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長編小説「Crisis Flower 夏美」 第12話

↓初見の方、第1話はこちらです。
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※週1~3話更新 全18話の予定です。
 


SCENE 29  与党民事党本部 会議室

 「あの男を罠にはめると?」
 佐々木は驚きの声をあげた。
 与党民自党本部の極秘会議室。奥田に呼ばれ、この場に来てすぐに告げられた策に驚愕せざるを得ない。
 「そう。君の極東エージェンシーからも精鋭を派遣してもらいたい。もちろん君自身も私の傍らにいて、常に警護をしてほしい。ボディガードとして依頼する。警察のSPはつけない」
 大それたことを……。
 唖然とする佐々木。あの3年前の爆破もそうだが、この奥田、やることがえげつない。
 「しかし、R――瀬尾を仕留められるだけの勢力は、すぐには集められませんよ」
 佐々木が統括する極東エージェンシーには、荒事、裏の仕事を請け負う部署がある。だが、今のあの男に対するには心許ない。
 「君の所からは必要最低限でいい。邪魔者が現れた場合に排除してくれればいいんだ。奴は、ジェロン社の特殊部隊が始末してくれる」
 「ジェロン社?」
 「彼が率いている」
 そう言って、奥田は佐々木の斜め後ろの空間を見つめた。
 気配を感じ、身構える佐々木。
 空間が歪んだ。そして、一瞬にして、屈強そうな男が姿を現した。欧米人のようだ。
 馬鹿なっ! 瞬間移動? 
 驚いて後退る佐々木。
 「ジェロン社シークレット・アーミー『Σ――シグマ――』の隊長、アラン・ランバート君だ」
 奥田が言うと、ランバートと呼ばれた男は右手を差し出してきた。握手のつもりらしい。佐々木も手を出す。大きく硬い掌で、まるで石を握りしめているかのようだ。



 ジェロン社のシークレット・アーミー……そうか、新技術。これは、光学迷彩を利用したものだな。それにしても、ここまで進んでいるとは。
 合点がいったが、更に驚愕せざるを得なかった。佐々木は溜息をつく。
 こいつらは、またこの日本で武器類の実験をしているわけか……。
 「佐々木君」奥田が続ける。「瀬尾の始末は、Σが責任を持ってつけるそうだ。君はそれを手伝い、見届けるだけでいい。もし邪魔をする者がいた場合、それがたとえ警察関係者であっても排除してもらいたい」
 「なるほど。ジェロン社も瀬尾にずっと騙され続けていたわけだから、ははらわたが煮えくりかえっていることでしょうね」
 「ササキさん」ランバートが流暢な日本語で言った。「セオはうちの社を騙し続けていただけではない。重要資料と研究開発の成果を持ち去り、勝手に使用している。必ず責任をとらせる。ヤツの命でね」
 陽気な笑顔を見せながらも、目には凶悪な光を灯している。
 「それで、横浜国際大学を戦場にしようというわけですか。学校側としてはたまったもんじゃないでしょうね。3年前の喫茶店とは規模が違う」
 やれやれ、と肩をすくめる佐々木。
 瀬尾には既に、大学で会おうと誘いをかけているという。例のメールに返信したようだ。
 「気が進まないのかね?」
 奥田が笑顔を浮かべながら訊いてくる。
 「まさか。こちらは、依頼されたことをやるだけですよ。もう、あなたによって悪魔に魂を売ってしまったようなものだ。3年前にね」
 そう言うと、佐々木はランバートに向かって頷いた。

 

