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【上野くんとの往復書簡】(七通目)|社会に広がるストレスへの学習性無力感を越えていく

こちらは「働く大人の自己肯定感」について、上野くんとの往復書簡です。下記は上野くんがくれたお返事(六通目)です。

もし、この記事で初めて僕らの往復書簡を知られた方は、下記の記事かマガジンから遡ってご覧いただければ話の筋目がわかりやすいかと存じます。



上野くん、こんにちは。

得津です。

こちらこそ大変ご無沙汰しております。6月にお返事をもらってから、夏には絶対に返事を書くぞと意気込んでいたのですが、気づけば今日が8月の最終日。。。笑

夏休みの宿題は余裕を持って終わらせていたタイプですが、この往復書簡についてはギリギリになってしまいましたね。お待たせしました。


お手紙を拝見するに、大学院へ進学するなど、春から夏にかけて日常がこれまでとガラッと変わったのですね。実は僕の方も、ちょっとした転機が訪れそうです。その辺はまた僕も落ち着いたらお話ししますね。

ここ最近の自分はインプット中心の生活になっていまして、このようにまとまった考えを述べるのは久しぶりです。話があちこちに飛ぶかもしれませんが、どうぞお付き合いください。


これまでのふり返りに六通目のお返事をプラス

六通目の冒頭で、上野くんがこれまでの僕たちのやり取りをまとめてくれました。これを拝借しつつ、上野くんの六通目の内容もプラスして、まずは話の流れを確認していきますね。

■ 1通目(得津)
働く大人にとっても大事な自己肯定感、「職場ガチャ」になりがちでは?

■ 2通目(上野くん)
扱いたい論点を3つ整理。
【論点①】「自己肯定感」とは何か?
【論点②】「自己肯定感を高めよう」とみんなが言うのはなぜなのか?
【論点③】「働く大人」にとって自己肯定感が大切なのはなぜなのか?

■ 3通目(得津)
・自己肯定感とは「いろんな自分たちを全部ハグすること」
・高垣先生が鳴らす警鐘「自己肯定感は自分という存在を支える根っこのようなものなのに、今ではスキルや能力の1つとして捉えている人が多い」

■ 4通目(上野くん)
自己肯定感を2つの軸から定義。
縦:分人軸 ー 自分にはどんな分人がいて、それぞれどういう状態か
横:時間軸 ー 過去・現在・未来における自己認識(=自尊心・自己効力感)

■ 5通目(得津)
・自己複雑性に対する「エージェントセルフ(統括する自己)」があり、『のだめカンタービレ』の千秋さまはその成功例
・働く自分のパフォーマンス向上を狙って自己肯定感を高めようとすると、結果的に自己肯定感が下がってしまう可能性があるのでは?

■ 6通目(上野くん)new!
①「パフォーマンス向上のために」という目的を持っている人は「パフォーマンス」という指標は重要性が高い 
②「パフォーマンス向上のために」という目的の裏には、「現状のパフォーマンスは不十分である」という隠れた前提がある
この2つの事象の掛け算から、自分は自分にとって重要な事柄について不十分な人間だ、ということが見えてくる「パフォーマンス向上のために自己肯定感を高めたい」と思った時点で詰んでいる。
さらに言えば「自己肯定感の高まり→自制心の向上→パフォーマンスの向上」というロジックを自分に適用しようとした時点で負け


六通目は僕が投げかけた、

「働く自分のパフォーマンス向上を狙って自己肯定感を高めようとすると、結果的に自己肯定感が下がってしまう可能性があるのでは?」

という問いに上野くんが答えてくれた形になりました。

まさに上野くんの言う通りだと思います。自己肯定感が高まりが仕事のパフォーマンス向上につながると言う因果関係はまだ見えてきていません。


この夏、僕はいくつかの自治体で自己肯定感について講演をしました。それらの講演を通して気づいたのは、自己肯定感は健康と似ているのではないかとです。

僕たちは普段、正常に機能している気管や部位に注意を払いません。胃の痛みを感じたのちに、胃の悪さを自覚します。乳歯が抜けたから、口の中の違和感に気づきます。

自己肯定感も同じで、損なわれたり失ったりして初めて自己肯定感の大切さに気づくのではないかと今は考えています。(研究されている方や、仕事で扱われる方は常に自己肯定感について考えているでしょうから別として。)


