見出し画像

甲州を知るとワインが面白くなる

甲州ワインの歴史

 甲州は、1000年以上前から日本に存在していたとされる日本固有のブドウ品種である。

 ワイン用ブドウであるvitis viniferaが生まれたコーカサス地方(黒海とカスピ海に挟まれた地域)からシルクロードを経て、中国を経由して日本にもたらされたとされる。中国を経由する際に、中国に在来する野生種のブドウvitis davidiiと交雑したあと、vitis viniferaと交配していることがDNA解析の結果、明らかとなっている。遺伝子的には71.5%がvitis vinifera、その他がvitis davidii由来。その証拠の1つとして、davidiiは枝にトゲのあるブドウ、甲州も枝の付け根に小さなトゲがある。

 そして、日本に持ち込まれてからは栽培環境の適した山梨県、特に勝沼町周辺に根付いた。勝沼町に甲州がもたらされた背景については、2つの伝説が存在し、1つは奈良時代の僧侶行基が718年に大善寺を創設した際に境内に苗を植えたという説、平安時代末期に雨宮勘解由が勝沼の城の平で1186年に野生のブドウを見つけて、栽培したという説がある。

 甲州は、房が大きく、果粒も大きい。そして果皮は薄紫色に着色し、美しい見た目をしている。特に香りはないが、柔らかい酸味と甘みをもつブドウである。長らくは生食用として考えられ、生食用としての系統の選抜を受けてきた。また、長い年月を経て日本の気候風土に適応しており、夏期に雨が多い環境においても比較的病気に強く、よく育つ性質をもっていた。

 初めてワイン醸造に用いられたのは、明治時代に入ってから。1870年に甲府の山田宥教が託間憲久とともに甲州を原料にワインを造ったとされる。そして1877年には勝沼にて日本発の民間のワイン酒造会社である大日本山梨葡萄酒会社が設立された。設立と同年、土屋龍憲と高野誠成という2人の青年をフランスに派遣。2年後に日本に帰国し、学んできた醸造技術を用い、甲州を用いたワイン醸造を本格化させていった。

シュール・リー製法の定着による味わいの進化

 甲州ワインは長い間、味はフラットで香りも弱いとよく言われていた。1970年代から、日本固有の土着品種である甲州ワインの品質を高めるために様々な醸造法が試された。当時はフレッシュ&フルーティとしてやや甘口で飲みやすいワインが主に造られていたが、1984年にシュール・リー製法を用いた甲州ワインが発売され、辛口で食事と合わせやすいスタイルのワインが甲州ワインの定番として定着していった。

 シュール・リー製法は、フランス、ロワール河沿岸にあるナント周辺で生産されるミュスカデという白ブドウ品種を用いて造られる白ワインの醸造で伝統的に行われていた手法である。シュール・リー(Sur Lie)とは、フランス語で滓(Lie)の上(Sur)という意味である。ブドウ果汁の中で酵母が増殖し、アルコール発酵が終了し、ブドウ果汁がワインとなった後、酵母は自身が生成したアルコールによって徐々に自滅し、タンクの下に滓(Lie)として沈殿していく。

 酵母の成分はタンパク質が主成分であるため、一定期間ワインと接触させておくことで、ワインの厚みやうま味に繋がるアミノ酸などの成分が抽出され、ワインの味わいをより複雑にすることができる。甲州ワインとシュール・リー製法の相性はよく、従来フラットだった味わいをより複雑にすることができるだけではなく、甲州ブドウの厚い果皮由来の苦みが穏やかに感じられるようになり、食事との相性がよくなった。香りとしては、ブリオッシュや焼いたパンのような香りがワインに付与される傾向がある。この香りは、造り手の考えによっては過剰になると製法由来の香りであり、ブドウの個性が隠れてしまうとして、上手く全体がバランスするように滓との接触期間の調整、管理の調整(撹拌をする頻度、或は撹拌しない判断)が生産者によってそれぞれ判断されている。

柑橘様の香りの発見による香りの進化

 2003年、甲州ワインの歴史の中で大きな発見があった。フランス原産の白ワイン用ブドウ品種で、豊かな柑橘様の香りで世界的に人気の高いソーヴィニヨン・ブランに含まれている香り成分である3-Mercapto-hexan-1-ol(3MH)が甲州ワインにも含まれていることをフランス、ボルドー大学にてワインの香りを研究されていた日本人研究者であった故・富永敬俊氏とメルシャン株式会社の研究員によって明らかとされた。この香り成分は、グレープフルーツのような柑橘様の香りをもっている。ブドウ果実の中では、香らない形(香りの前駆体)で存在しており、酵母の作用で分解され、香る形である3MHに変換される。

 甲州は日本の環境に適応していることもあり、病気に比較的強い。それもあり、ブドウの収穫時期は糖度を出来るだけ上げるために晩秋まで待つ事が出来た。甲州の香りに関する研究が進んだ事で、3MHの前駆体は、糖度とブドウ果実の中で最大になる時期がずれており、1週間から10日前後早い時期に最大となることがわかった。それにより、糖度だけではなく、3MHの前駆体という視点が収穫タイミングを決める基準に加わった。

