【小説】 もつ煮を食べたい
「もつ煮か……アリだな……」
私は他に誰もいない小さな部屋の片隅で呟いた。
やや生活感にかける整然としたワンルームの一角で、小さめのテレビが煌々と光を放っている。
特に見たい番組があったわけでは無いが、BGMのような感覚でテレビを点けっぱなしにしていた。
眼の前のテレビではグルメ番組が放映されている。
様々な料理が出てくる中で、何故かは分からないがもつ煮に目を引かれた。
画面の中で湯気を放つもつ煮はもつ自身がツヤツヤと輝き、プリッという擬音が聞こえてきそうなくらい肉厚だ。
気が付くと口の中に涎が溜まり、零れ落ちそうになっていた。
決めた。今日の夜ご飯はもつ煮にしよう。
味噌味で少し一味を効かせた感じが良いかな。
もつ煮ならお酒が飲みたいな。
濃い目に味付けて日本酒と共に楽しみたい。
しまった。日本酒を切らしてしまっていたかもしれない。
もつだけではなく日本酒も調達しなければいけない。
そうなるとご飯はいらない。
炊飯器の予約をかけてしまっていたが、炊きあがった白米は冷凍して後日食べることにしよう。
かくして私の頭の中はもつ煮を肴に酒を飲むことに占領されかかっていた。
今日はたまたま気分が乗ったものの、普段ならばもつ煮なんて滅多に作らない。
まずもつの下ごしらえが面倒だ。
洗ったり下茹でしたりと工程が多く、煩雑そのものである。
少しでも美味しく食べるために試行錯誤の末にこうした手順を開拓していった先人達には頭が下がる。
ハズレを引いた場合、下ごしらえをどれだけ頑張っても臭みが残ったりすることがある。
そうなると最悪だ。
下処理に手間暇をかければかけるほど、臭みが残ってしまった時のショックは大きくなる。
あの絶望感は筆舌に尽くしがたい。
どうして臭みが取れない個体が存在するのか。
まず真っ先に考えられるのは鮮度の問題だ。もつは肉よりも足がはやい。
出来る限り新鮮な状態のものを使うことが好ましく、捌きたてに近いほどよい。
今回のもつ煮も、出来るだけ鮮度の良いもつを使用したいものだ。
もつの味を左右する要素として、食べていたものやストレスの影響も大きいかもしれない。
エサやストレスの有無はもつを見ただけでは分からない部分だと思うので、当たりのもつを手に入れられるように祈るばかりだ。
考えただけで若干億劫になりかけてしまったが、今晩はもつ煮と決めたのだ。
一度決めたことはやり切るというのが私の信条だ。
今晩は頑張ってもつ煮を作る。
もつ煮のように作るのに手間がかかるような料理は気が乗った時以外は作らない。
だからこそ、気が乗った時くらいは凝ったものを作ろうと思う。
普段の私は出来るだけ簡素な料理を心掛けている。
どうせ食べる時間は一緒なので、楽にできる方が良い。
お肉を焼いて焼肉のタレをかけただけでも数日かけて煮込んだシチューでも一食は一食なのだから。
私は依頼されていた仕事を片付け、もつ煮を作ることにした。
もつ煮への高揚感からか、仕事もスピーディーに片付けられた。
もつを取り出し、下処理を進めていく。
まずは塩を揉み込んでよく洗い流す。
その後牛乳に漬け込んでからよく洗い流す。
小麦粉を揉み込んでからよく洗い流し、下茹でを行う。
今回手に入れたのは新鮮なもつなのでここまで丁寧に下処理を行う必要はないのかもしれない。
それでも少しでも臭みを残したくなかった。
食べた時に少しでも臭みを感じてしまうと、一切食べる気がしなくなるどころか全て吐き出してしまう。
過去の苦い思い出を呼び起こされてしまう為、下処理には手を抜かない。
そこまでしてもつ煮を食べる価値があるのだろうかと思わないでもないが、作り始めてしまったのだからもう止められない。
どうせ作るならばより美味しいもつ煮にしたい。
スマホを手に取り、より美味しそうなもつ煮のレシピを探していく。
もつ煮を作る手間に比べたら今日の仕事は楽であった。
もつ煮のことを考えていたら終わっていたと言っても過言ではない。
もつ煮が出来上がった。
下ごしらえにも煮込みにも手間をかけた分、期待値が上がってしまっている。
仕事の合間に買っておいた日本酒を取り出し、もつ煮の横に添える。
完璧だ。準備は整った。
日本酒をグラスに注ぎ、まずは一口流し込む。
「く〜っ」
思わず声が漏れ出てしまった。
奮発して少し高いお酒にして良かった。
熱燗にしようかとも思ったが、もつ煮が熱々なので日本酒は常温にした。
続いてもつ煮を口に運ぶ。
美味い。
もつは歯ごたえはあるものの柔らかく、臭みは一切ない。
濃い目の味噌味と一味のピリ辛さが後を引く。
一緒に煮た根菜類にももつの旨味が染み込んでいる。
もつや野菜の旨味が溶け出した煮汁は芸術品に等しい。
新鮮なもつと丁寧な下ごしらえ、どちらも妥協しなくて本当に良かった。
もつ煮と日本酒は相性抜群で、どちらもあっという間に減っていった。
さて、残りの肉はどうやって食べようか。
眼前に転がる死体を見つめ、私は次の食事への思いを馳せた。
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