SCENE 30 科学捜査研究所 

 ちょうど夕食時にさしかかり、中華街にはこれまで以上に人が増え始めていた。その波に紛れ、三ツ谷は自分の職場を目指す。
 姿を隠した者が、まさか舞い戻るとは敵も思わないだろう。だが、用心に越したことはない。十分な変装を施していた。
 神奈川県警科学捜査研究所の入り口に来ると、長瀬が待っていてくれた。あらかじめ連絡しておいたのだ。
 「やあ、久しぶり」
 「え?」怪訝な顔になる長瀬。「三ツ谷君、か……。いや、わかんなかったけど、何でそんな格好してるの?」
 「変?」
 「うん」
 「そんな、即答しないでくれよ。これでもよく考えたんだから」
 科学捜査研究所の研究員達は、たまに残業が長引くと中華街の店から出前をとる。なので、三ツ谷はどこかの店員、という姿に扮していた。中華服に中華帽、丸めがね、岡持ちを手にしている。
 「そんな格好で出前に来る人、まずいないから。もうちょっと普通にしていればいいのに……」
 呆れ顔で言う長瀬。
 「僕はやるときは徹底するんだ。君も知ってるだろう?」
 「いや、変装にそれほど徹底する必要ないと思うけどなぁ。ていうか、変装というより仮装じゃないか? 新しい中華街のゆるキャラかと思ったよ」
 「それはひどい言い方だなぁ……」
 ぶつくさ言いながらも、三ツ谷は自らのラボを目指す。
 研究所内にほとんど人はいなかった。それでも人目に注意し、熟知している監視カメラを巧みに避ける。
 「所長はもう帰った。僕は溜まった仕事を片付けるから下手したら徹夜になるかもしれない。僕の場所だけじゃ足りないからこのラボを借りる、っていうことにしてある。とりあえず、明日の早朝まではいても大丈夫だ。何かあったら僕を呼んでくれ」
 長瀬がそう言ってくれた。
 「恩にきるよ。絶対この埋め合わせはするから」
 ラボに入り、岡持ちから自分のタブレットやモバイルパソコンなどを取り出す。そして、先ほど瀬尾から託されたデータカードを手にする。
 この中のデータを解読すれば、3年前の爆発が陰謀だったことの証拠がつかめる。再捜査につなげることができるはずだ。
 何とか、瀬尾さんが新しい行動に出る前に……。
 三ツ谷は自らに向けてしっかり頷くと、すぐに解析に取りかかった。

 

SCENE 31 山手警察署 夏美

 弓なりに反ってしまった夏美の右腕が、ギシギシと軋む。折られる寸前だが、辰本はもてあそぶように、そのまま肩を支点にして回す。
 ぎゃぁぁっ! あ、あぁぁっ……。
 激しい痛み――。叫び声さえ尽き、歯を食いしばって耐えるしかない夏美。きつく閉じた目から涙が零れる。
 そんな時「そのくらいにしておきなさい」と嫌らしいほど冷静な声がした。
 霜鳥だ。ゆるりと近づいてくる。
 辰本がパッと夏美を放した。
 あぁ……。はあぁ……。
 大きく息を吐きながら、椅子にグッタリと身を預ける夏美。
 折られてはいないが、捻り上げられていた右腕が痛む。左手を添え、そして自らの体を抱きかかえるように縮こませて、2人の男を見上げた。
 はあ、はあ、はあ……。
 無理な体勢にさせられ、必死に痛みを堪えていたため、息を切らしてしまった。しかし、2人を睨み、何とか声を出す。
 「どうして、こんな酷いことを? 私がおとなしく泣き寝入りするとでも思っているんですか?」
 「何の話だね?」フッと嗤う霜鳥。「私が見たところ、辰本君は、君の命令無視の行動に怒り叱責していたようだが、それは先輩刑事として当然の行為だ。少々やり過ぎだと感じ、私が止めたんだが、何か問題が?」
 くっ、と悔しそうに息を吐く夏美。
 辰本は、本気で彼女の腕を折るつもりはなかったのだろう。そんなことをしたら、さすがに問題になる。だから、その寸前でやめた。
 ここまでなら、夏美がパワハラを訴え出たとしても、霜鳥は巧みに言葉を並べて誤魔化す。あるいは、あくまでも自分だけでやったとして辰本が詫びを入れることで、揉め事を嫌う上層部は穏便に済まそうとするだろう。
 そして、たとえ何らかの処分を受けたとしても、辰本は霜鳥によって引き上げられる……。
 全て計算づくなのだ。



