「短編小説」心花
……これは、ちょっとした御伽噺。
刑事としてがんばる智樹。そして、不思議な少女、心花。
2人は遠い過去から結ばれていた……。
文字数:約9500字 推定読書時間:約15分
……これは、ちょっとしたお伽話。
1 再会
三上智樹は重くなった体を引きずるようにして、帰路についていた。
疲れた……。
刑事の仕事は激務だ。横浜の繁華街を含む管轄ともなると事件も多い。
警察官になりたての頃は、刑事に憧れたんだけどなぁ。
何とか30才までに所轄署の刑事となったものの、夢に描いていた颯爽とした姿とはほど遠く、疲れた姿を鏡に映してため息をつく日々が多くなっていた。
いかん、いかん、俺は、まだ警察官として半人前だ。もっとしっかりして、多くの人を守り、救っていけるようにならないと。
そう、あの人のように……。
脳裏に、幼い頃自分を助けてくれた警察官の姿がうかぶ。
あなたに一歩でも近づけるように、頑張ります。
そう気持ちを立て直したところで、一人暮らしのマンションにたどり着いた。
鍵を開け中に入り、灯りをつけ……いや、すでについていた。
ん? あれ、朝、出るとき消し忘れたかな?
首をかしげた途端に、奥からドタドタと足音が聞こえてくる。
「おかえりっ! 智樹っ」
突然現れた女の子が、元気な声をあげた。和装でおかっぱ。歳は5才くらいか? 艶やかな黒髪と白い顔。どこか人間離れしていて、日本人形を思わせる。
「のっ! のわぁぁぁっ!」
慌てて外へ飛び出そうとする智樹。
そのスーツの裾を女の子がつかみ、思いきり引っ張る。
「なんで出てくのよぅ? 待ってたのにぃ」
小さいのに力が強い。智樹は引っ張られるままその場に尻餅をついた。
「え? 俺を待ってた? 」
「あたりまえじゃん。ここ、智樹のお部屋でしょ?」
そ、それはそうだけど……。
「さ、入って入って」
いや、俺の部屋だし……。
「き、君は、誰? どこの子だい?」
立ち上がりながら、ようやく智樹が訊いた。
女の子は「えっ!?」っと言って目と口を大きく開けたまま止まった。
「なんでここにいるの? お父さんかお母さんと一緒じゃないのかい?」
冷静さを取り戻しながら、智樹が更に訊く。硬直してしまったかのような女の子を、もう一度よく見た。
人形のように見えたが、顔が白いのはおしろいでも塗っているのだろうか? 和装なのは、何か催しでもあったのか?
「ひ、ひどい……。私のこと、忘れちゃったの?」
わなわなと全身を震わせながら、泣き始める女の子。
「え? いや、その……」
あまりにも悲しそうな女の子の様子に、智樹の胸が痛む。しかし、そうは言われても、こんな小さな子に知り合いはいない。
困惑しているうちに、脳がめまぐるしく過去の記憶を呼び起こしては消していく。そしてついに、あることを思い出しハッとなった。
しかし、でも、それは、だって……。
「うう……。うわぁん。ひどいよぅ……」
泣き声が徐々に大きくなっていく。
「まさか、もしかして、ちび花?」
恐る恐る訊く智樹。
ピタリ、と女の子が泣きやみ、動きも止まった。そしてまた、満面の笑みを浮かべる。
「思い出した? でも、ちびは余計だなぁ。心花だよっ! 久しぶり」
「そ、そんなバカな……!」
自分で言い当てておきながら、智樹は驚きでまたしてもその場に腰を落とした。
だって、心花は、人形だったじゃないか……。
2 人形婚
本州の最北端、津軽半島の一部地域には「人形婚」という風習が残るところがある。
智樹は以前、そこで暮らしていた。
「人形婚」は、未婚で亡くなった若者や幼児に死後の結婚をさせる、東北地方の「冥婚」の風習の一つだ。似たものでは絵馬に結婚の様子を描く山形県の「ムカサリ絵馬」が有名だが、津軽では人形と結婚させる形をとる。
このような風習の背後には、未婚で死んだ者は正常な生を全うしていない霊=祟りなす怨霊である、という宗教感覚が根付いている。だが同時に「不憫だからせめて形だけでも結婚させてやりたい」という、遺族の純粋な感情があるのは間違いない。
3 夢?
