弘治3年(1557)7月7日は筑前で大友軍が秋月文種の籠る古処山城攻めをはじめた日。文種は大内氏滅亡後は大友氏に属していたが北九州に勢力をのばしてきた毛利元就の調略に応じて反旗を翻した。大友氏の戸次鑑連(立花道雪)、臼杵鑑速らが討伐を命じられ文種は徹底抗戦するも城中で自刃した。