何でもできる時代の苦悩【54/1000】

#ゆたかさって何だろう
#note1000本ノック
5/18[54本目]

お世話になっております。
ヒデユキです。

この記事に気付いて頂いたのも何かのご縁かとおもいますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

僕たち日本人は、とても豊かな国に生まれました。

そお言うと、「明日の生活もままならない人が居るのに」などという人が居ます。
今から、よく使われる例え話をします。
世界の中で本当の貧困とは、泥水を飲まないといけない・明日命が奪われるかもしれない・そもそも教育を受けられない事が普通。

比較するべきではないのかもしれませんが、僕たちが当たり前に感じている日常は、国が変われば富裕層の生活となり得るのです。
なのに、何故か満たされない。
高度経済成長期に先輩方が一生懸命働いてお金(経済)を与えてくれた。
時代ごとのビジネスリーダー達が様々な家電や車を生み出し便利さと時間を与えてくれた。
技術者とイノベーター達が、インターネットで繋がる世界を創り上げ、あらゆるモノを手にするチャンスを与えてくれた。
今日では、何が必要なのか見つけ出すことの方が難しいのではないかと思える程、創り続けてきました。

でも、どこか満たされない感覚が消えないのです。

そもそも満たされることが豊かさなのか

【豊か】
ゆとりが見えるほど満ち足りた状態であること。
不足せず十分なさま。

どおやら、辞書では満たされた上でゆとりが見える様を「豊か」と言うらしいのです。
この定義で言うとあらゆるモノを手にした現代人は、豊かなはずなのですが、何故か不足を感じているように何かを追い続けてます。

満たされる事が豊かなのではなかったのか。

逆説的に考えてみた

僕達は、満たされないから何かを探しその先に「ゆたかさ」があるものだと信じていました。
(少なくとも僕は、そお思ってました)
しかし、進んでも進んでもたどり着けないどころか遠ざかっていくのです。

このテーマを書こうとした時に改めてゆたかさについて考え、何が自分を満たしてくれるのかを掘り下げてみたました。
正直、答えはわからなかったけど、ある仮説を思いついたんです。

満たされないから追いかけていたと思い込んでいたけど、実は、追いかける"モノ"が無いから闇雲に走り続けているのではないか。

世間では、社会を大海原に例える事がありますが、現代社会こそ正に大海原と言えるでしょう。
だって僕達は、なんだって始められるし何にでもなれるのだから。

昔は、人から注目を浴びたいと思ったら芸能人という選択肢しか無かったが、今は、YouTube等で誰でも発信し注目を浴びることができる。

起業も昔に比べると簡単にできるし、クリエイターだってなること自体はハードルが低い。
(どれも、その先に成功は別問題だが)
こんな自由な時代がかつてあっただろうか。

ジャム理論

知ってる方も多いでしょうが、ざっくり説明するとスーパーに24種類と6種類のジャミをそれぞれ陳列したら6種類のジャムの方が10倍売れたって話です。

人は、選択肢が増えすぎると考えることが面倒くさくなったり失敗するのではいかという不安が強くなり購入自体をやめてしまうという実験なんですが、人生においてもジャム理論が生じてしまっているのではないでしょうか。

選択肢がある種、無限となった今、選ぶことが目的となり行動出来なくなる。
指標となる人物がなく進む道に不安を強く感じる 。

いずれにしても進む道が見えなくなり遂には目標自体が消えてしまう。
目標が無いと不安になるから目標っぽいモノを見つけて前に進んでるフリをする。
でも、エセ意識高い系になったところで僕達は、満たされるどころか益々不安になってします。

何でもできる時代に生きる現代人の苦悩と言えるでしょう。

こんな時代だからこそ言えるの「ゆたかさ」とは、目標にたどり着いて成功すること、ではなく目標を持ち続けることが、ある意味で豊かと言えるのではないでしょうか。

以上、お疲れ様です。

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