【児童文学評論】 No.262  2019.12.31

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西村醇子の新・気まぐれ図書室(41) ――ビフォー&アフター


 きょうは、「もうすぐ終わる紙の本」というタイトルで新聞に掲載されたシリーズのことから。

 同シリーズが連載されたのは朝日新聞夕刊(東京本社版)で、2019年11月25日から29日までの5回。電子本が増加し、紙の本が減少している市場の動向を踏まえ、「終わってだれが、困るのか」(1回)以降、紙の本の必要性を多角度から問い直す企画だった。紙の本がもたらしたのは読者の誕生だったが、ネットや電子書籍はだれでも書き手になれる時代を人間にもたらした(2回)という指摘や、デジタルメディアが意識の断片化を経験させる(3回)といった興味深い指摘が多く含まれていた。

 なかでも身近に感じられたのが、「人間と機械は根源的に違う」という見出しの4回目。「紙の本だからできるのが、文脈を確かめながら行きつ戻りつ読む機能」であり、それはいわば「人間の脳の機能の根幹」といった言葉をみて、はっとした。本について何かを書こうとすると、頻繁にあちこちを拾い読みするが、これは紙の本の特性に沿った行為だったのかと。

 ネットや電子書籍と一般の書物の関係は、子どもの本の世界でも無視できない。ことに21世紀生まれのごく若い人たちは、デジタル技術があたりまえとなっている世界を生きている。それより上の世代は、少なくともなかった時代のことや、さまざまな技術革新をへて発展があったと知っている。そこで、テクノロジーでのビフォー&アフターを、意識できる世代と意識できない世代とにわけられるだろう。

 この時代、ビフォー&アフターを意識できない人に、遠い過去を伝えるにはどうすればよいのか。物語の設定を19世紀や第一次大戦前にするだけでは、よりリアルに感じてもらうのが難しいと思うのか、さまざまな工夫が試みられている。(現代の児童文学のひとつの傾向といえるかもしれない。)

 数々の作品で戦争を扱ってきたイギリスの作家マイケル・モーパーゴは『フラミンゴ・ボーイ』(杉田七重訳、小学館、2019年10月)で、日々の暮らしを営む人たちの小さな物語に焦点を当てながら、同時に、みえにくい過去の大きな歴史的事実をもある程度だが、描くことに成功している。おもな舞台は、第二次世界大戦の時代に(イギリスからみて)地理的にも文化的にも隔たっていたフランス南部のカマルグという地。手法として選択されたのは二重の語り。この地をふらりと訪れた若者ヴィンスの体験を外枠とし、病に倒れた彼を看病した現地女性ケジアの語りが挿入され、彼女が若かった昔、つまり戦時下のカマルグとそこで暮らしていた人びとの人生が浮かび上がる。最後に全体はヴィンスが過去を回想したものだったことも明かされている。

 仕掛けはまだある。このカマルグの海岸とは、オランダ生まれの画家ヴィンセント・ファン・ゴッホが19世紀後半にフランスで描いた絵の舞台のひとつだった。若き日のヴィンスはそれを知ってこの海岸を訪れたわけだ。もっとも、ファン・ゴッホの人生や絵画が物語内で占める比重はそれほど大きくはない。代わりに圧倒的な迫力をもって読者に提示されているのは、野生のフラミンゴたちである。さらにいうなら、傷ついたフラミンゴや動物たちと心を通わせることのできる、発達障害をもつロレンゾや、メリーゴーランドとともにあちこちを移動してきた、少女ケジアとその家族(ロマの人たち)。どちらの人たちもドイツ軍(と彼らに同調するフランス人)に狙われるが、そんな彼らを守ろうとするおとなもいた。情報「弱者」でもあり、世界の状況をよく知らないなかで、ケジアの幸福と不安のまじりあった日常が、いつまで続くのかというサスペンスもあり、引きこまれる物語となっている。そして野生のフラミンゴが、人間におびやかされるものの象徴なら、ロレンゾが執着をみせるロマの出し物のメリーゴーランドもまた、喜びあふれる自由の象徴になっていたことを書き添えておく。

 多文化主義の様相を、アメリカ社会に生きるキューバ系アメリカ人の家族の奮闘から描いているのが、メグ・メディナの『スアレス一家は、今日もにぎやか』(橋本恵訳、あすなろ書房、2019年12月)だ。一家は中央の家に祖父母が、右の家に主人公メルシの家族が左の家におばが暮らしている。少女メルシは11歳で、17歳の兄ロリともども奨学金をもらい、富裕層の多いフロリダの学校へ通っている。メルシはサッカーが得意なので、選抜試験を受けてクラブに入りたい。でもシングルマザーのおばが育てている双子の世話も、さまざまな家事の手伝いも、メルシがおこなうので自由な時間がもてない。また奨学生にはボランティア活動をおこなう義務があり、メルシは転校生マイケルのお友だちとならなければならない。だがそのせいで、マイケルに関心をもつクラスメートのエドナに、にらまれる。そのうえ、古代文明について調べては発表をおこなう社会科のプロジェクトでも、エドナと衝突がたえない。そんな悩み多きメルシの愚痴にいつも耳をかたむけ、適切な助言をくれるのが、おじいちゃんだ。ところが、最近おじいちゃんの調子がおかしい。不調の原因はアルツハイマー病だったが、おとなたちがそれを隠しているせいで、メルシの悩みはますばかりだった。

 にぎやかな大家族の日常に、学校でのさまざまな問題が加わり、物語はドタバタ喜劇調に展開する。ただし、メルシにとって「にっくき」ボスキャラのエドナを含めて、それぞれの人物はしっかり描かれていて、よい出来栄えの作品だった。…読後にあとがきを見たら、2019年のニューベリー賞受賞作だとある。なるほど。

 読書ノートをひっくり返していたら、花形みつる『徳次郎とボク』(理論社2019年4月)もまた、老人と子どもの物語だったと気づいた。(この「気まぐれ図書室」には掲載しそびれた1冊だ。)物語は「ボク」が4歳のときから始まり、祖父の家を訪れる毎夏を中心に、ボクの成長と対照的に祖父の老いという変化を描きだしたもの。同じ場所を舞台に時間の経過とともに変化する人間たちを描く手法がうまいと思った作品だ。

バーバラ・オコーナー作『ほんとうの願いがかなうとき』(中野怜奈訳、偕成社、2019年12月)のチャーリー(本名シャルルマーニュ・リース)の物語は、少し重たい。父親は瞬間湯沸かし器とあだ名されるほど怒りっぽく、今も暴力事件で拘置所にいる。母親はといえば精神疾患を抱えていて、養育放棄状態。そこでソーシャルワーカーはチャーリーの保護者に、いなかのコルビー町に暮らす伯母夫婦を選び、そこへ送りこんだ。ただし、あと数か月で高校を卒業する姉ジャッキーについては、親友で金持ちのキャロル・リーの家に同居することが許された。チャーリーの味わう不公平感ときたら!