「はい。どうぞ」
目の前のテーブルに、湯飲みが置かれた。熱い緑茶が注がれている。見ると、茶柱が立っていた。それを見て心花が「わぁ、いいことあるよ」とはしゃいだ。
智樹の部屋だ。キッチンと六畳間、風呂とトイレだけという狭さだが、一人暮らしなのでそれでも全く不便はない。
フウフウと冷ましながら、一口お茶を飲む智樹。目は心花に向けたままだ。
「いや~ん、夫婦だからって、そんなに見られたら照れちゃう」
心花が体を捩りながら言った。
途端にぶふぅ~とお茶を吐き出してしまう。
ちょ、ちょっと待てよ。落ち着こう。これは夢だ。きっと夢に違いない……。
頭を振り、深呼吸をしながら考える智樹。
「それにしても、久しぶりね。智樹、昔のままで良かった」
「い、いや、そんなはずはないよ。何年経っていると……」
まじめに応えようとして、智樹は止まる。そう、夢だ。夢なんだ。
「ええ? でも……」心花が目を細めながら見つめてきた。「ああ、ほんとだ。こうやって見るとおじさんになってる」
「おじさんじゃないっ! まだ30になったばかりだよ」
思わず言い返してから、ああ、夢なんだからいいか、と思い直す。
「うん、でも違う気持ちで見れば、前の智樹だ。だって、見ようと思えば何歳の智樹でも見られるし。だから、今も5才の智樹のままだよ。なんなら、もっと年上の智樹にだってできるよ。90才の智樹、見てみようか?」
「いや、いい。そんなに生きないかもしれないし……」
こちらが言い終わらぬうちに心花が「ぎゃぁぁぁっ!」と叫ぶ。
「どうした?」
「智樹が白骨になった」
「死んでるじゃん……」
「なーんて、嘘だよ~ん」
戯けて笑う心花。がっくりと項垂れる智樹。
「智樹もやろうと思えばできるよ。私のこと、ちっちゃい子供に見えるんでしょう? でも、それは人形に合わせたから。本当はもっと年上にだってなれるんだから。心花の世界に年齢なんて関係ないの。見たい歳で見ればいい。やってみなよ。ほら、二十歳くらいの心花を見て……」
そんなことを言われても……と思いながらも、新たに心花を見つめ直す。すると……。
「おっ! おおっ!」
思わず声をあげてしまった。
そこには、若い女性の姿が……。しかも、アイドルか若手女優と言ってもいいほどの美貌だ。
「どう? どんなふうに見えるのかなぁ?」
心花が立ち上がる。いつの間にかTシャツにホットパンツという軽装になっていた。スラリと伸びた足がまず目を惹く。そして、出る所は出てくびれるべき所は適度にくびれて……。
サッ、サッ、といろいろなポーズをとる心花に、見とれてしまう智樹。
「ちょっと目がいやらしいですよ?」
心花が言う。智樹は慌てて視線をそらす。
それにしても、リアルな夢だなぁ。よっぽど疲れてるんだな、俺……。
「うふふ……」とささやくように笑いながら、心花がピッタリと身体を寄り添わせてきた。そう、二十歳の身体で……。
「あ、いや、そのう……」
拒むのも悪いし、どうせ夢だからと智樹はそのまま彼女の肩を抱いた。
「嬉しい。やっと一緒にいられる……」
嬉しそうな心花の声。
「本当に夢なのかなぁ……」
首をかしげながら、部屋の片隅を見る。するとそこに、開かれた段ボール箱があった。人形の心花が入るくらいの大きさだ。
まさか、もしかして!