思い返してみれば、自己肯定感の高い人は自分の自己肯定感について話さないんですよね。それよりも勉強や仕事や趣味など、自分のしたいことや関心ごとに夢中になっている様子です。

上野くんも同じようなことを言ってくれましたね。

・他者比較などの外的基準ではなく、自分の興味関心などの内的基準に基づいている
・「自分がどう見られるか」ではなく「取り組んでいる課題がどうであるか」に関心がある
といったものではないでしょうか(いわゆる「フロー」の状態に重なるものだと思います)。 
六通目のお手紙より引用


自己肯定感が高い人がフロー状態までいくのかは、ちょっと僕には分からないですが、少なくとも上野くんが往復書簡の最初に言ってくれた、「私はいま十分にいい感じだし、今後どんなことがあっても乗り越えていける。だからいま幸せだし、安心して暮らしている」状態であると思います。


では反対に、自己肯定感が低い人はどんな状態なんでしょう。

ここを改めて考えることを出発点に、上野くんからもらった「働く大人の自己肯定感はどうあるべきか」に答えて、僕からのお手紙を終わろうと思います。これまではなんだかアカデミックな話に寄っていましたが、今回はかなり当たり前の結論に落ち着きました。

地に足ついたと思って歓迎してくれると幸いです。


職場で自己肯定感が下がるのはどんなとき?

自己肯定感が持てない社会人を考えてみると、いくつもの原因が浮かびます。

これまで扱ってきた、パフォーマンスを向上させたい人の他にも、ざっとこんな人が浮かびました。

・セクハラ、パワハラを受けている人

・職場の評価と自己評価の間にズレがある人

・非常にプレッシャーの高い仕事を任されている人

・仕事でミスが続いている人

・周りの空気感やノリについていけないと感じている人

などなど。これ以外の要因によって自己肯定感が持てない人も、もちろんいるでしょう。

でも、ここで挙げたようなことが、自己肯定感を下げる直接的な要因にはなりません。セクハラに毅然と対応をされる方もいますし、上司や人事部に評価を上げろと交渉される方だって考えられるからです。


僕の考えは、これらの要因と思える出来事がストレッサーとして働き続けているとき、あるいはストレスフルな環境に長くいるときに、働く大人の自己肯定感が下がってしまうということです。


最近知ったのですが、セリエという生理学者がストレスについて研究していて、人のストレス反応は以下の三段階を経ると言いました。

第1期(警告反応期)
 この警告反応はストレス刺激をうけた最初の時期にあらわれ、ストレス刺激の種類にかかわらず人体にきまりきった反応と非特異的な各種症状を起こします。

第2期(抵抗期)
 抵抗期とは当初与えられたストレス作因(刺激)に対しては抵抗は強いが他のストレス作因に対しては反ショック期よりもかえって弱くなることです。いわば他のストレス作因に対する抵抗力を犠牲にして今与えられているストレス作因に対して全抵抗力を傾け尽した形となります。

第3期(疲憊期)
 抵抗期が長く続くと適応反応を維持しきれなくなって抵抗期とはちがった症候群があらわれてきます。これは生物の適応エネルギーには限度があるために適応力が衰えてゆくためで人間の生命に危険をもたらします。

こちらのリンク先から引用しました


個人的には、第1期がストレスに対して逃げたり抵抗したりできる時期、第2期が耐える時期、第3期が耐えられなくなってしまった時期と理解しています。

言うまでもないことですが、長期のストレスは胃潰瘍や心筋梗塞などの身体症状だけでなく、抑うつなど心の病気につながります。

働く大人の自己肯定感をストレスという補助線を引いて考えると、自己肯定感を持てない人の多くは、ストレスフルな状況にいて抑うつ傾向(抑うつ気分)にあるのではないかという仮説を立てました。