 「まあ、騒ぎ立ててもいいんだが、ゆくゆく困るのは誰かな? 君の所属する班は、血の気の多い奴がたくさんいるからねぇ」
 ますますいやらしい嗤い顔で、夏美を見下ろす霜鳥。
 そう――。もし夏美がこんな目に遭わされたと知れば、徳田は霜鳥をただではおかない。おそらく殴りつけるくらいはするだろう。
 もしかしたら、鷹西さんも……。
 その場合、大問題になる。だから夏美は、黙っているしかない……そこまで見越しているのだ。
 「……卑怯ですよ」
 声を震わせながら、夏美は言った。
 「言葉に気をつけろよ、お嬢ちゃん」 
 辰本がまた顔を近づけてくるが、わざとらしく霜鳥が抑えた。
 「まあ、可愛らしいわりに根性はあるようだ。それは認めてやる。だが、もう余計なことはやめなさい。これは警告なんだ。君が尻込みすれば、きっと徳田も躊躇するだろう」
 ううっ、っと唸り声をあげる夏美。悔しかった。おそらく、自分が徳田班の中で一番脆いと思われたのだろう。
 抑えきれない怒りを込めて霜鳥を睨む。
 「君はちょっと調子に乗りすぎているようだね」霜鳥が冷徹な目をしながら言った。「異例の若さで県警捜査一課に配属となり、慢心したか?」
 「そんなことありません」
 「好き勝手に、それも派手に動きまわっているようだが、それは徳田という馬鹿を頂点にした特殊な班にいるからできることだ」
 「班長は立派な刑事です」
 「ふん」と鼻で嗤う霜鳥。「おまえの父親は立派な刑事だった。それは認めてやる。徳田はだいぶ仲が良かったようだね。だからおまえを引っ張った。他にも、県警内にはおまえの父親に世話になり、尊敬している人間がたくさんいる。だからおまえは、異例の引き上げを受けた。要するに、親の七光りのおかげだよ。お前が優秀だったからじゃない」
 ぐ、っと言葉に詰まる夏美。



 「さらに、その容姿だ。県警捜査一課の可憐な花、だと? 確かに見た目は可愛らしいな。だから、馬鹿な男どもがおまえを甘やかす。多少のことなら笑って見過ごす。おまえはその女の武器を駆使してのさばっているに過ぎない。もしかして、計算しているんじゃないか?」
 「そんな……。そんなことはありません」
 「ふん。どうだか……」霜鳥が夏美の前に立ち、テーブルに両手をついて彼女の顔をのぞき込むようにした。「だが、私はそんなものには誤魔化されないからな。甘く見てもらえると思ったら大間違いだ。いい気になるな」
 「いい気になんて、なっていません!」
 立ち上がって強く言い放つ夏美。
 しかし、辰本がその肩を掴み、また無理矢理座らせた。
 右腕から肩までの痛みが残る夏美は、抗うこともできず椅子に押しつけられ、ううっ……と声をもらす。
 「よく聞け、小娘。もう一度言う。おまえが県警捜査一課に来られたのも、そこでこれまで続けていられるのも、親の七光りとその容姿があったから。それだけだ。自分の実力だと勘違いするな。甘く見てくれる連中だけだと思うなよ。これからは、厳しさも教えてやる。とりあえず、余計なことからは手を引け。重ねて言う。これは、警告だ」
 そう言うと、霜鳥はさっさと取調室を出る。辰本が「フッ」と蔑むように笑いながら続いた。
 夏美はしばらく座り込んだまま、痛み、怒り、悔しさで身を震わせる。涙が零れそうなのを、歯を食いしばり堪える。
 泣かない……。絶対に、絶対に泣くもんか……。

 

SCENE 32 週刊潮流編集部 

 「あれ、また来たの?」
 峰岸が驚いた顔をした。だがすぐに「ふっ」と笑う。どこか嬉しそうだ。
 鷹西は「どうも」と軽く頭を下げ、峰岸が陣取っているデスクの前まで進む。
 今は、週刊潮流編集部には数名のライター達もいた。怪訝そうに鷹西に視線を向けてきたが、それも一瞬だけで、皆自分の世界へ戻っていく。
 「何度もすいません。どうしても、森田さんが調べていた件について、もう少しお聞きしたいんです」
 頭を下げる鷹西。
 「もうあの日に話した以上のことは、何もないよ」
 あっさりと言う峰岸。
 「ジェロン社と日本の政財界のつながりを調べていたと聞きましたが、具体的な内容が知りたいんです」
 「そんなことを言われてもねぇ。私もよくは……」
 誤魔化すように言って、峰岸はテーブルの上のコーヒーカップを手に取る。
 「峰岸さん」鷹西が身を乗り出す。テーブルに手をつき、のぞき込むようにその顔を見た。「今、おそらく3年前の爆破と関連のある事件が起こっています。そして、事態はより深刻になる可能性がある。それを防ぎたい」
 視線がぶつかり合った。
 「もしかしたら、本牧埠頭で極東エージェンシーの関係者達が殺害されていた事件?」
 探るような目つきで訊く峰岸。
 「知りたいですか?」
 逆に訊く鷹西。
 「当然でしょ。こちらはジャーナリストですよ」 
 「なら、取引をしませんか?」
 「取引?」
 「そうです。森田さんが調べていたことの、何かヒントになることでいい、教えていただけませんか。そうしたら、今現在起きている事件について教えましょう。もちろん、できる範囲で、ですが」
 「そんなことをしたら、君の立場、悪くならない?」
 「バレたらね。でも、情報源の秘匿については徹底してくれるんでしょう?」
 立場が悪くなるどころではない。下手をすると懲戒処分もあり得る。だが、そんな危険を冒してでも、鷹西は峰岸と通じておく必要があると思った。



