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豊後大友家臣団の戦国ネタ

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2021年5月の記事一覧

老黄忠 立花道雪

老黄忠 立花道雪

さて、いろいろ大友家臣を紹介していますが、立花道雪こそ大友宗麟の家臣では随一の武将でしょう。

生誕は1513年。死没は1585年です。73歳の生涯を戦場に預けた老黄忠です。(老いてますます盛んという意味です。)

立花道雪といえば、雷を斬りつけて半身不随になった。娘に家督を譲った。義理息子が立花宗茂。武田信玄から訓えをこう手紙きた。などなど。

実際に輿に乗って出陣した記述があるのは1570年の

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最強 志賀親次(しが ちかよし)

最強 志賀親次(しが ちかよし)

大友親次は大友家臣。岡城城主です。生誕は1566年。死没は1660年。戦国時代には珍しく長寿の人です。94歳くらい生きています。大友後期家臣では立花宗茂に並ぶ最強の武将です。父は志賀親守。義母は宗麟の娘(正確には服部右京亮が父親)です。キリシタンで洗礼名はドンパウロといいます。19歳の時に義父の親度が主君の大友義統と不和となり失脚。家督を継承しています。

その後は1586年島津侵攻(豊薩合戦)の

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呪将 城井(宇都宮)鎮房

呪将 城井(宇都宮)鎮房

生誕は1536年、城井長房の子として誕生。1588年に黒田長政の策略で謀殺されています。祖先は藤原氏にあたるため艾篷(がいほう)という弓術を使える唯一の一族で弓術儀式で吉凶の占い、邪気払い、戦勝祈願することができたようです。

はじめは大内氏に属していましたが、大内義隆が陶隆房に謀反で殺されると大友宗麟の元に服属。宗麟の妹を娶ります。

鎮房も怪力無双、強弓の名手。北部九州に大友氏進出の足がかりと

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悲将 一万田鑑実(いちまだ あきざね)

悲将 一万田鑑実(いちまだ あきざね)

大友家家臣で悲将といえる武将です。生誕は不明。没年は1588年。一族謀反の疑いで処罰されています。

大友義鑑、宗麟、義統と仕えた重臣です。大友軍の要といえる武将。

しかしながらその境遇は複雑で、宗麟の時代で1553年、父、鑑相(あきすけ)、叔父、宗像鑑久(むなかた あきひさ)が討ち取られます。

これにより一族の家督を相続。妹は宗麟の側室になります。

宗麟の下で菊池義武討伐、秋月文種討伐で活

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才徳勇猛 臼杵鑑速(うすきあきすみ)

才徳勇猛 臼杵鑑速(うすきあきすみ)

大友家の武将紹介で吉岡長増さんの後に紹介する武将となると臼杵鑑速さんでしょうか。生誕は1520年。死没は1575年。とされています。宗麟より10歳くらい歳上ですね。55歳くらい生きたのですね。大友一族の流れを持ち、大友義鑑、宗麟と二代に仕えた武将です。加判衆を務めて、豊後の三老にまで列せられています。主に外交方面で活躍しています。室町幕府との交渉、毛利との交渉、島津との交渉と大友家の外交方面を担当

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