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【コラム】生きた証を綴っている。

発信するという事が苦手でした。

SNS社会になり芸能人だろうが一般人だろうが、X、Instagram、TikTok、YouTube……で発信出来る時代。

放送作家も知名度があった方が良いし、関わってる色んな仕事を告知・宣伝出来た方が良いし、面白いものを書いて広めれば、自身の広告にもなるし、と。
発信するしかない!のですが、作家になって14年ほど。2022年12月31日まで一切してきませんでした。

理由はいくつかあります。全て言い訳でしかないのですが…
「面白い文章を書く能力がない。」
「せっかくならバズりたいが、バズるために色々策を練るのも、策を練った感が見られるのも恥ずかしい。」
「仕事を抱えてるのにSNSに興じているのが恥ずかしい」などなど。これ以外にも言い訳はたくさんあります。
まあどれもこれも今となれば「つべこべ言わずにやれよ」って事なのですが、そんな言い訳をもって何もしてきませんでした。

なぜやるようになったのか。
きっかけもいくつかあるのですが、1番大きいのは「自分の人生のために」という理由が付けられた事です。

SNS発信を始める少し前、YouTubeを一緒にやっている、さかぽち君から同級生とキャンプに行った時の話を聞きました。
キャンプで彼はカメラを回していて、その思い出映像を同級生みんなにシェアしたそうです。
その思い出映像をもとに、その時の感情をキャンプメンバーが歌詞にして、音楽を生業にしている同級生が曲を書いて、1曲にする。
出来上がった曲のMV的なものをさかぽち君がその思い出映像を使って制作する、みたいな話でした。
(酔ってたので細部うろ覚え)

その話を聞いた時、なんでそんな事をするのか疑問だったのですが、彼曰くその同級生たちとの生きた証を作りたくて、それがこのMVなんだそうです。
(酔ってたので細部うろ覚え)

僕は、
作品を作る=どこかに公開する=結果が必要である。
みたいな考えだったので、作品を作る事を自分自身のためと考えた事はありませんでした。
SNSも同様で、
発信する=評価されるべきものを公開する。
という考え。その考えがずっとブレーキになっていました。

もうひとつブレーキになっていたのは「他人の目」でした。
知人に面白くないと思われたくない、バズってないのを見られたくない、バズらそうと思ってそうなのを知られたくない、仕事を放ってSNSしているのを見られたくない。
先程あげた言い訳群は全て他人の目を気にしていたものです。

「自分自身のために何かを作る」という考えが妙に腑に落ちてからは、SNSもこのnoteも YouTubeも自分自身の為にやっています。

色んな投稿を始めたのは2023年1月1日。
もちろん公開する上で見た方、聞いた方が不快にならないような気遣いはしていますが、生きた証を日々綴っている感じです。

このnoteであげている文章も日々のSNS投稿も、YouTube動画もPodcastも過去の自分なら「こんなつまらないものあげても…」と二の足を踏んでいたと思います。
けど「自分の為にやる」「生きた証を作る」「だって死ぬ時に自分の証が何もないのが嫌」
この考えが定まってからは、何もしない方が不安で怖くなってしまいました。

今後各種SNSがどうなるかはわかりません。
サービス終了しちゃうかもですし。

けど何年後か。死ぬ時に36歳から続けている発信を見返して自分の生きた証を脳に刻み込みながら死にたいと思っています。

あ、かっこつけた事を言いましたが、面白いとは思われたいしモテたいですし、いいねも欲しいです。
よろしくお願いします。

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