 「したたかだねぇ」感心するように溜息をつく峰岸。「ていうか、ちょっと焦っているようにも感じる。そんなに切羽詰まった状況なの?」
 「それは認めます。でも、峰岸さん、あなたを信じているからっていうのもある。あなたなら、真実をきちんと伝えてくれるんじゃないかって。そう思うから」
 しっかりと峰岸を見据えながら言う鷹西。
 「それは嬉しいね。でも、要するに、真実がきちんと伝わらなくなってしまうかも知れない事件、っていうことなのかな?」
 「そうです」深く頷く。「3年前の爆破と同じようにね」
 「もしかして、極東エージェンシーの連中を殺害した犯人って、3年前の……」
 勘のいい男だ。峰岸はハッと何かを思いついたようだ。瀬尾の名前までたどり着くかはわからないが、早晩事情は知るだろう。
 「峰岸さん。3年前の爆発の真相や今の事件について、明らかになるかどうか、まだわかりません。でも、明らかにしたいし、しっかり伝えたい。俺は犯罪者をかばうつもりはないけど、どんな背景、事情があって今回の事件が引き起こされたのか、それはしっかりと伝えてもらいたいんです。そうじゃないと、浮かばれない人がたくさんいる」
 瀬尾美咲や森田重雄をはじめとする犠牲者達。その人達の死がどれほど理不尽なものだったのか、絶対に知らしめなければならない。 
 峰岸は鷹西の顔をしばし呆然として見上げていたが、嬉しそうに頷く。
 「森田さんが当時持ち歩いていた資料は、私が厳重に、そして秘密裏に保管してある。いずれ取り組みたいと思っていたからね。命がけになりそうだったんで、頃合いを見計らっていたんだ。でも、どうやら、君に託した方が良さそうだね」 
 「峰岸さん、ありがとうございます」
 深々と頭を下げる鷹西。
 「でもなあ、君、惜しいなぁ。いい刑事になるだろうけど、いいジャーナリストにもなりそうなんだよなぁ。もし何かで警察を辞めるようなことがあったら、絶対に私の所に来てね」
 「い、いや、まあ……」鷹西が戸惑いながら頭を搔く。「考えときます」

 

