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お菓子がつなげる人と人

地域で活動されている方のご紹介を通じて、京都市東山区エリアで活動をされている方にお話を伺う企画「iINA」。活動に至ったきっかけや地域活動を通じての変化感など「いいな」と思えるストーリーをお聞きし、新しいことに踏み出したい人が、まちの「いいな」につながるアクションに踏み出すきっかけとなるような発信をしていきます。

今回は、東山区の今熊野で「お菓子工房 12菓月(じゅうにかげつ)」を営むパティシエの近藤香苗(こんどう かなえ)さんにお話を伺いました。福島県から移住された近藤さんが東山で今感じていること、そして、お菓子を通して広げたいものとは…?

福島からドイツ、そして京都へ

ー 近藤さんはパティシエさんだとお聞きしましたが、ご自身でお店をされているんですか?
そうなんです。「お菓子工房12菓月」という工房を持ちました。季節の移り変わりとか、その月ごとの旬の素材とか行事とか、そういうものをお菓子に映し出して作りたいなという思いを込めて名前をつけました。2023年6月からお菓子教室を始めていますが、販売は9月からスタートします。

お菓子工房12菓月の外観

ー 近藤さんは福島県出身だそうですね。
はい。高校卒業後は大阪の辻製菓専門学校に進学して、卒業した後もその学校で教員として働いていたんです。そのあと東京で修行して、地元に戻って自分の教室やお店を持って、繁盛して順調でした。

でも、12年前に東日本大震災が起きて、いろんなことが大きく影響を受けてしまったんです。そんな時に学校の上司が、「また戻って働いたら」と言ってくださり、大阪に戻ってきました。

ー震災は近藤さんにとって大きな転換期だったんですね。
そうですね。原発事故をきっかけにエネルギー問題について興味を持ちはじめたんです。そのつながりで知り合ったドイツ在住の方に「気分転換にドイツのお菓子を食べに来たら?」とお誘いいただきました。日本での閉塞感が大きくなっていたこともあり、思いきってドイツに2ヶ月滞在しました。

その後、ドイツの魅力にハマって何度か行ったんですが、途中で、人生でできるうちにと思い、住むことに決めました。ドイツのお菓子屋で働くには3年の職業訓練が必要なんです。だから、自分の年齢や体力を考えて、日本料理のお店で就労ビザを取って、働きながらオリジナルのお菓子のイベントをしたり、マイスターに個人的にドイツのお菓子を習ったりしていました。とても有意義な経験でした。

住んでいた街は、日系企業が多かったこともあり、日本を好きな人がすごく多かったんですよ。私がドイツなどヨーロッパのお菓子に興味があるように、向こうにも和菓子にすごく興味を持っている方が多かったです。 

私は和菓子職人ではないけれど、製菓学校で和菓子の基礎を学び、京菓子職人さんの教室に通っていた経験もありました。その経験を活かして、あるイベントで和菓子を作ってお出ししたらすごく好評でした。そういうのもすごく勉強になりましたね。海外に行ったことで、より日本人であるということを強く意識するようになりましたし、日本文化である和菓子への思いも強くなりました。

ドイツのイベントで提供した和菓子

ードイツで素敵な学びがあったんですね。そこからどうして東山に?

本当はそのままドイツでお店を出そうと思っていろいろと動いていたんですが、コロナでダメになってしまって、目標を失ってしまったんです。
その後、ご縁があって京都に住むことになりました。ドイツの経験から、より和菓子の文化を知りたくなったことが大きいです。

東山に住まいを移したのは、その頃勤めていた和菓子屋さんが東山区にあって、山が近いのがすごくいいな、と思ったからです。ふるさとの福島も盆地ですし、すごく地形が似ているんですよ。山が低くてなだらかで近いのがほっとすると思って。山がトトロ風ですよね。工房のある今熊野は、ちょっと東に行っただけで急に森みたいな感じになるでしょ。この感じは京都の街中では珍しいんじゃないかと思います。

お菓子が生み出すコミュニケーションを楽しみたい

ー 子どもの頃からパティシエになりたかったんですか?

小さい頃から童話や児童文学に出てくるお菓子作りのシーンが大好きだったんです。「アルプスの少女ハイジ」のとろけるチーズとか、日本だと「ぐりとぐら」のパンケーキとか。今みたいに食文化が多様じゃなかったから、絵本やアニメの影響を受けて、外国の食に対しての感動や憧れが強かったです。

そんな風に思っていたら製菓学校の先生が作ったお菓子の本に、 絵本や童話の中に出てくる憧れのお菓子が再現されているのを見つけたんですよ。もうすっかり心を奪われて、絶対この学校に行く!って決めたんです。

ー お菓子作りって憧れますよね。近藤さんはお菓子を作って販売するだけでなくてお菓子教室をされていますよね?なにか理由があるんですか?

