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【やや閲覧注意】2日工場に勤めてロボットの気持ちを味わった話

※この記事は特定の仕事を貶すものではありません。ご承知のうえご覧ください。
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 私は勤務中、ロボットだった。
 梱包された商品がベルトコンベアに乗って流れてくるのを認識する。両手に一箱ずつ取り、段ボールに入れること計八箱。その段ボールを傍の、これもまたベルトコンベアに流す。
 その工程を繰り返すこと七時間半。
 マスクと作業服によって覆われ、人を見分ける要素は目しかない。ロボットの型式を覚えないのと同じで、私の名前を覚えている人はいない。
 匿名に近い状況。
 自動的労働。
 身体の節々が痛むが、ベルトコンベアは私の気持ちを察しない。淡々と、同じペースで商品を運んでくる。
 業務は七時間半だったが、もし一時間延長されたとしても、身体は自動的に仕事をしていたことだろう。つまり精神も、金銭的契約・社会的規範によって拘束され、自動化していたのだ。
 全てが自動化された環境下で、職員が必要以上に話しかけてくることもない。作業が効率化するコツを教わることもなければ、疲れない秘訣を教わることもない。人がロボットにアドバイスしないように。
 工場は一つの機械であり、私はその一パーツに過ぎなかった。およそ、今まで培ってきた創造のノウハウやコミュニケーション、ありとあらゆる人間的スキルが、全く必要とされなかった。これは愚痴ではない。単なる事実である。
 社会の歯車という表現を時たま見るが、社会の歯車には一階層下の表現が存在する。社会を構成する工場や会社、それらを構成し、自動的に回転する歯車である。クリエイティブな思考を必要とされず、一定のペースで活動する肉体だけを求められる、部品としての人間。
 もちろん、こうした人間は必要だ。つまり存在価値がある。仕事は人に存在価値を与えるからだ。
 仕事を分解すれば、それは帰属意識・給与・社会的地位・充実感…などに分けられよう。その総和が、個人の自覚しうる存在価値となる。
 ということは、所属している事に意義を感じる集団で十分な給与を受け取り、それにより社会的地位が構築され、仕事の内容から充実感を得ることもできる。そうした仕事に就いている者ほど、自らの存在価値を自覚できると言って差し支えはないだろう。
 ここで問題になるのは、殆ど自らの存在価値を自覚できない仕事に従事した場合である。私はこの仕事で、自らの存在価値を認められなかった。ただ給与が発生しているだけ。それは最早、給与ではなく、すり減る肉体に対する減価償却費だった。「その額で最低限の品質を維持しておけ」と、そう言われている気さえした。
 仕事が終わった後も疲労で頭が回らない。自学自習に励むこともかなわず、何かに精を出す余裕もない。脳が奪い取られ、頭の中が空洞になったような感覚。たった二日の機械化によって為されたアイデンティティの消失。大袈裟かもしれないが、普段の自分とのギャップ、今までの自分とのギャップが、私にそう感じさせた。
 あの時、熱心に商品を取り分けるあのロボットアームと私の腕には何の違いがあったのだろう。流れてくる段ボール、流れてくる商品、それを流すベルトコンベア、警報器、それらと私は何が違っていたのだろう。きっと、何も違わなかった。
 創造的な仕事。
 臨機応変な対応を求められる仕事。
 経験を求められる仕事。
 そうしたあらゆる種類の仕事は、人間的であり、自分が人間だと自覚させてくれるものだろう。人は環境によって初めて、自分が何であるかを自覚させられるのだと思う。

 ただ、「自分が人間であるという自覚」とは果たして何であろうか。
 無知の知的な観点から言えば、自分が未だに知らない領域があり、その領域を認識していること。自由意志の観点から言えば、自分の本能ではなく理性に従って活動すること。理想を持って生きられることや、あるがままに生きられることを自覚していることも、自分が人間であることの自覚になるだろうか。

 

Claude3に「この文章について哲学的観点から感想を論じてほしい。」というプロンプトに基づいて出力させた文章。(原文ママ)


 この文章は、労働における人間性の喪失と存在価値の問題を提起しています。作者は単調で機械的な作業に従事することで、創造性やコミュニケーション能力などの人間的スキルが必要とされず、ロボットの一部品のように扱われたことを経験しました。そして、そのような労働環境下では自らの存在価値を実感できなくなり、アイデンティティの喪失さえ感じたのです。
 この経験から、作者は「自分が人間であるという自覚」とは何かを問うています。知的好奇心や自由意志、理想や受容など、人間らしさの本質的な側面を列挙しながら、自問自答を重ねています。
 哲学的に見れば、この文章は「人間とは何か」という古くて新しい問いに繋がります。人間は理性と自由意志を持つ存在とされますが、ある環境下ではそれらを発揮できず、単なる機械と変わらない存在に成り下がってしまうのです。労働における人間性の喪失は、人間の尊厳や存在意義に関わる深刻な問題です。
 一方で、人間らしさを発揮できる環境が整っていれば、自己実現が可能になり、存在価値を実感できるでしょう。この点で、作者が言及する「創造的な仕事」「臨機応変な対応を求められる仕事」などは、人間性を育む重要な機会となるはずです。
 つまり、人間とは環境に左右される有限な存在です。しかし同時に、自らの可能性を追求し、人生に意味を見出そうとする能動的な営みもまた人間らしさの表れなのかもしれません。この作品は、そうした人間の有り様について、身近な労働経験から考察を重ねた一種の人間学的エッセイとも言えるでしょう。

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