記憶
なぜだか不意に、ぼんやりと思い出した。
あれは私が5歳前後のことだろうか。
二人の姉にからかわれて号泣した私を見て、二人は大いに笑った。
それに対して私は泣く姿を見て笑うのは良くないといった旨のようなことを、泣きじゃくりながら言った。それを見た父は笑いながら、その通りだ良くない二人を叱りつけながらも笑っていた。
定かではない記憶だ。
物心がつく前の記憶だ。
こういった幼い頃の記憶は、恐らくだが物心ついた後に家族などから伝聞した情報を元に形作られたんじゃないかと思う。そんな節のある記憶が、これを読んでいるあなたにもあるんじゃないだろうか。
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記憶
ものごとを忘れずに覚えていること、それが定義だとすれば幼い私が号泣しながら訴えたあの出来事は本当に"記憶"といえるのだろうか。
他人から補われた、いや本当はなかったかもしれないことを記憶と呼ぶのだろうか。
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父は、私が10歳になる頃には長期の単身赴任で家を空けていた。
帰ってくるのは夏季休暇か年末年始か。片手で数えられる程度だった。つまり物心ついて以降の父との記憶は多くはない。
自宅には母と、二人の姉と、祖母、4人の女性に対して男であるのは私一人と少し肩身の狭い思いをしていた。なので、父のたまの帰宅はとても嬉しかった。
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願望
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父も母、二人の姉も、祖母もいまだ健在だ。
父はもうすぐ定年退職を迎えて、長かった単身赴任生活から終える。長女は東京に出てしまったが、他の家族は実家にまだ住んでいる。
フットワークの軽い長女のことだ。
その時の時世にもよるが、定年祝いに帰省してくるだろう。
私が物心ついて以降、ちゃんとした形で家族全員が集まる。
もう父は単身赴任で家を空けることはない。
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私がぼんやりと思い出した記憶。
定かではない記憶。
これは記憶ではないのかもしれない。
家族が揃ったあの瞬間を、望んだもの。願望なのかもしれない。
うまく実現できるだろうか。
父はしばらく家を空けていたせいで、家族との接し方が随分と下手になってしまった。また家族も父との接し方を忘れているだろう。
でも私はぼんやりと思い出した。
父との記憶を。
同じように思い出しているだろうか、母は、二人の姉は、祖母は、もう軽い認知症なので無理だろうが。
記憶の中の私は泣いているが、今度はどうだろうか。
うまくいくように私はまた、思い出したい。
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