 また、3MHはチオール化合物であり、この種の化合物は銅イオンと結合して香からない物質に変わってしまう性質を持っていた。この性質は簡単に体験する事が出来る。グラスに注いだソーヴィニヨン・ブラン、甲州などの白ワインに10円玉を入れてもらい、入れる前後の比較をしてもらうと分かりやすい。10円玉を入れる事で香り豊だったワインが一瞬でただ少し青臭いだけの平凡なワインになってしまう。

 銅イオンはブドウ栽培においても重要な役割を果たしている。ボルドー液といわれる硫酸銅と石灰を主成分とする、特にべと病という病気を防ぐための薬剤がある。これは国内外で古くから使われている薬剤であり、日本でも広く使用されている。メルシャン株式会社の研究員は、3MHを発見するきっかけとなった甲州ワインを醸造する際には、ボルドー液を使用しない栽培を試験的に行っていたブドウ畑の甲州を原料としていた。このことが甲州ワイン中に3MHを発見するに至った偶然の1つである。実醸造においても、柑橘様の香りを引き出した甲州ワイン醸造をする際にはボルドー液の使用は必要最低限にするなどの栽培面の努力も行われている。

 このような柑橘様の香りに焦点をしぼった甲州ワインとしては、山梨県のシャトー・メルシャンが醸造している玉諸甲州きいろ香岩出甲州きいろ香、蒼龍葡萄酒のシトラスセントなどが挙げられる。そして、この研究が始まる以前から、ソーヴィニヨン・ブランの香りがする甲州として、土地の高いポテンシャルをみせていた同じく山梨県の勝沼醸造のアルガブランカ ヴィニャルイセハラがある。

垣根栽培への挑戦と将来への期待

 甲州の栽培は、伝統的に棚仕立てで行われてきた。一般的にブドウは木の成長をある程度制限しないと、エネルギーを木の成長にばかり使ってしまい、果実をあまり着けなくなってしまう。甲州は、木の生長がとても旺盛な性質がある。そのため、広い範囲まで枝を伸ばすことで木の勢いを抑制できる棚栽培は甲州に適した栽培方法とされていた。

画像1

 一方で、海外で広く採用されている栽培法は垣根仕立てであり、甲州においても垣根栽培の可能性を探る生産者がいた。山梨県の中央葡萄酒では、2009年から山梨県の北杜市明野町にて甲州の垣根栽培を始めている。他のワイン生産者が甲州の垣根栽培に挑戦しては、甲州の木の勢いを上手く制御できずに、果実が実らない、或は実がなっても粒が少なく思うような収量が得られず、諦めていく中、中央葡萄酒では垣根栽培によって得られる甲州の品質を優先し、改良を続けていた。現在、水はけを確保するため、根元の土を60センチほど盛り上げる高畝式で甲州の垣根栽培を行っている。

注:以下、甲州の垣根仕立ての写真が無かったので、別品種の写真を添付

画像2

 報告によると、一般的な棚栽培の甲州の収量が10アール当たり1500–2000kgであるのに対し、2012年は10アール当たり500kgと少なかった。一方で、果実品質は糖度約20°、白ワインにとって重要なリンゴ酸の比率が高く、出来たワインとしても柑橘様の香りが高く、酸味や甘み、旨味、苦みなどのバランスが優れていたとのことである。経済性を考えると、収量面の課題はあるが、良質な甲州ワインを産する手段の1つとして今後も改良が期待される栽培技術である。

甲州ワインのこれから

 2010年、甲州はOIV(国際ブドウ・ワイン機構)により、ブドウ品種として登録された。これによって、甲州ワインをEU諸国に輸出する際にラベルに品種名を表示できるようになった。そして、日本のワイン各生産者が生産するワインが国際的なワインコンクールで毎年高い評価をされ始めている。

 英国のワイン専門誌であるデカンターも2021年1月1日に、以下のような日本の甲州に関する記事を出しているように、少しずつではあるが、世界的にも注目をされはじめている。

https://www.decanter.com/premium/japanese-koshu-wineries-354235/

そして、世界的なオレンジワインの流行とともに、近年甲州は白ワインとして側面だけではなく、オレンジワインとしての側面も評価されはじめた。1000年以上も前から日本に存在し、鮮やかで美しい薄紫色のブドウから造られる多様性の広がりに今後も目が離せない。

画像3

【参考文献】

GOTO-YAMAMOTO, Nami; SAWLER, Jason; MYLES, Sean. Genetic analysis of East Asian grape cultivars suggests hybridization with wild Vitis. PloS One, 2015, 10.10: e0140841.

三澤彩奈; 仲野廣美; 雨宮幸一. 垣根仕立栽培による'甲州'ブドウおよびワインの品質特性. 日本ブドウ・ワイン学会誌=Journal of ASEV Japan, 2013, 24.3: 145-152.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?