 子どものいない伯母夫婦は温かく迎えいれてくれたが、チャーリーはここで暮らすのは一時的だという態度をくずさず、学校に溶け込む努力もしない。そんなチャーリーのお世話係に先生が指名した同級生は、近所に住むオドム一家のハワード。足の長さが不ぞろいで歩き方がぎこちないハワード少年は、親切で心が優しく、そして少し気が弱い。父譲りで怒りっぽいチャーリーを心配し、爆発しそうになったら、「パイナップル」と唱えて心を静めるおまじないを教えてくれるし、チャーリーがある野良犬に目をとめて飼いたいと思っていると知ると、協力を惜しまない。やがてチャーリーも、オドム一家では親がいっぱいの愛情を子どもたちに注いでいることに否が応でも気づく。また伯母夫婦が自分のために心を砕いてくれていることも、認めざるを得なくなる。

あらゆる機会に願い事をしていたチャーリーはあるとき、ハワードにたいして彼の願いはふつうに歩けるようになることだろう、とうっかり口をすべらす。ところがハワードは、いつもなら「いいよ、べつに」というところを、ただ「言われるのに慣れている」とこたえた。それをきいて、チャーリーは彼を傷つけたことを強く意識し、苦しむ。

 このエピソードをひとつの転機とし、天国のような日々を送っていると思っていた姉の日々もまた悩みを伴っていると理解する。その後ソーシャルワーカーから、母親の状態が好転したから同居を再開できると言われたとき、はじめてチャーリーは動揺する。幸か不幸か、母親の状態は真に好転したものではなく、前と同じように自分勝手なままだとわかり、母との同居は実現しない。物語の結末は、チャーリーとハワードのそれぞれの願いが実現するハピーエンドであることを書き添えておこう。

* 

 チャーリーが「現実」と格闘している一方、物語世界で真剣に遊ぶ子どももいる。薫くみこ『極秘任務はおじょうさま』(高橋由季・絵、ポプラ社2019年11月)は、箱根小学6年生のあかり、キト、モヨヨという3人組の活躍を描くシリーズの第2弾。3人は総合学習のときにスパイ研究で発表をおこなったが、教師には「スパイごっこ」とあしらわれた。そこでこっそりスパイガールGOKKO(ゴッコ)というチーム名をつけ、協力者のおとなも得て、活動にいそしんでいる。内容としては犯罪ミステリ系冒険もの、と言ったらよいだろうか。今回は、地元にある私立のおじょうさま学校に潜入したあかりが犯罪者たちに遭遇。そして、過去に窃盗犯が学内にこっそり隠したお宝を発見するに至る。

 おじょうさま学校への潜入にあたり、あかりが慣れない「おじょうさま」作法と言葉遣いで苦労する部分が面白い。なにしろ、流行語はNGで、省略も短縮も禁止なのだ。また、「性格ワルッ」は「気立てに難がおありね」に、「うるさいヤツ」は「お元気な方ね」に、「のろまはきらいだ」は「おっとりされてて苦手だわ」と言い換えなくてはならない。あかりは諺のたぐいが苦手らしく、ことごとく間違って口にしてまわりをけむに巻くのがご愛敬だ。

 事件に巻きこまれた学園の女生徒は、探偵気取りのあかりを非難し、まだ小さな女の子の自分たちがするべきことではないと言う。あかりはまず、自分は小さな女の子ではないと、反論。そして女の子だろうがおばあさんだろうが、人としてやるべきことはみな同じであり、困っている人は助けるし、悪い奴に連れ去られた人がいたら追いかける、とはっきりとした主張をおこなう場面がある。人の抱く恐怖心が行動を制約することなども示されており、エンターテインメントとはいえ、しっかりした考えを内包して展開されている。

 石川宏千花の『二ノ丸くんが調査中 天狗さまのお弟子とり』(うぐいす祥子絵、偕成社、2019年8月)は、シリーズの3作目。都市伝説について、その真偽を確かめることを自分の役目と心得ている二ノ丸くんと、下校ルートがとちゅうまで同じで、駄菓子をこよなく愛するクラスメートの小泉今日太(きょうた)が、相互に影響をうけ、なんとなく友人関係をむすんでいく連作短編。怪異は変化に富んでいるし、このシリーズ、面白くなってきたぞ。

 ところで、最近「復刊」とか「新装」された本が増えていないだろうか。その理由は何であれ、最初の出版時点で見過ごした本と出会えるのは、ありがたい。村上康成『さかなつりにいこう!』(理論社、2019年7月)は、まさにそうした1冊だった。1996年に出版されたものを、全ページカラーにし、一部の絵は描きおろしたというから、手間はかかっていると思う。四季おりおりの魚釣りを描く趣向で、それ自体は単純だが、全体が4部構成の協奏曲になっている。どの季節の場合もリフレインをいかし、少ない言葉数ながら、まわりの葉や木の実、虫といったものも描かれ、全体に豊かな時間を生みだしているし、命をいただくこともしっかり伝わるのがよい。(やっぱり村上さんの絵本は好きだなあ!)