ハッとなり箱を引き寄せた。中に手紙。実家の母親からだ。
『前略
元気でやってますか?
実は、この間の地震で裏の物置が崩れてしまったの。そうしたら、なんとあなたが5歳の時に人形婚をしたお相手、心花が出てきたのよ。ずっと奥にしまわれていたのね。こちらに置いておいても仕方ないし、智樹の物だから送ります。どうするかは智樹が決めてね』
完結にまとめられた手紙。しかし、と言うことは……。
智樹は空になった箱と隣にちょこんと座る心花を順番に見た。
「ま、まさか、君、本当に、本物の、心花?」
「なに言ってるの? あたりまえじゃん」
にこっと笑う心花の顔が、一瞬人形に戻った。
智樹は呆然とするしかなかった。
4 過去
今から25年前、5歳の時、智樹は一回死んだ。
小さいが観光に訪れる人は多く、活気はそれなりにある街に住んでいた頃だ。
あれは夏の日だった。行楽に良い季候で、多くの客が訪れた。
しかしその中に、逃亡中の殺人犯が紛れ込んでいた――。
暴力団の抗争の最中のことらしい。対抗組織の幹部を殺害した男が逃げ延びてきていた。追っ手も現れて、河原で銃撃戦になった。地元の警察署から警官も駆けつけ、青森県警の機動隊も出動した。
夕方ので、子供達やその親も遊びに来ていた中での騒動だった。人々は必死に逃げ惑った。
逃亡犯はやけくそになり、意識は常軌を逸してしまった。目に映る者すべて、敵だろうが警官だろうが何だろうが――そう、女子供であっても、所持していた散弾銃を向けた。
逃げ遅れた智樹が、男の標的になった。そのとき、一人の警官が駆けより、智樹を抱きかかえて逃げようとした。
激しい銃声が響き、何発もの弾丸が警官の身体を貫いた。そのうち数発が智樹の身体にも撃ち込まれた。
何とか逃亡犯も追っ手の暴力団員達も制圧されたが、多くのけが人が出た。
そして、死者2名――。
一人は智樹。もう一人は彼を救おうとしてくれた警察官だった。
病院に担ぎ込まれた智樹は、その時すでに心肺停止状態。嘆き悲しんだ両親や兄弟姉妹達にかわり、親戚のおばさんが人形を用意してくれた。
人形婚の相手、それが、心花だ。
臨死体験、とでも言うのだろうか。智樹は死の間際に夢を見ていた。
「君は誰?」
「心花」
「僕よりちっちゃいね。ちび花だね」
「失礼ね。あなたのお嫁さんなのに」
「え? お嫁さん? まだ子供だよ、僕たち」
「ここでは、細かいことは気にしないの。さあ、一緒に遊ぼう」
「うーん、なんだかわからないけど、まあいいや」
夢の中では時間は無限のように感じられた。智樹と心花は、たくさん遊んだ。雲の上の上の上の、更に上の世界で……。
それはそれは、楽しい時だった。
しかし、突然目の前に、制服を着た警察官のおじさんが立ちふさがってこう言った。
「君はまだ、死んじゃいけない。帰りなさい」
えっ? と驚く智樹。
しかし、心花はおじさんの言うことを理解したようだで「それができるなら、その方がいいね」と寂しそうに言った。
その瞬間、世界がぐらりと揺れた。そして目の前が真っ暗になった。ぐるぐるぐるぐる回って、智樹は大きな波に呑まれた。
時と空間の波に――。
途中、遠くから心花の声が聞こえてきた。
「またね。私、会いに行くからね……」
病院のベッドで目を覚ました智樹を、まわりの人たちは驚きの目で見つめた。
叫ぶ人もいた。
今ならそれも当然だろうと思う。死んだ人間が蘇ったのだから。
でも、結局みんな喜んでくれた。医者も、希にこういうケースもある、とか何とか言っていた。
銃で撃たれた時、警察官のおじさんに抱きかかえられた。おじさんの体が、弾丸の威力を弱めてくれた。だから、銃弾は智樹の命の火を最後まで消しきることはできなかったのだ。