抑うつ傾向というと、すごく重大な事態を想定されるかもしれませんが

「なんかやる気が出ない」
「最近ちょっとしんどい時期が続くなぁ」
「とにかく休みの日は寝ていたい」


こんな状況でも抑うつ気分ですし、抑うつ傾向の入り口に立っています。日常では軽く見られがちですが、そのくらいどこにでもあるのが抑うつです。

抑うつ気分が続くと、生理的にネガティブな思考になりやすく、自己肯定感が持ちにくくなります。



自己肯定感を持てない時はとにかくストレスコーピング

なんか気分が乗らないなぁ、ストレスが溜まっているなぁという時は、とにかくストレスコーピングです。

心理学者のラザルスがストレスコーピング(対処法)の理論を提唱しました。ラザルスによると、コーピングは2つのアプローチがあるそうです。

1、問題焦点型コーピング:ストレッサーそのものに働きかけて、それ自体を変化させて解決を図ろうとすること
(例:上司に訴える、エアコンの温度を下げにいく、勇気を出して苦痛を訴える等)

2、情動焦点型コーピング
:ストレッサーそのものに働きかけるのではなく、それに対する考え方や感じ方を変えようとすること
(例:「部長も何か思うことがあるかもしれない」「いや、これは今回だけかもな」等)

自分がコントロールできないものがストレスの場合は、情動焦点型コーピングが良いそうです。

しかも、ラザルスの研究を引き継いだ別の研究者によると、人はストレッサーに対処可能だと思うだけでストレスが下がるらしいですよ。


これまでのやり取りの中で、いろんな分人(いろんな自分の側面)に目を向けることが自己肯定感を高めることにつながると言いましたが、ストレスコーピング的にも分人に目を向けるのはアリだと思っています。

友だちと会ったり、趣味に時間を使ったり、手間暇をかけて料理を作ったり。なんでもいいんですけど、仕事から離れることが分人との出会いにもリフレッシュにもなり得ます。

ストレスコーピングという点では、自己肯定感を自己啓発的に扱った本を読むのも良いのかもしれません。白状しますと、これまでのやり取りがアカデミックに寄りがちだったのは自己肯定感を自己啓発的に扱った本に対する個人的な嫌悪感からです。。。

もちろん、上野くん(そしてこの文章を読み続けてくれているあなた)にはいい加減なことは言いたくなくて、論拠をできるだけ示しておきたいという気持ちもあります。

ただ、書店などに並んでいる自己肯定感とタイトルに含まれている本の中には、「それ、自分の意見や経験を言いたいだけだから自己肯定感という言葉を使っているだけじゃないのか!?」と思う本もあります。あくまで個人の意見です。あくまで、というか思いきり個人の意見です。


でも、僕が気に入らない本でも誰かにとってはストレスを軽減し、前を向けるきっかけになる本かもしれない。それをきっかけに自己肯定感について関心を持ち、僕らの往復書簡もいつか目に留めてくれるかもしれない。

そう考えられるようになりました。上野くんとの往復書簡による大切な気づきの一つです。



ストレスに対する学習性無力感を乗り越えるには

自己肯定感を高めるためにも、ストレスに対処することについてお話ししてきました。

ここで、そもそもストレスをトピックとして挙げた理由はついてお話しします。もちろん、これまで話したように、ストレッサーが自己肯定感を下げる要因であることも話題した理由の1つですが、それ以上に、ストレスに対して社会全体が学習性無力感に陥っている気がしているからです。この僕の直感について上野くんの意見を求めたかったんですよ。


職場のメンタルヘルス向上のために、事業所ではストレスチェックの実施が、そして労働者はチェック結果によって病院へ受診することが求められています。けれど、この動きはほとんど形骸化している気がします。

ストレスチェック制度は2015年から始まりましたが、この制度がスタートしたことによって抑うつ患者が減ったとか、職場でイキイキと働く人が増えたとか、離職率が低下した、という良いことが全然聞こえてきません。

それどころか、Googleでストレスチェックと調べると予測変換で「ストレスチェック 意味ない」なんて出る始末です。

どうしてなんでしょう。想像するに、ストレスチェックを職場で受けた労働者のほとんどが「どうせ意味ないって」「これ、正直に答えたら人事に響きそうだなぁ。適当に書いておこうか」「ブラック認定されたくないから部下たちよ正直に書かないでくれ」なんて思って、きっちり取り組んでいない労働者や事業所が全国にあるんじゃないでしょうか。もちろん、統計などはないですが、こんなことが起こっていても不思議じゃありません。