私はもともと、製菓学校に勤めたことがパティシエ人生のスタートで、お菓子教室が自分の独立の第1歩だったので、教室が仕事のベースになっています。生徒さんから『先生のお菓子はおいしいから、お店をしたらいいのに』というありがたい声が増えて来て、販売も始めました。

お客様に買って食べていただくことも大切なんですけれど、テイクアウトだとどうしてもお客様と接している時間が短くて、コミュニケーションが取りづらいですよね。もちろん、地元で8年お店をしていたときは、心に残るたくさんのいいお客様に恵まれましたし、お店だからこそ出会える方も、とても大切に思っています。

お菓子をただ売りたいんじゃなくて、お菓子を通して人とのコミュニケーションを楽しみたい、そんな気持ちが強いんだと思います。

  今熊野の工房兼お店

教室は、みんなで力を合わせて一緒に物を作り上げるところも一方通行じゃないと思うんですよ。私が教えて生徒さんが受け身になるのではなくて、生徒さん自身も作りますし、その場で初めてお会いする方がグループ内でお互いに手伝ったり、洗い物を手分けしたりします。みんなで作って、オーブンから甘い匂いがしてきて、それを仕上げて、お家にそれぞれ持って帰ったり、 職場の方に差し上げたり、お友達にあげたりって。粉と砂糖と卵しかないところから世界が広がりますよね。

パティシエって、特に私は普段狭い世界で生きてるんですよ。あんまり人と関わらなかったりするんですよね。休みも少なく、黙々と朝から作って作って1日が終わる、みたいな。。なので、生徒さんは本当にいろんな方がいらっしゃいますから、 その方のお仕事の話とか、お家の話とか、そういうのを聞くだけでも面白いなと思うんです。

「ぐりとぐら」のような分かち合える場を東山に

ー人と交流する楽しさってありますよね。交流することを楽しみにお店をされていて素敵ですね。
ただ、私はやっぱり移住者なので、 正直今は寂しいです。お店作りも一人でしているとすごく大変ですし、誰にどう頼めばいいのかわからないです。

ー悩みを打ち明けていただいてありがとうございます。実際移住してすぐだと、難しさもありますよね。
ちょっとだけ手伝ってくれる人を募集できるような掲示板みたいなものがあればいいんですが。。地域の人ともっと関わる場として店づくりから関わってもらってもよかったのかなとも思います。一緒にお店のレイアウトを考えたり、DIYしたり。その中でつながりが生まれていけばいいなと思います。

ー 僕も時間が合えばぜひお手伝いに行きますよ!お菓子教室が交流の場になっていくといいですね。最後に、近藤さんは東山でこれからどんなことが起きていくと良いなと思いますか?
ありがとうございます!嬉しいです。東山って京都の街中では珍しく自然が多いですよね。特に今熊野は小さいお子さんの家族も多くて。せっかく緑のあるエリアなので、 おじいちゃんおばあちゃんも集まってワイワイ楽しくできないかなとか思ったりします。おじいちゃんおばあちゃんとかも 1人で暮らしてる方もいらっしゃるでしょうし。そういう世代の違う交流の場は少ないんじゃないですかね。

東山に工房を借りてからオープンまで時間がかかったこともあり、周りの方と知り合う機会もなかったんです。でも、近くのお店の方が気にかけてくださったり、移住者を歓迎してくださるような活動もあって、ありがたいです。これからは地域に馴染んでいきたいと思っています。

「ぐりとぐら」のあのストーリーと一緒じゃないかと思うんです。卵をぐりとぐらが森で見つけて、どうしようかって話し合って。そこで目玉焼きにして2人で食べて終わってもいいかもしれないですけれども、そうじゃなくて、これをカステラにしようって言って、大きいカステラを焼いて。それで、森のみんなが、なんかいい匂いするねって言って、寄ってきて、分けて食べるでしょう。あれがいいなと思って。おいしいね、おいしいねって言って。

多種多様な動物たちが、お菓子を通じてつながって、楽しい時間を共有できるじゃないですか。そういう力がお菓子にはあると思うんですね。「ぐりとぐら」は動物ですけれど、老若男女、小さい子から おじいちゃんおばあちゃんまでっていう風にもあの絵は読めると思うんです。今あんまり世代間の交流もないような気がするし、そうしたこともお菓子を通してできたらいいなって思いますね。

工房に飾っているぐりとぐらの絵

お菓子工房12菓月 教室HP : https://kyoto-12kagetsu.com/lesson/
近藤香苗さん instagram: https://instagram.com/kan_a_e

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