあのロードサイドレストラ

BOYS OF SUMMER / Essay

7時西に向かって遊歩道を歩きだすと背中が焼けるように暑い!もっと早い時間じゃないときつい季節だな。 しばらく歩いていると久々に仲間に会った。しばしおしゃべり。 そっか、今はお盆休みなんだろうかと思った。 立秋を過ぎても近年は暑さは収まらないどころか益々気温上がっていく。気がつくと暑いのが苦手になっている。 浜須賀に着く頃にはもう汗だくだった。 僕が海のそばに暮らし始めたのは1974年だったと思う。それまでは東京で”神田川の世界”に暮らしていた。その頃付き合っていた彼

写真を撮り続けるという事

デジタルカメラを使い始めて20年以上の時が流れた。 初めは海の風景写真を毎日撮ってはSNSに日に数枚単位で載せていた。 少しづつ地元の人を中心に観てくれる人も増え、12年前には期間限定(3ヶ月)だったが小さなギャラリーを開き販売するまでになった。自らプリントにこだわり額装しての販売はとても良い経験になり自信にも繋がった。 higehiro flickr archives 画像をクリックするとサイトに飛びます。 カフェ経営から写真家に転向するきっかけは癌だった。12年前の6

読書とcaféの微妙な関係 / カフェに纏わるエピソード

カフェで読書、なんてお洒落なんでしょ、一人ゆっくりお茶しながら誰にも邪魔されずゆっくり本を開く至宝のひととき。想像しただけで本好きにはたまらない場所です。 お店側としてもアイドルタイムに優雅に空いているお店で読書している姿はイメージ的にも良いです。 しかし、現実はそうでもありません!午後の昼下がり、おしゃべりを楽しみに来るお客様もいます。お店側としてはその方々も大切なお客様です。カフェはそういう場所でもありますからウエルカムです。 すると読書している人達には途端に居心

誕生日の備忘録

2012年誕生日に書いた事 夕方帰宅すると母より電話があった「誕生日だね!おめでとう!」と一言。この世に出てきてから流石に言えないほどの年月が流れたが、88歳近い母はちゃんと覚えている。ありがたい事だ!母は自分の事はさておいて「最近体調はどうだ?」「ちゃんと食べられる様になったか?」とちょうど二年前に僕がした手術の経過を心配している...。思わずそっちの方は大丈夫か?と切り替えした。流石に88ともなれば、そこらじゅうがやれている。ひとしきり話を聞いて元気であることを確認して、

バラッドを一曲 / CAFEを経営していた頃のエピソード3

もうかれこれ30年近く前の話です。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ランチが終わって一段落の午後3時、私のランチタイムが始まる。 いつも簡単に済ませることが多い。軽く食べ珈琲を飲みながら本を読んでいると常連の Tさんが入ってきた。Cafeをやっていると素敵な女性達とも友だちになれる。 彼女は雑誌棚から女性誌を選びカウンターに座りバナナクリームパイとアッサムティーにミルクを注文した。 雑誌を見ているのか見てないのかパラパラ。 そして一言「求婚

文化は30年サイクルで更新されてゆく?

まず上の写真を見ていただこう。これは私が所有して30年以上経つ本達の一部だ。片岡義男と言えば「彼のオートバイ、彼女の島」「スローなブギにしてくれ」が有名だが誰に貸したか忘れたが、いつのまにか本棚から消えている。ちなみに映画化もされたようだが、その頃、国外にいたので観ていない。そして、ご多分にもれず私も大型バイク(CB450 K1)に乗っていた...。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 私には一世代違いのお友達も多い。SNSの流行で知り合った人もいる

叔母が80歳の時に残した自分史から考える先代からの言葉。

昔話し 昔ね、あるところにお爺さんがいました...。って、いつ頃の昔なのか?そんなことをふと思った。 僕が昔話をする時、世相を語ると言うより自分の私的体験や親、親類、縁者、師、御先祖様から教えて頂いた事がほとんどだ。 考えて見ると、私の昔はそんなに遠い昔ではない。精々遡れても55年位前の話だろう!いや、ちゃんと自覚して行動した経験からくるものは、自分の足で歩き出したのが18歳とすると半世紀で、まだまだ大した歴史もない。それでも昔話をすると若い人に嫌われるというが「昔は良

手書きの日記を続ける意味 / 家計簿から始まり、日記そしてnoteにたどり着く。

日記というからには毎日付ける。 当たり前の事だがこれが中々難しい。今まで続いた試しがない。 そして、いつしか日記帳は机の引き出しから二度と出てこない物となる。 しかし、今回は珍しく七ヶ月書き続けている。有森裕子じゃないけど「初めて自分で自分をほめたいと思います」。 なんで今回は続いているのか、その一つが家計簿と一緒のノートにしているからというのがある。独り身になって家計簿をつけ始めたのが4年前、お金の収支は妻に任せていたのでタッチしていなかったが、これはやらないと家計が大

日本の喫茶店考

喫茶店のメニューの話から始めよう ピーマン、オニオン、マシュルーム、トマトソース、ハム、シュレッドミックスチーズ以上。これは金属の楕円のお皿にのっていたナポリタンスパゲッティーと並んで喫茶店の定番メニュー。そしてタバスコソースは忘れてはいけない。喫茶店にこのメニューがないとがっかりする。そういえばピラフと言う食べ物もあった。 勿論、ハムサンド代表されるサンドイッチ、それもミミは落とされ、薄っぺらのハム、きゅうりとチーズが挟まっていたやつ。確か辛子バターが塗ってあり、色付け

孤独のサンドイッチ

子供の頃、日曜日の朝食といえば兄弟で作るハムとキャベツの炒め物に食パンと言うが定番メニーだった。両親が文房具と本の店を経営していて日曜日は忙しいというのもあったが、仕方なく自分たちで作らなければならないとうのが本当のところだった。そのキャベツとハムの炒めものは生涯の僕の定番メニューとなる。どうも兄もそうらしい。 時は経ち1976年頃、アメリカは建国200年で盛り上がっていた。 そんな中、代官山ヒルサイドテラスにバカ高いサンドイッチ屋あると、噂で聞いた。早速、電車に乗って葉山