これは個人の怠慢だけでは説明がつかなくて、社会的なものだと僕は考えます。ストレスチェック制度が始まる何十年も前から、「ストレスは心身の健康を損なうからストレスを溜めないようにしましょう。リフレッシュしましょう」と言われているのに、それでも状況が変わらない。

これはもう、社会全体がストレス理論の第3期(疲憊期)にいるか、ストレスなんてどうしようもないという諦めや学習性無力感に陥ってると僕は考えています。


しかしながら、ストレスチェックも病院への受診も心身の健康を保つために大事なことです。自己肯定感を保つことが内臓などの身体の健康を保つこととと同じと考えるなら、ストレスもひどくなる前に手を打つ方がいい。

だから個人でできることはストレスチェックに正直に答えたり、たくさんのストレスコーピングを持ったりすることです。

本当はコーピングの方略を考えるためにメタ認知も加えたいところなんですが、抑うつ気分や抑うつ傾向にあるときにメタ認知をすると、場合によってはさらに気分を落ち込ませることがあるので除きました。

さらに言えば、ストレスへの対処を個人に押し付けずに、職場や行政でできる制度策定や仕組みづくりも、どんどんやるべきです。ただ、ここまで話を広げていくには今の自分ではまだまだ勉強が足りないので、僕からはここまでに留めますね。


ここまで、ストレスに関する理論も引きながらストレス対処について個人レベルだけじゃなく、職場や行政など制度側に訴えるようなことまで話を広げてきました。これまでのトーンとは違い、社会への訴えにつながるような言葉のトーンに少し驚かせたかもしれません。

その理由は、僕個人の思いとして、このストレスに対する社会的な学習性無力感を乗り越えていきたいからです。大したことはできませんが、上野くんとのやり取りを通してささやかでも抵抗していきたい気持ちがありました。ですので、(迷惑かもしれませんが)上野くんにもお付き合いいただきました。ありがとうございます。


さて、「働く大人の自己肯定感はどうあるべきか」ですが、僕の考えをまとめると次のようになります。


自己肯定感を高めることを目的にあれこれするよりも、自己肯定感の低下や抑うつにもつながるストレッサーにこそ対処する。ストレッサーが減っていけば、自分のやるべきことに向き合いやすくなり、気づけば自己肯定感が高まっている。


ストレスを放置せずに対処するという当たり前の結論こそが、職場ガチャを越え、自己肯定感を高める分人の増加(いろんな自分の側面の理解)にもつながるという、一通目から続くやり取りを踏まえた結論になりました。


最後に

一応、事前の取り決めの往復回数になったので、僕からのお手紙はこれがきっと最後になると思います。最後のくせに、締めにいくよりもツッコミどころを増やした気がしています。

・社会全体がストレスに対して諦めを感じているという直感について

・上野くんから見た、社会人やビジネスシーンにおけるストレスチェックやストレスコーピングの様相

・働く大人の自己肯定感はどうあるべきか?

この辺りの意見を伺いたいところです。ですが、わがままを言わせていただくなら、もっと聞きたいことがあります。


どうして私たちは判断を誤ったり、認知が歪んだりしてしまうのでしょう?(しかも集団的に)


これはなんの根拠もない意見なんですが、自己肯定感という言葉が広く知られるようになったために、「とりあえず自己肯定感あげておく」「自己肯定感が高まれば全部OK!」のような言説やキャッチコピーを目にするようになりました。そしてそれを無批判に受け入れる受け手の態度も見られます。

傍目には、「あなたのその辛さは自己肯定感の問題じゃないと思うなぁ…」という人まで、「自己肯定感が低いからダメだったんだ」と認知している様子が見られたことがありました。

これって、どうしてなんだろう?どうして素直に受け入れることができるんだろう?マーケティングの持つ力なのか?

などなど考えていくと、人の認知バイアスや判断について興味が湧いてきたんです。認知バイアスや判断のプロセスあたりは、上野くんの方が詳しくて関心のある事柄でしょうから、もしお返事に含められそうなら含めてくれると嬉しいです。


さてさて、雪が降るまでにこのやり取りが終わるのか。終わるとして、どんなところに着地するのか。最後の最後まで一緒に楽しんでいけたら幸いです。お互いの転機や大学院で勉強していることなどについて、また話しましょうね。


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