 人間の脳の働きはよくわからないが、自分があれこれを「忘れる」ということは自覚している。でも、いわむらかずお『風の草原』(理論社、2019年10月)の場合は、見た覚えがちゃんとあった。全8巻の「トガリ山のぼうけん」シリーズ1巻目で90年代に出ていた。同じいわむらの絵本、「14ひきのあさごはん」以下のシリーズもそうだが、日本の森や山の風景を克明にスケッチした背景と、そこで描きだされる小さな動物たちの日常生活の物語は、環境文学というキャッチフレーズなどいれなくても、物語世界がおのずとそれを主張してみせている。 

 まだまだ書き足りないし、取り上げそびれた本も絵本も多いが、年末ということもあって、このへんで閉室としたい。来年も、どうかおつき合いください。  (2019年12月)


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スペイン語圏の子どもの本から(13)


 今年はスペイン語の児童書はどのくらい翻訳されたのだろうと、この季節になると気になります。そんなとき、私が参考にするのは国会図書館のNDL ONLINEです。「詳細検索」で、「出版年」を「2019-2019」とし、「本文の言語コード」を「日本語」、「原文の言語コード」を「スペイン語」、国名コードを「日本」、所蔵場所を「国際子ども図書館」、資料形態を「冊子体」として検索します。こうすれば、2019年に、児童書として国際子ども図書館に今年受け入れられた、スペイン語から翻訳されて日本で出版された本の冊数がわかるのではないかと思うのです。

 12月30日現在で、検索の結果、出てきた本は9点。けれども、そのうち、『アマディス・デ・ガウラ』上下巻は児童書ではないはず。また、11月に刊行された『くろはおうさま』が入っていないのでプラス1すると、私の知る限り実際は8点ということになります。

 ちなみに、上記の「原文の言語コード」を「英語」にすると626点、「フランス語」なら62点、「ドイツ語」なら22点、「韓国語」なら37点、「中国語」なら14点、「イタリア語」なら15点となります。スペイン語からの翻訳は、今年も少なかったのですね。

 今月は、今年スペイン語から翻訳された本のうちの1点をとりあげます。


『こんにちは! あたらしいいのち』(アイナ・ベスタルド著 青山南訳 河出書房新社、2019.10)

 コウテイペンギン、リクガメ、タツノオトシゴなど、7種の動物がどんなふうにしてパーートナーを探し、子どもを産み、育てていくのかを描いた絵本です。この本を特別なものにしているのは、トレーシングペーパーに描かれた美しい細密画です。動物ごとに、4、5枚のトレーシングペーパーで説明が展開します。後ろのページの絵がうすく透けて見えるトレーシングペーパーをめくると、次の絵が出てくるのがおもしろく、次々とページをめくりたくなります。説明の内容や情報量からすると、科学的に詳細に解説した本というよりも、デザイン性に主眼が置かれているようですが、生命の不思議に興味を持つきっかけとなりそうな、美しいユニークな絵本です。


 実は、この本を手にとったとき、「おっ、またこの出版社の本だ!」と、原書の版元が目にとまりました。Zahorí de Ideas(サオリ・デ・イデアス)社は、2007年にスペインのバルセロナで創業された出版社です。2017年からはZahorí Books(サオリブックス)という出版社名で、主に、大人と子ども向けの新しい感覚のノンフィクション絵本を出版しています。私がこの出版社のことを知ったのは、2018年1月に刊行された『動物たちは、冒険家!』(河出書房新社)の翻訳を依頼されたときです。『動物たちは、お医者さん!』『動物たちは、建築家!』(以上2点、古草秀子訳)とともに3点のシリーズで、新しい切り口で動物の生態をとりあげた本ですが、デザインのよさに驚かされました。

 さらに、今年4月には、¡A dormir, gatitos!(おやすみ、ねこちゃん)というボードブックの絵本が、ボローニャ・ラガッツィ賞の幼児図書部門の最優秀賞を受賞したので、再び注目しました。12色の色ちがいのネコたちが1匹ずつおうちに入っていくごとに、切り抜いた窓からその色がのぞく、お話とデザインがうまく融合したつくりです。シンプルだけれど、ページをめくると現れる色が楽しく、何度でも見たくなる絵本でした。

 

 サオリブックスは、2019年には、「小さな活動家クラブ」を組織して子どもの会員を募り、ストローとプラスチックのこと、グレタさんの活動など、環境保護のための情報を発信しているとのこと。女性環境調査団の団員として南極に行った科学者の絵本『ママは南極に行った』の出版計画もあるようです。

 スペインでは、サオリブックスのほか、Blackie Books(ブラッキーブックス)という、やはり社名にも英語を冠した出版社が、英語でも盛んに情報を発信しながらどんどん海外に進出をはかっています。こういう動きも、ここ10年のスペインの出版界の新しい様相の1つだと再認識ました。

 調べてみるとサオリブックスの本はほかにも、『もりにかくれているのはだあれ?』『うみにかくれているのはだあれ?』『からだのなかをのぞいてみたら?』(以上3点、アイナ・ベスタルド著 きたなおこ訳 青幻社)という、赤青緑のレンズで見ると、絵が浮き出して見えるという仕掛け絵本も翻訳出版されていました。

 それにしても、他の言語と比べてスペイン語からの翻訳の少ないこと。来年は、もうちょっと数字が増えるといいなあと思います。

(宇野和美)

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◆ぼちぼち便り◆ 


12月の読書会は毎年絵本を取り上げます。今年は、『すてきな三にんぐみ』(トミー=アンゲラーさく いまえよしともやく 偕成社 1969年12月初版、2010年6月改訂191刷)を課題本に選びました。

 

最初に『トミ・ウンゲラーと絵本 その人生と作品』(今田由香著 玉川大学出版部 2018年)と『トミ・ウンゲラーの仕事』(松岡希代子他編集 朝日新聞社 2001年)などを参考に、ウンゲラーの生涯について確認をしました。3歳で父を亡くし、フランスとドイツの国境にあるアルザス地方のストラスブール市生まれであるということで文化的アイデンティティの不安定さがあること、9歳からナチス支配下で学校へ通ったことは、ウンゲラーの生涯に大きく影響しているということを述べました。

 