SCENE 33 山手警察署

 夜も更け、外をまわっていた捜査員達も戻り、それぞれの班で明日早朝にある捜査会議の準備のため報告を済ませた後、帰宅していく。
 そんな見慣れた光景をボーと眺めながら、夏美は徳田班の片隅に座っていた。
 徳田は今日は県警に詰めていて、こちらには来ないらしい。立木はもうあがった。
 ボンヤリとしたままその場にいたが、こうしていても仕方ない。そろそろ自分も帰ろうと思い、席を立つ。
 腕の痛みは、もう消えた。だが、なんと言っていいかわからない、モヤモヤとしたものが胸の奥にわだかまっている。
 虚脱感、無力感、嫌悪感……。
 霜鳥達への怒りも強いが、むしろ、自分を情けなく感じ、気が滅入ってしまっていた。
 フラフラと山手警察署を出た。夜の闇にとけ込んでしまいたいような思いに囚われる。
 「あれ、夏美。今帰りか?」
 不意に声がかかる。鷹西だった。
 あ……。
 ふと立ち止まるが、まともに顔を合わせる元気がなくなっていた。
 「お疲れ様です」
 そう言ってちょこっと頭を下げ、また歩き出す。
 「どうした?」鷹西が戸惑いながらついてきた。「何かあったのか?」
 「いえ、特に……」
 「特に、って。ちょっと元気ないぞ、おまえ」
 「また、おまえ、って言った……」
 俯きながら言う。そんな彼女を、いよいよ怪訝そうな顔になり見下ろす鷹西。
 「ごめん。でも、どうしたんだよ?」
 「何でもありません。ちょっと疲れただけです。失礼します」
 再び頭を下げ、立ち去ろうとする夏美。
 「歩いて帰るのか?」
 山手警察署からJRの山手駅までは10分ほどだ。だが、それなら多少時間がかかっても、女子寮まで歩いて帰ろうかと思っていた。なので、逆方向に向かっている。
 「はい……」
 「じゃあ、送る」
 「そんな……。大丈夫です」   
 女子寮までは30分くらいかかるだろうか?  ただ、何となく闇の中を歩いていたかった。
 「別にいいさ。俺も、もう帰るし」
 2人並んで歩き始める。何となく、気まずい空気が流れた。



 鷹西が何か大事そうに抱えているのが気になった。ファイルのようだが……。
 「それは、何ですか?」
 「ああ、ちょっとした資料を手に入れた。もしかしたら、3年前の件の手がかりがつかめるかも知れない。これからちょっと、読み込んでみる」
 「え?」息を呑む夏美。「それなら私も一緒に……。何なら戻りましょうか?」
 「いや、いいよ。疲れているんだろう? 俺もちょっと休んでからにしたい」
 「でも、必要なら……」
 「休んで疲れをとって、集中してやった方がいいだろう。それに、捜査本部で大っぴらに見られる物じゃない」
 そう言うと、鷹西は、隠すようにファイルを背中側に突っ込んだ。たぶんベルトで挟んだのだろう。そうして両手をあげた。おしまい、と声を出さずに口だけ動かす。
 「そうですか……」
 また、空気の抜けたような返事をするしかなくなる夏美。
 「なんか、変だなぁ。何があったんだよ?」
 「何でもないです。本当に、疲れただけです」
 「そうか」
 頭をポリポリかく鷹西。やりにくそうだった。夏美も気まずさに俯いて歩く。
 お互いぼそりぼそり、と何でもないことを言い合い、黙る……そんな状態で歩いた。
 女子寮近辺まで来た。見慣れた景色だ。立ち止まり、鷹西に向き直る。
 「もう、大丈夫です。すいません、送ってもらって。頼りないですもんね、私」
 つい、投げやりになって言ってしまった。そんなつもりはなかったのだが、自嘲気味に笑う。
 鷹西も立ち止まった。そして、一際怪訝そうな表情で夏美を見つめる。
 「もう、私のことなんか、甘やかさないでいいですから。鷹西さん、前に言ったじゃないですか。甘やかしてもらえると思ったら大間違いだぞ、って」
 「え?」目を見開いて驚く鷹西。そしてオロオロとし始めた。「あ、あの時は、あの状況で、言葉のあやっていうか……。本気で言ったわけじゃない」
 「いいんです。言われたとおりですから。私、まだまだ足りませんでした」
 「何を言っているんだ、夏美? やっぱちょっと変だぞ。何があったんだ?」
 言われて、夏美は大きく息をすった。そして空を見上げる。そうしないと、涙がこぼれてしまいそうだ。
 「私も一応女ですから。だから、可愛いとか、可憐だとか、そんなふうに言われたら嬉しいです。でも、それでいい気になってなんかいないって、少なくとも私自身はそう思ってました」
 「わかってる。誰もそんなこと思ってないだろう?」



