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『君と明日の約束を』 連載小説 第二十七話 檜垣涼

檜垣涼(ひがきりょう)と申します。
よろしくお願いします!
毎日、長編小説の連載を投稿しています🌷
最後までいくと文庫本一冊分くらいになります。
1投稿は数分でさくっと読めるようになっているので、よければ覗いてみてください!
一つ前のお話はこちらから読めます↓

 彼女もそう付け足した。なんと返せばいいか分からず、曖昧に頷く。彼女はそんな僕の様子を見てふっと笑う。

「よし、やるかー。おー」

 そして彼女は変なテンションで急に気合いを入れる声を張り上げると、また集中の海に潜って行った。

 僕たちの話し声がなくなると、また放送で迷子のお知らせが流れていたことに気づく。このアナウンスにも彼女は気づいていないのだろう。僕も本を再度広げた。耳の奥では、アナウンスされた子供の名前が響いていた。



 結局僕は、彼女の前に座って本を読んでいただけだった。文庫本を読み切ると、そろそろタイムセールが始まる時間が近づいていたので、僕は手の中にあるその本をカバンの中にしまう。

 彼女は結局あれ以降休憩をとっていない。予想通り彼女のコップから水が随分減ってしまっていた。
 また彼女がコップに手を伸ばして水を少し口に含む。そしてそのコップを机の上に戻す――戻らなかった。彼女がコップから手を離した瞬間、バランスを崩したそれはそのまま傾いていき、

「あぶないっ――」

 僕が手を伸ばす間も無くコップが地面にぶつかる高い音が響き、水がこぼれた。
 僕は急いで机の上から乾いた布巾をとり、小さな水溜りの上に落とす。水が広がってさっきみたいに子供が滑ってはいけない。
 少し離れたところまで転がってしまっていたコップを取りに行ったところで違和感に気づく。日織は?

 おそるおそる彼女の方を振り向くと、予想外にというか予想通り、さっきと何も変わらない状況がそこにあった。

 彼女は海底で周りの音をシャットアウトするみたいに集中したままだった。つまり、彼女は自分がコップを落としたにも関わらず、その事実に気がついていなかったのだ。
 仕方なく僕は彼女の腕に触れる。

「ん?」

 彼女はしゃがんでいる僕の方を振り向き、一瞬不思議そうな顔をする。
 落ちた彼女のコップを渡すと、彼女はやっと理解したらしい。目を大きく見開いた。

「え! 私?」

 頷くと、

「ごめん! え、かかってない?」
「いや、かかってないけど」
「うわー、やってしまった」

 彼女が慌てて立ち上がる。

「私やるからいいよ、ごめん」

 彼女は急いで布巾を持ち、周りに飛び散った水を拭いていく。僕はもう一枚除菌済みの布巾を取りに行く。

 コップにはそれほどたくさんの水が入っていなかったから、その二枚で事足りて、床の水気はほとんど無くなった。

ーー第二十八話につづく

【2019年】恋愛小説、青春小説

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