それから筆者が絵本を日本語と英語で読み、参加者は全体の感想を述べるだけでなく、①構成とストーリーについて、②絵について、③文章・人物像について、のうちの1つについて少し詳しく考えたことを述べてもらいました。以下は、他の参考文献で既に述べられていることもありますが、話し合った内容としてまとめています。

 

構成については、第1見開き~2:どろぼうの紹介、3~9:どろぼうの様子、10~13:ティファニーちゃんを見つける、14~18:お金を使ってみなしごのためのお城を作る、ということで意見が一致し、どろぼうの怖さをたっぷり見せた後、ティファニーちゃんの登場で予想もしないユーモラスな物語になるという展開がおもしろいことが述べられました。

 

また、デザイン性のすばらしさについて発言する人も多くいました。とてもおしゃれ。シンプルで省略が利いている。青、黒を基調に、まさかりとみなしごのマントの色の赤がとても効果的に使われている。血の色、太陽の色、赤ずきんの色など、赤がいろいろな意味に読み取れる。黄色は月の色であり、お金の色であり、ティファニーちゃんの髪の毛の色であり、家の中の明かりでもあり、人々が魅せられるものという共通項がある。緑は、野原の色で、最も多く使われる第16見開きが、平和を暗示している。その緑は、お城の屋根の色にも使われている。黒は泥棒や闇の怖さもあらわしているが、安定にもつながるのではないか、などの意見がありました。

 

絵については、第14見開きで、子どもたちがお城へ連れて来られる絵や、第16見開きの赤いマントの子どもたちがお城に入る絵は、ストーリーとしては楽しいことがわかっているにもかかわらず、行列、全く同じ制服などから、ナチスを思い出してしまったという人もいました。そして、結末の絵について感想が分かれました。遠景で終わることでほっとしたという人がいる一方で、人物の描かれない結末は、寂しくて少し不安な気持ちになるという人もいました。

 

文章については、耳で聞くととても調子よく、次にどうなるかという期待感が持てるようなリズミカルな文章である。芝居ふう、昔話ふうという指摘もありました。英語は「Once upon a time」で始まっていますが、日本語は「あらわれでたのは」といきなりドラマが始まっているようで、二つの言語で作品の枠組みが違って感じられるという人もいました。そして、繰り返しのことばが巧みに使われ、破裂音などの擬態語、擬音語が文にリズムを作っていること、短い文が重なっている冒頭から、ティファニーちゃんの部分はたっぷり語るというように、文の長さにも変化があること、ティファニーちゃんだけが唯一の固有名詞であることなどが述べられました。

 

それぞれの人物像についても意見が出ました。どろぼうは、シルエット画でとてもわかりやすく、武器で人を殺すのではなく、お金の使い道がわからないまぬけなところがユーモラス。ティファニーちゃんを抱きかかえるところは、とても優しそう。ティファニーちゃんは、ページによって服装や顔が違う点が不思議だが(『絵本をよみつづけてみる』五味太郎、小野明著 平凡社 2000年を紹介)、悲壮感がなく、天真爛漫で、どろぼうの本性を見抜いく力を持っている。みなしごは、背後に戦争があるのかなと思った、などがありました。そして、英タイトル「The 3 Robbers」が「すてきな三にんぐみ」でいいのか悩んだという人もいました。

 

私にとって『すてきな三にんぐみ』は、子どもが大人をやりこめるところがおもしろく、社会のアウトサイダーと言われる泥棒が活躍する点が魅力的で、みなしごたちが救われ、家族を得られるというストーリーが楽しく、デザイン性の優れた絵でドラマチックに表現されているという印象の作品です。

 

しかしながら、細かい点ではいろいろなことを考えさせられます。まず、ウンゲラーのオフィシャルサイトhttps://www.tomiungerer.com/のビデオで語っているように、赤と黒は、ナチスの腕章のデザインでも使われた色で、ウンゲラーにとっては忘れられない配色であるということが言えます。また、ウンゲラー自身がナチス支配を忘れないために、関連資料を集めており、「集める」というのは孤独を埋めることにもつながる、自分のアイデンティティのために集めるということを言っています。泥棒たちは、まずは、お金を集め、そして、ティファニーちゃんのことばによって、みなしごを集めるようになる。昔話ふうに書かれた個性のないどろぼうたちは、ある意味で、集める対象を変えただけということも言えるのです。

 

加えて、怖いと思ったどろぼうが、実は怖くなかったという結果は、真実は見せかけとは違うということを表していると考えることも、家族は血のつながりではないというメッセージを読み取ることも可能です。お金だけあって愛のない毎日を過ごしていたどろぼうの日々には、アウトサイダーの寂しさを読み取ることもでき、ティファニーちゃんという愛する対象を見つけたことで幸せになったと考えることもできます。金髪で、宝石店の名前を冠し、登場するごとに絵が違い、結末のみなしごの行列では、どれがティファニーちゃんかもわからないという描かれ方は、名前があっても個性的な存在ではなく、「どろぼう」という普通名詞と同様に、元気でかしこく、光り輝く、孤独な一人の少女の代表と考えることもできます。そして、結末では、子どもたちが次々と棄てられることに社会への批判を読み取ることもでき、3つの塔がたち、どろぼうたちが英雄化され、制服を着て日々を過ごす子どもたちに未来への不安を感じることもできるように思いました。まだまだ読めていないことがたくさんあると思いますし、考え違いもあるかもしれませんが、この絵本のおもしろさは、こうした多様な読みを可能にしてくれることではないかと改めて思いました。

 

今年も一年お世話になりました。来年もみなさまにとってよい年になりますように。読んでくださってありがとうございました。(土居 安子)

 

<大阪国際児童文学振興財団からのお知らせ>

● 連続講座「目で見るイギリス児童文学の歴史」
講師が所蔵するイギリス児童文学に関わる貴重なコレクションを紹介していただきながら、イギリスの子どもの本の歴史についてご講演いただきます。

講 師:三宅興子(当財団特別顧問、梅花女子大学名誉教授)

日 時:令和2年1月25日(土)、2月22日(土)、3月15日(日)

各回 午後2時~3時30分

場 所:大阪府立中央図書館 2階大会議室 (東大阪市荒本北)