 「そうでしょうか? だったらなんであの時、鷹西さん、甘やかさないぞ、って強調したんですか? いい気になっている、っていうふうに感じたからじゃないんですか?」
 「いや、それは、だから……」
 戸惑う鷹西。視線を泳がせながら、下に向ける。
 「いいんです。正直な気持ちだったんでしょう? 私が悪いんです。仕方ありません。それに……それだけじゃない」
 「え?」っと鷹西が顔を上げた。
 「私の父は、優秀な警察官でした。だから、父を慕ってくれた人達が、私のことも引き上げてくれた。班長もそうです。私は、そういう刑事としての資質とは関係ないことで捜査一課に配属されることができて、今も続けられている……」
 「おまえ何言ってんだよ。何でそんなに自分のことを……」
 「だって、事実じゃないですかっ!」
 強い口調で言う夏美。その声が夜空に響き渡った。
 鷹西が息を呑み、夏美を見つめる。
 「……その通りですから。だから私は、そういうものを払拭して、本当に刑事としての実力をつけ、実績を上げて見返してやろうって私なりに頑張ってきました。他の人達から無茶だとか跳ねっ返りだとか言われても、それでも私は、見た目とか、父の影響とか、そういうの関係なく、自分自身の実力で捜査一課の刑事だって、胸を張れるようになりたかった。怖いことや嫌なことがあっても、負けないように自分を奮い立たせてきたんです。でも、まだまだ全然足りませんでした」
 涙がひとしずく流れ落ちてしまった。夏美は大きく首を振り、そして鷹西に背中を向けて涙を拭う。
 「また、明日から頑張ります。もっともっと頑張って、こんどこそ、本物の捜査一課刑事だと名乗れるようになります」
 「夏美、待てよ……」
 鷹西の声が背中に向けられる。夏美は、それを振り払うようにいったん振り向き頭を下げる。
 「送っていただき、ありがとうございました。失礼します」
 彼の顔を見ないように、そして自分の顔を見られないように素早く頭を上げ、また背中を向ける。そのまま足早に立ち去ろうとした。
 だが、右腕を強く掴まれ、引き留められる。
 「待て、って言ってるだろ、夏美」
 鷹西が左の肩にも手をかけ、夏美の勢いを止める。



 「放してください。私、もう帰ります。鷹西さんも、もう帰って休んでください。明日からに備えて……」
 「だめだ。放さない。今のままじゃ、放せない」
 夏美の後ろ姿に強く語りかけるようにする鷹西。
 「どうしてですかっ?!」
 つい険しい口調になる夏美。いらだっている。それは、鷹西にではない。モヤモヤしている自分自身に対してだ。
 「このままじゃ、見ていられない。夏美、おまえ頑張りすぎだ。もうこれ以上、頑張らなくていい。今のままで、自然なおまえでいいんだよ。何でそんなに自分を卑下する? そんな必要全然ないだろう。誰に何を言われたのか知らないが、おまえがもうすでに本物の刑事だって、俺は認めてる。認めているからこそ、負けたくないって思って、ちょっときつめのことも言ってしまったんだ。それは、ごめん」
 頭を下げる鷹西。そして続ける。
 「それに、班長だって、同じ班のみんなだって認めてる。それで充分じゃないか。何か言いたいヤツには言わせておけばいい。おまえを認めている人達はたくさんいるんだ。最初は見た目やお父さんの影響もあったのかもしれない。でも、それだけでここまで続けられるはずないだろ? 多くの人がおまえの行動を見守っているのは、おまえ自身を認めているからだ。認められてなければとっくに追い出されてる。捜査一課は、そして徳田班はそういうところだ。もっと自信を持てよ。いや、持ってると思ってたのに、どうしたんだよ?」
 掴まれた右腕、左肩を通して強い熱が伝わってくるような気がした。夏美の瞳から、ついに堪えきれずに涙があふれ出す。
 「だって……。だって……」
 思わず子供のようにしゃくりあげてしまい、何度も首をふる夏美。
 「気になるなら、何か言うヤツには俺が文句を言ってやる。そういう連中は、きっとおまえの実力を怖れているんだ。だから、もういい。気にするな。おまえは今のままでいいんだ。もうこれ以上、頑張りすぎるなよ」
 鷹西が後ろ向きなままの夏美を引き寄せた。背中がすっぽりと彼の胸の中に抱かれる。
 夏美はドキリとした。だが、抗う気持ちはおきず、そのまま身体を預けた。
 微かに彼の顎が頭をかすった。どうやら、空を見上げているようだ。夏美の泣き顔を見ないように……。
 「おかしいなぁ。私……、こんなに……泣き虫じゃあ……ないはずなのに……」
 そう言うと、夏美はしばらく泣き続けた。その間、鷹西は黙って空を見上げ続けていてくれた。


深まる2人の仲……第13話に続く↓


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