智樹が寝ているベッドの脇には棚があり、そこに人形が飾られていた。心花だ。
ああ、この子だったんだ……。
智樹が見つめていると、母がその心花を抱き上げた。
「この子も、無駄になっちゃったわね。どこかで供養してあげた方が良いのかしら?」
即座に首を振る智樹。
「家に置いて飾っておこうよ」
「そう? まあ、そうね。本当のお嫁さんが来るまで、相手をしてもらえばいいね」
母もそう言って頷いた。
とはいえ、快復して元気になると、智樹はその人形の存在を徐々に忘れていき、いつの間にかどこかに紛れてしまっていたのだが……。
退院してしばらく後、両親に連れられて、助けてくれた警察官、藤岡茂さんの家へ挨拶に行った。
遺影を見て驚いた。あの、臨死体験中に見た夢に出てきた警察官とそっくりだったからだ。
いろんな人に話を聞いた。藤岡さんは、立派な警察官だったという。市井の人たちのために親身になってくれる、警察官の鑑だ、と……。
いつしか智樹は、自分も警察官になると決意していた。命を救ってくれた藤岡さんのようになるんだ、と思ったのだ。
ずっと忘れてた、心花人形のこと。でも、まさか、本当に……?
すべて思い出すと、もう一度心花のことをマジマジと見る。
「いや~ん、そんなに見つめないで」
恥じらうように両手で顔を隠す心花。しかし、指の間から嬉しそうな目でこちらを見ている。
これから、どうすればいいんだ?
困ったような、ちょっと嬉しいような、複雑な気持ちで智樹はため息をついた。
5 新生活
「いってらっしゃ~い」
手を振る心花。
「行ってきます」
戸惑いながらも手を振り返す智樹。
そんな朝が続いた。
「お帰りなさ~い」
ドアを開けると、すぐに駆けより抱きついてくる心花。
「ただいま」と抱きしめ返す智樹。
そんな夜が続いた。
そしていつしか、それが当たり前のようになっていった。
心花は無邪気だが、とても優しく、いつも疲れた智樹を労ってくれる。
そして、料理も上手だった。
「ほら、今日は肉じゃがだよ」
「はい、餃子つくったんだ」
「ハンバーグ、上手にできたでしょ?」
みんな、美味しい……。
それだけではない。洗濯も掃除も、家事全般完璧だった。
大きな事件が起こって智樹が捜査本部に加わり、家に帰る時間がほとんどなくなったとしても、心花は文句も言わず待ってくれていた。
疲れ切ってぐったりとなってしまい寝るだけの日でも、心花はけっして休むことを邪魔せずに寄り添ってくれた。
これで、いいのかな……?
楽しくて心地よい生活の中で、智樹は時々疑問を浮かべる。
心花は人間ではないのだ。このままで良いのだろうか?
疑問が不安に変わろうとする頃、その人――いや、神様なのか?――はやって来た。
珍しく智樹が非番の日、心花と一緒に夕食の準備をしていた。
「今日はカレーだよ」
「わあ、いいね。僕も手伝うよ」
「じゃあ、玉ねぎ切って。心花、すぐ涙が出てきちゃうんだよ」
「へえ、そうなんだ? どーれ……」
「だめっ、切り口こっちに向けないでっ!」
「アハハ、ほんとだ」
「もう、智樹の意地悪っ!」
「イチャイチャしているところ悪いが……」
突然後ろから渋い声が聞こえてきて、慌てて振り返る2人。
「う、うわぁぁっ!」
「きゃあぁぁっ!」
同時に叫び声をあげた。
「そんなに怖がらなくても良いと思うんだが……」
ポリポリと頭を搔くおじさんの姿がそこにあった。いや、よく見ると、それは智樹の恩人の警察官……。
「藤岡さん? ええっ! 何でここに?」
だって、僕を助けてくれたときに亡くなっているんじゃあ?