内 容:

 第1回「最初期のイギリスの子どもの本から始めて」

 第2回「子どもの本の「第一次黄金時代」」

 第3回「20世紀イギリスの子どもの本」

定 員:各回 50名(申込先着順)

参加費:各回1,000円

主 催:一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団

助 成:子どもゆめ基金助成活動

お申し込み、詳細は

http://www.iiclo.or.jp/03_event/02_lecture/index.html


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 三辺律子です。お約束通り(?)、年末で息切れしているため、今回は映画紹介だけに……すみません。というわけで、年末年始の読書用の本を探している方はBOOKMARK15号個人送付受付中!もしくは、『翻訳者による海外文学ブックガイド BOOKMARK』をぜひ! (さりげなく……ない宣伝でした)


https://www.kanehara.jp/bookmark/


http://books.cccmh.co.jp/list/detail/2367/



〈一言映画紹介〉(*公開順です)


10月に映画「評」から映画「紹介」にしたはずなのに、11月に軽く忘れました。すみません。自分が見た中で「紹介」したいなと思った作品について、勝手な感想を書かせていただいてます。


『マザーレス・ブルックリン』

トゥレット症候群を抱えるライオネルは、孤児院から救い出してくれたフランクのもと、探偵事務所で働いている。だが、そのフランクが殺され、ライオネルは復讐を誓う。裏には黒人居住区を狙い撃ちにした土地開発が絡んでいることが明らかになり……。

同タイトルの原作は1999年が舞台だが、監督、脚本、製作、主演のエドワード・ノートンは1957年を舞台に。それがあらゆる点で成功している。わたし的には、これぞ「映画」!


『プリズン・サークル』

ちょっと長くなります、すみません。

官民協働の刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」で行われている「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」と呼ばれるプログラムを二年かけて撮影したドキュメンタリ。  受刑者たちは、話し合い等様々なプログラムを通して相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけることを目指す。

映画は、プログラムで自分の生い立ちや犯した罪について語る受刑者たちを映し出す。父親と暮らしていたある受刑者は、小学生のときから家事をほぼすべて請け負っていた。ある日、お米を研いでいた時にうっかり少量の米粒を流してしまい、それを見ていた父親に、流しに頭を叩きつけられる。

その体験をTCプログラムで語る彼の口調が淡々としていることに衝撃を受けた。彼の様子から、いかに暴力が日常化していたかが窺える。暴力の連鎖を思わずにはいられない。

社会があらゆることにもう少し想像力を働かせることを祈ってしまう映画でした。詳しくはぜひ下記のサイトを。

https://prison-circle.com/index.php?id=intro


『リチャード・ジュエル』

 クリント・イーストウッドの監督第40作目(すごい!)。

 アトランタオリンピックで爆発物を発見した英雄リチャード・ジュエル。だが、地元紙の報道で一転、犯人扱い。FBIの執拗な捜査ぶり、そして加熱する報道に恐怖を感じる。6年後に真犯人が捕まったのに、結局ジュエルの無実が広く知られることはなかった事実にも震撼した。


『オルジャスの白い馬』

 森山未來主演の日本・カザフスタン合作作品。大草原に暮らすオルジャス少年は、突然馬飼いの父親を失う。そこへカイラートという男が訪ねてきて……。カザフスタンの大自然が映画の第二の主役。


『9人の翻訳家』

 ダン・ブラウンの『インフェルノ』出版時の実話を元にしたミステリー。人気小説『デダリュス』の世界同時出版のため、9カ国の翻訳家が密室に集められる。外部との接触は完全に断たれているはずだったが、小説をネットに公開するという脅迫メールが届き……。

 渡される原稿は毎日20ページずつだけ(えー、最後まで読まないで翻訳始めるわけ!?)、外出はもちろん、ネットの利用も禁止(オンライン辞書もネット検索もだめってこと!?)――そんなんで翻訳できるかっ!と思いながら観ました。いや、昔の翻訳家の方々はそれで翻訳していたんですけどね……


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以下、ひこです。


【絵本】

『ピーター・ラビットの絵本』(ビアトリクス・ポター:さく・え いしいももこ他訳 全24巻 福音館書店)

 1994年に出た『愛蔵版 ピーター・ラビット全おはなし集』は原書とともに愛蔵していますが、一巻本ででかい。こちらは元サイズで、2002年の再刊です。やっぱり一巻本よりこちらのほうが手になじむし、読みやすい。でも一巻本の方が書棚には優しい。


『アレにもコレにも! モノのなまえ事典』(杉村善光:文 大崎メグミ:絵 ポプラ社)

 コレを思いついたのはすごい。というか、え~と、アレやね。

 世の中の物には名前がついていますが、アレとか、コレですませているものが結構あります。この事典はソノ、アレやコレの名前を教え、解説してくれています。ペットボトルのそこのでこぼことか、トライアングルをたたくアレとかね。その知識は日常生活に必要あるかと言われれば、あるとも言えるし、ないとも言えますが、少なくとも物に敬意を払えるのは気持ちがいいし、名前を知っているとどこかほっとします。そして、世界に対して謙虚になれます。

 さあ、いくつ知っているでしょうか?

 大崎メグミの絵がまた、わかりやすくていいですね。


『となかいさん』(サム・タプリン:文 エッシ・キンピマキ:絵 岩崎書店)

 画面にいくつも穴があって、触っていくと一つだけ次のページにまで空いています。で、めくると、となかいさんがいるかいないか? 触るおもしろさと、めくる楽しさ。シンプルですが、なるほど、なるほど。さて、となかいさんは?

 クリスマスですねえ。


『ジュマンジ』(C.V.オールズバーグ:作 村上春樹:訳 あすなろ書房)

 オールズバーグ大好き村上春樹訳の、映画にもなった『ジュマンジ』です。

 子どもたちが拾ったゲーム。シンプルなボードゲームで面白くなさそうなんだけど、いざやってみると、サイコロを振って止まってところに書かれていることが現実になる。ライオンに襲われるだとライオンが出現するし、ニシキヘビも、猿もでてきて、もう大変。騒動を収めるには、ゲームの上がりでジュマンジと叫ぶしかない。果たして姉弟は、上がりにたどり着けるのか?

