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叔母が80歳の時に残した自分史から考える先代からの言葉。

昔話し

昔ね、あるところにお爺さんがいました...。って、いつ頃の昔なのか?そんなことをふと思った。

僕が昔話をする時、世相を語ると言うより自分の私的体験や親、親類、縁者、師、御先祖様から教えて頂いた事がほとんどだ。

考えて見ると、私の昔はそんなに遠い昔ではない。精々遡れても55年位前の話だろう!いや、ちゃんと自覚して行動した経験からくるものは、自分の足で歩き出したのが18歳とすると半世紀で、まだまだ大した歴史もない。それでも昔話をすると若い人に嫌われるというが「昔は良かった!」というのは今の時代に失いかけて行く綿々と続く先祖からの日本人の心、文化、風習などを伝えたいからだ。私はただの語り部に過ぎない。けっしてついて行けず、勝負できるのは昔話しかないというだけではないのだ。

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本の整理をしていると叔母が生前の1982年に刊行した自分史が出てきた。それは親戚に配られ僕の元にも届いた。当時その本は本棚にしまわれ、数年前のお正月迄そのままになっていた。叔母さんごめんなさい。パラパラめくってみると、そこには大正生まれの叔母が体験した楽しいこと、悔やまれた事が綴られている。叔母がどんな生活をしていたのか、今まで知り得なかった生涯が少し見えた様に思う。今だから少し叔母が何故この本を残したのか判る年代になった。そしてその本にはなんと私の渡米の時の思い出も記され驚いた。叔母にもっと話を聞いておけば良かったと悔やんでいる。私も自分史を本という形で残したいと思った。

人間、歳を重ねてくると、自分の存在意義を探し出す。それはお金では買えない物。結局、人間は0で始まり0で終わる。そうなると記録として残すのも素敵な作業なのかもしれない。それを子供の居なかった叔母同様、私も甥姪たちが読んで貰えたらこんな嬉しいことはないし、私の生き様を知ってもらい未来のある甥姪の子供達にも伝えてもらえたら幸せだと思っている。

叔母が残した自分史
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叔母が残した自伝の中に私の渡米のことが記されている。

今までの人生で得たもの、失ったものから、次の世代に伝えられるものもあるだろう!そして、生きている限り現役で吠えていたいという気持ちもある。自分一人の経験してきた事は微力かもしれないけど、同じ志を持った仲間がもし100人集まれば凄い力が生まれる。これを今実感したいと思っている。経験は宝、そして経験が少しでも世の中のお役に立てられるのなら最高ではないだろうか。

話はずれるが、SNSの呟きはずっと消えずにインターネットの中に残っていくのだろうか?ここにいた証。それは永遠にネットの世界に生き続けるのだろうか?これも今の時代だからこその問題なんだろう。少し気をつけて発信しないと、末裔たちに笑われてしまうね。

今の夢は叔母のように自分の記録を本という形で残し、国会図書館に置いてもらうことだ(笑)...。

Photpgrapher higehiro
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