目を見張る智樹。その腕に心花がしがみついている。
「藤岡? そうか、君には私の姿がそう見えるのか?」
「え? どういうこと?」
怪訝な顔になる智樹の横で、心花が「神様……」と呟いた。
「うむ。まあ、神の端くれだがね。実態がないから、君にとっては一番畏れ多い姿に見えるんだな。まあ、それはそれで良い」
神様? 藤岡さん? どっちかわからないが、彼はそう言って頷いた。
ぎゅっと智樹にしがみつく心花の手に力が込められた。
「心花のこと、連れ戻しに来たんですか?」
恐る恐る心花が訊いた。声が震えている。
「え? 連れ戻すって、どういうこと?」
心花と藤岡の神様の顔を交互に見比べる智樹。
「うむ、わかっているようだね? 心花は人形婚の相手。その目的は、幼くして亡くなった魂を成仏させること。だが智樹君は生きている。しかも大人だ。このように一緒にすごすことは、理に反している」
藤岡の神様が渋い顔をしながら言った。
「そ、そんな……」
思わず息を呑む智樹。
「私、智樹と一緒にいたい……」
目を伏せながら呟く心花。
「もし、このまま一緒に居続けるなら、近いうちに智樹君は命を失うことになる。人形婚が続くというのは、そういうことだ。それで良いのか、心花? 智樹君には立派な目標があるんだろう? まだまだ生き続けたいだろう?」
心花と智樹を順番に見ながら、藤岡の神様が諭すように言った。
俯きながら、視線を交わす二人……。
「ごめんなさい……」心花がそう言って頭を下げた。「智樹が死んじゃうのはイヤ。この世界で、立派なお巡りさんになるのが夢だったんでしょう? がんばってね」
うむ、と頷いて藤岡の神様が手を上げた。何かするつもりなのか?
「ま、待って!」慌てて叫ぶ智樹。「今すぐ連れて行くのは待ってください。せめて一週間、いや、三日でいいから、一緒にいさせてください」
「智樹……」
潤んだ瞳で見上げてくる心花。智樹は彼女を引き寄せて抱きしめた。
「ふむ」とまた渋い顔をする藤岡の神様。「三日か。その間、危険なところには行かないことだ。刑事の仕事も休んだ方いい。もうすでに、智樹君は死に向かっている。気をつけてな」
そう言うと、藤岡の神様の姿はスーッと消えた。
心花の頬をつたう涙は、玉ねぎのせいではなくなっていた……。
6 最後の日
それから3日間、智樹は休みをとり、心花と一緒にすごした。
買い物をして、食事をして、テレビを観て、ゲームをして……。
楽しかった。しかし、寂しさも徐々に押し寄せてくる。もう、こんな時はなくなってしまうのか……。
最後の日、夕食は豪華にしようということで、近くのショッピングモールの高級食材店へ買い物に出かけた。
「ねえ、智樹、何食べたい?」
「う、うん、そうだなぁ。すき焼きなんていいかな?」
「よしっ、じゃあ、特上の牛肉買わなきゃ。智樹、お財布大丈夫?」
「平気さ。今日は特別。たっぷり食べよう」
「わーいっ!」
2人とも明るく楽しそうに買い物を続ける。胸の奥にしまい込んだ寂しさ、悲しさに蓋をして……。
そんな時……。
パーンッ!
乾いた音がショッピングモールのフロア中に響き渡った。
遊びに来ていた人達、買い物客達などが、一瞬凍りつく。
あれは……!