 物語もおもしろいですが、何と言っても、リアルな絵が怖い。


『火も包丁も使わない! 安心・安全クッキング パパッとかんたん! 主食レシピ』(寺西恵里子:著 新日本出版社)

 アレルギーのことも考えたレシピです。写真もくわしい解説がなされていて子どもにも作れます。いきなり「タコライス」で、お次は「カオマンガイ」というのがいいですね。興味津々で作りたくなります。


『ふゆのはなさいた』(安東みきえ:文 吉田尚令:絵 アリス館)

 タイトルの意味は最後にわあ!とわかりますから触れません。ひとりぼっちの子ネズミが、泣かないぞときめている金魚と池で出会います。こねずみは、自分のともだちが次々とどうしていないくなってしまうのかと嘆いています。ツバメは消えるし、リスは起きないし。

 金魚はそのわけを一つずつ教えてくれて、決して君を嫌いになったわけじゃないとなぐさめます。いつしか、金魚は友だちに。自治は金魚も池のなかで仲間をうまくいかずに悩んでいたのでした。

 そして寒い日。池には氷が張り、金魚くんはみつからない。

 自分一人で悩まない方がいいよってメッセージと、ラストの祝祭。

 吉田の絵は、かわいさだけではなく、孤独の不安をよく描いています。


『あかまる ぺた!』(しみずだいすけ:さく ポプラ社)

 いいわあ、これ。

 マグネットが貼り付く絵本と貼り付けるパーツでできています。パーツは色と形と大きさ色々30種。これを、ぺた!と、絵本の要求に応えて貼り付けていきます。様々な集合が作れますから、なかなかおもしろい。そしてなにより、ぺた!が妙に楽しい。


『とくべつなひ』(山本りくお ぶんけい)

 子グマが熱を出し、幼稚園をお休み。なのに母グマは弟が乗る保育園のバスまでお見送りにいってしまう。かなしい子グマ。でも戻ってきた母グマにいっぱい甘えます。

 道具が全部人間仕様ですから、擬人化なのですが、クマですから子育ては母親だけになり、父親は排除されます。それでも本物の母グマの場合冬眠以外、エサを求めてさまよいます(仕事ね)が、この母グマは仕事をしてはいないようなので、母子家庭でもないようです。それとも育児休暇でしょうか? その辺りはよくわからないので、「あまやかに流れる時間、いとおしいなあ。」(酒井駒子:帯)をなるほど落ち着けません。ひょっとしたら、擬人化することで、父親を排除して、母子密着を「あまやかに」描いている可能性だってあります。

 何のために擬人化か? は、もっと意識して欲しい。


『へっこきへのた』(苅田澄子:文 つちだのぶこ:え ぶんけい)

 悪者妖怪退治に出かけるへのた。お供は犬、猿、雉ってんで、ちょっとまずいかなと思いきや、一貫してへだけで攻撃。相手もそれは同じ。まあ、次から次へと出てくるもんです、への攻撃。「神農絵巻」からの絵本化です。


『ビーナスとセリーナ テニスを変えた伝説の姉妹』(リサ・ランサム:文 ジェイムズ:ランサム:絵 飯田藍:日本語版監修 松浦直美:訳 西村書店)

 テニス界の頂点を姉妹で争い続けた、すごい二人の生い立ちからの伝記絵本です。

 貧しいから整備されたテニスコートも使えない、コーチもいない。そんな中で父親は工夫をします。体をやわらかくするためにバレエの動きを取り入れる。フットバールを投げ合って、正確なサーブの仕方を覚える。使い古しで弾まないボールによって、低い球でもすぐに追いつけるようになる。異例な成長の仕方でテニスを覚えていった二人ですから、既製の練習をしてきた選手は、対戦していてとまどったことでしょう。

 2002年には姉妹でランキング1,2位。すごい。ダブルスはグランドスラム。シングルスでは姉が2大会、妹がグランドスラム。ウィンブルドンでは二人合計12回優勝。すごい、すごい。オリンピックはダブルスで三度金メダル。どういう姉妹だ。妹に至ってはシングルスでも金。どないなってんねん。

 白人主流だったテニス界に黒人として旋風を起こした姉妹の活躍をぜひ読んでください。


『きょうりゅうたちもペットをかいたい』(ジェイン・イーレン:文 マーク・ティーグ:絵 なかがわちひろ:訳 小峰書店)

 きょうりゅうの子どもたちがペットをほしがります。なにしろがたいがでかい彼ら。虎だの、像だの、ドラゴンだの、なんかすごい要求。でもそれってだめでしょ。結局、かわいい子犬さん。

 仲良くね。


『ゆきのけっしょう』(武田康夫:監修・写真 子すぐみのり:構成・文 岩崎書店)

 雲の中から生まれる結晶の小さい粒が、様々な美しい形になって行く様子を、愛おしくとらえています。わかりやすいのがいいんです。だから、結晶がかわいくなる。

そして大きくなったそれに雲の小さい粒がついて白くなり、雪となる。

世界が美しいことを教えてくれる一冊です。


『いっぴきぐらしのジュリアン』(ジョー・トッドースタントン:作 いわじょうよしひと:訳 岩崎書店)

 のねずみのジュリアンは一匹でいるのが好き。誰にも煩わせられないし快適この上ない。地下の通路だって他の生き物と出会わないようにうまく避けて通るほど。

 あるときジュリアンの住まいに狐の顔が突っ込んでくる。ジュリアンを食べようとしたのはいいのですが、顔が挟まって身動きがとれなくなる。そこでジュリアン助けてあげるのです。そしてまた一匹の暮らし。あるとき、ふくろうに襲われかけたジュリアンを狐が助けます。そうして、時々一緒に食事をすることも。

 どの生き物もちょっととぼけて描かれ、暖かい絵です。一匹でいる快適さと、時々会う楽しさがうまく両立できれば最高ですね。


『イヌと友だちのバイオリン』(デイビッド・リッチフィールド:作 俵万智:訳 ポプラ社)

 バイオリン弾きのヘクターとイヌのヒューゴは仲良し。毎日ヘクターが街で演奏するとヒューゴはうっとりと聞いています。そうして暮らす一人と一匹。

 ところが、実はヒューゴもすばらしいバイオリン弾きであることがわかり、クマのピアニストから世界を巡るコンサートツアーの誘いを受けます。二度とないチャンス。ヘクターはさみしさを隠してヒューゴを送り出し、彼は人気のバイオリン弾きに。

 この町にもやってくると知ったヘクターは聞きに行きますが、そこで思わぬことが。

 楽しさと幸せの贈り物。


『ふゆとみずのまほう こおり』(片平孝:写真・文 ポプラ社)

 こおりを、ちょっと違った角度から見せてくれる写真絵本。葉っぱのこおり。落ち葉のこおり。蛇口のこおり。泡で出来たアイスバブル。こおりの花。見ていると自然が楽しくなります。

 言葉と写真の配置もなかなかいいです。


『すべりだい』(新井洋行 すずき出版)

 どのように見せるのか? 見せたら喜んでくれるのか? を考え続ける新井の新作。

 踊り場部分の側面にピースマークのような笑顔が描かれたすべりだい。側面が高いので、横から見ていると、誰が滑っているのかわかるようでわからない。そして、降り立つと、ぞうさん、わにさんとわかる。ただそれだけが楽しい。そして、最後に滑ったのは? 秘密。


『せかいねこのひ』(井上奈奈:絵と文 新日本出版社)

 8月8日は世界ネコの日なんだそうです。どうして8,8なのかは不明。

 その日に想を得た絵本。

 ネコの日に人間たちはニャーとしか言えなくなります。ネコ語を覚えて、ネコ語で話す。もう、国境も、国家もありゃしません。仲良くみんなでニャーであります。

 毎日がネコの日であればいいかもね。


『ママは100めんそう』(パク・スヨン:文 ジョン・ウンスク:絵 おおたけきよみ:訳 光村教育図書)

 ママの気分毎に、ライオンみたい、あひるみたいと想像する少年。親の気分や気持ちの変化を、ちょっと距離を置いて見つめるのって気が楽でいい。

 家の中に置いてある細々した物まで、ウンスクは丁寧に描いて、家の匂いを再現しています。


『たまたまたまご』(内田麟太郎:文 北村裕花:絵 文研出版)

 とてつもなく大きな卵を見つけたゴリラ。これは誰の卵? 次から次へと大きな動物がやってきますが、まだまだ大きい。ゾウより大きい。みんなの結論としては恐竜だろう。ああ、怖い。で、ついに卵が割れて、みんながこっそり眺めていると……。

 ああ、怖い。


『わたしのちいさないもうと』(みうらとも:文・絵 岩波書店)

 いいわあ。

 主人公の女の子が、自分に妹がいたらと想像します。しかも、その数が次々増えてきて、それに従って、想像もどんどん膨らんで、その様子がなんとも楽しいです。ひねらず、まっすぐ考えていくからかえっておもしろいんですね。次作も期待大。


『やきいもとおにぎり』(みやにしたつや すずき出版)

 豚さんがおにぎりをおおかみのやきいもと交換したらおおかみはやきいもをくれずに去ってしまう。その話を聞いたネズミが誰かに相談を。と次々相談している内に話が変わってしまい、ぶたさんがやきいもになって……。さて、どうなる? うまいですね。


『こんなもん くえニャイ!』(クリストファー・サイラス・ニール:作 林木林:訳 光村教育図書)

 ドライのcat foodをお気に召さないネコは、色んな動物においしいものを尋ねて歩くのですが、どれも気に入らない。そして、最後に……。ああ、怖い。

 林木林の訳文が実に愉快で良いです。


『イワシ大王のゆめ』(チョン・ミジン:再話 イ・ジョン・ギュン:絵 おおたけきよみ:訳 光村教育図書)

 韓国の昔話です。

 海を統べるイワシ大王は、自分の見た夢の占いをしてくれるようにハゼに頼みます。その解釈は大王が梅を飛び出て龍になるというもの。それを聞いた侍従のヒラメが、んなわけはない、それでイワシが釣られて焼かれてしまう夢だといった物ですから、怒った大王に殴られて、ヒラメの目は寄ってしまいました。という風に魚たちの特徴をイワシ大王のせいにするお話です。

 他文化の昔話を知るのはおもしろい。


『いぬのサビシー』(サンディ・ファッセル:文 タル・スワナキット:絵 青山南:訳 光村教育図書)

 いらないからと、引越の時に家に置き去られた子犬。名前もないので自分でサビシーとつけています。新しく引っ越してきた家族。少年は子犬つきの家だとうれしがりますが、サビシーはなかなかなつきません。人間の愛情を知らないから。でもやがて……。新しい名前は何?


『もし地球に植物がなかったら?』(きねふちなつみ あすなろ書房)

 地球の生物の誕生から現在までを木版画で描く、美しい絵本です。地球の生物にとって、植物がどんな役割を果たしたかを中心に描いていますが、木版画の手触り感が落ち着いた雰囲気を醸し出し、CGとは別の世界となっています。木版も植物ですね。


『ながーい5ふん みじかい5ふん』(リズ・ガートン スキャンロン&オードリー ヴァーニック:作 木坂 涼:訳 光村教育図書)

 長く感じる5ふんと、短く感じる5ふんが、次々と示されていきます。そうだ、そうだ。なるほど、なるほど。これ、10ぷんだとだめで、やっぱり5ふんがちょうどいい長さですね。


『ことばサーカス』(二歩:作 アリス館)

 一語に他の語をつなげて言葉を作ると、それが実現するサーカス。浮かんだ風船一つに一語が書いてあって、さて何とつきますか、お楽しみ。

 単純な組み合わせからだんだん難しくなっていって、なかなか楽しい仕上がりです。リズム感があっていいな。


『おれ、よびだしになる』(中川ひろたか:文 石川えりこ:絵 アリス館)

 大相撲の呼び出しさんに憧れた少年が、入門して修行をする様子が描かれています。知らないことがたくさんあって、そうか、あれも呼び出しさんの仕事かと教えられます。そしてなにより、なりたいものになろうとする少年の姿がまぶしい。石川の絵がピタリ。


『ねこなんて いなきゃ よかった』(村上しいこ:作 ささめやゆき:絵 童心社)

 愛猫のももちゃんがなくなった。友だちはなぐさめてくれるけど、そんなんじゃない。

 家族みんなで思い切り泣きましょう!

愛するものの死をどううけとめるかを描いています。

 わたしの場合は、こんな風に泣けませんでした。悲しみは癒やし、乗り越えるものではなくて寄り添うものだと思っていますから、今も悲しいし、それでいい思っています。思い出して、一緒に踊ったりはしますけれど。


『ちび竜』(工藤直子:文 あべ弘士:絵 童心社)

 竜が生まれたときは、ボウフラと一緒。大きさも変わりません。そこからどんどん大きく大きくなって、どこまでも大きくなって、どこまで大きくなるのかは、読んでくださいね。

 命の話です。


『スモンスモン』(ソーニャ・ダノウスキ:文・絵 新本史斉:訳 岩波書店)

 ある星に住んでいるスモンスモンが、木の実を探して歩いて行く、たったそれだけのお話です。けれど、スモンスモンをはじめ、動植物も、自然の風景もどこか微妙で、かわいくて、少し気持ちも悪くて、要は一度見たら忘れられないイメージで描かれています。作者の自由な想像力の跳躍は、けれど、決して現実から飛翔し、遊離しているわけではなくて、私たちの知っている何かを引きずっていて、そこが忘れがたいものにしているのでしょう。

 才能だなあ。


『かなしみがやってきたらきみは』(エヴァ・イーランド:作 いとうひろみ:訳 ほるぷ出版)

 突然やってくる悲しみ。どこからやってくるのかも、どうしてなのかもわからないかもしれません。それを追いかえそうとしても仕方がありません。だから、それと付き合ってあげること。かなしみはさみしくて君の元へとやってきたのかもしれません。

 いいアプローチ。素敵なデビュー作。


『ミライノイチニチ』(コマツシンヤ あかね書房)

 地球外で暮らす未来の小学生の一日を描いています。とはいえそこにあるのはどこか懐かしい、手塚などの時代に抱いた未来のイメージです。車は空中を走り、ロボットが手伝いをする。しかし、学校はちゃんとあって、教室もある。

 手塚の時代と違うのは緑が多いことでしょうか。逆に言えばそれが今問題だと言うこと。

 人間が思い描く未来の外観はこんな感じなのかもしれません。そしておそらく問題はこうした外観ではなく、コミュニケーションシステムや、それに伴う自我の変化などでしょう。そして経済は資本主義なのかどうか? 民主主義は生き残っているのかどうか?


『さがして! かぞえて! めいろ絵本 アリスのふしぎなくに』(アニェーゼ・バルッツイ:さく 小学館)

 ただの迷路絵本ではなくて、迷路のあちこちに描かれている生き物や物の数を数えて行かなければならないので、結構大変です。しかし、なぜか意地になる。


【児童書】

『明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち』(アラン・グラッツ:作 さくまゆみこ:訳 福音館書店)

 戦前、ナチスから逃れてキューバを目指す家族。90年代、キューバを逃れてアメリカを目指す家族。2015年、シリアを逃れてドイツを目指す家族。時代を超えた三つの難民の姿がめまぐるしく切り替えられながら描かます。どの時代であれ、迫害する人はあり、迫害される人もいる。そんな絶望的な気分を最後の最後が救ってくれます。希望は絶望のとなりにあります。


『希望の図書館』(リサ・クライン・ランサム:作 松浦直美:訳 ポプラ社)

 本を愛する人、必読本の一つです。

 40年代。母親を亡くしたのを機に、ラングストンと父親は南部のアラバマからシカゴへと移る。父親は連れ合いの思い出が残るアラバマにはいたくないし、北部の市が後でチャンスが欲しい。一方のラングストンは、母親が恋しく、アラバマにも未練があります

 学校で無視か、いじめられるラングストン。そんな彼が図書館の存在を知ります。黒人でも使えるんだ! でも父親は本を読むより男として体を鍛える方を優先する方針ですから、その話は言い出せません。こうして彼は自分と同じ名前の詩人ラングストン・ヒューズと出会います。彼の詩は、まるの自分の心を代弁してくれているかのようです。

 やがて母親が父親に当てた手紙の中の詩がヒューズの者であるのを知り、そしてたぶん自分の名前はヒューズからもらったのだと思い、ラングストンはまっすぐと歩んでいきます。

 うん。こんな読書は最高だ。

邦題がちょっとベタで残念。直訳でもよかったのではないかなあ。


【そのほか】

『ゲームの仕事』(ポプラ社)

 「好きで見つける仕事ガイド」の三冊目です。今回はセガの取材協力を得て、ゲームです。

 わかっているようでいてわからないゲームの仕事。どんなのがあるの?を詳しく解説していきます。だいたいの年収も書いてあります。

 仕事を「夢」だけじゃなく、身近の物として考えてもらうこのシリーズは好企画ですね。


『子どもの本の道しるべ』(斉藤次郎 子ども未来社)

 ケストナーの『動物会議』から始まって、『ペドロの作文』(アントニア・スカルメタ:文 アルフォンソ・ルアーノ:絵 宇野和美:訳 アリス館)で終わる、ブックガイドです。この始まり方と終わり方は、今の時代にふさわしいですね。子どものことを考える大人のための一冊です。


『プラスチック・スープの地球 汚染される「水の惑星」』(ミヒル・ロスカム・アビング:著 藤原幸一:監訳 ポプラ社)

 プラスチック・スープとは、土壌、海、空中のプラスチックによる環境汚染のこと。この本には、プラスチックの便利さ故の広がりについても書かれていて、また、どう工夫して再利用しているかも含め、プラスチックを巡る現在の状況がいっぱい詰め込まれています。そして、その対策への提言も。

 とにかくおなかがプラスチックで満腹するほどです。

 学校図書館に是非!

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