智樹は目を見張った。見覚えのある男が、銃を手に走っていた。数日前に市内で強盗を働き、指名手配になり逃げていた男だ。
男を追うのは制服の警察官2人。この近くを警邏中に発見したのだろうか? とにかく追いつめてはいるが、それは逆に相手の凶暴性を刺激している。
男はショッピングモール内を行き交う客達に銃口を向けた。
「追ってくるんじゃねえ。これ以上近づくと誰か殺すぞっ! 消えろ!」
男は強盗時に2人を殺害している。捕まれば極刑は免れない。もはや、自暴自棄になっていた。
警官達が怯む。戸惑いが見てとれた。その姿が、更に男をいらだたせた。
「消えろって言ってんだろっ!」
男が銃口を向けた先には、おもちゃ屋の入り口に立つ男の子がいた。まだ5歳くらいだろうか。
危ないっ!
智樹はとっさに動いた。男の子に駆けより、自らの体で銃口から隠す。
「智樹っ!」
心花の叫び声。
次の瞬間、銃声が響いた。そして、智樹は背中に衝撃を受ける。被弾したのだ。自分でもわかった。
目の前に男の子。脅えている。智樹は彼に向かって笑いかけた。
「大丈夫だからね。ジッとしていて……」
ヨロヨロと立ち上がった智樹は、振り返り、強盗犯を睨みつけた。
「撃つなら、俺を撃てっ!」
両手を大きく広げ、強盗犯に迫っていく智樹。
強盗犯が目を見開いた。智樹のことを恐れている。後退りながら、震える手でまた銃爪を引く。
パンッ! パンッ! と銃声が響き、智樹の肩と腹部に衝撃が来た。
激しく熱い痛みが体を駆け巡る。気を抜いたらその場に倒れ込んでしまうだろう。しかし智樹は歯を食いしばり、強盗犯に迫っていく。
「う、うわぁぁっ!」
恐れを成した強盗犯は銃を捨て、走って逃げ始めた。しかしすぐに、警官2名に取り抑えられた。
振り向く智樹。男の子は無事だった。
良かった……。あっ! 心花は?
その姿を探そうとしたところで、意識はフッと途絶え、真っ黒になった。そして智樹は、フロアに倒れ込んだ。
「智樹っ! 智樹ぃっ!」
心花の叫び声が、遠くで聞こえた。
7 別れ
智樹が病室のベッドに横になっていた。様々な機器につなげられ、命をかろうじて保っている。
その横で、心花は泣き続けていた。
智樹、智樹……。うわぁ~んっ!
藤岡の神様が現れた。そっと、心花の肩に手をかける。
「私のせいです」泣きながら心花が叫ぶ。「私が智樹の所に来ちゃったから、こんな事に……。うわあぁん」
「まだ間に合う」
藤岡の神様が言った。
「え?」泣くのをやめ藤岡の神様を見上げる心花。「智樹は、助かるの?」
「今すぐに、心花が雲の上の上の、更に上の世界に戻れば、何とか助けられるだろう」
「戻ります。心花、戻りますから。だから、智樹を助けてください。お願いします」
心花はそう言って、藤岡の神様にしがみついた。彼は頷くと、心花の頭に手を乗せた。
その手から光が心花に降りそそぐ。彼女が、光と一体化していく……。
藤岡の神様も同じように光に包まれていった。
病室に残されたのは、智樹だけだった……。
数日後、瀕死の重傷を負った智樹は奇跡的に快復し、意識を取り戻した。
目を覚まし、ベッドの横の棚を見る。
そこには、心花の人形が置かれていた。そう、小さな人形。もう動かない。
心花……。
さよなら。良いお巡りさんになってね――。
そんな声が、どこかから聞こえてきたような気がした。
8 時は流れて……
50年後――。
とある老人ホームで、葬儀が行われていた。
なぜか、警察関係者が多く駆けつけてきている。
「三上智樹さん、元は警察官だったんだね」
ホームの職員達が話していた。
「うん、刑事にもなってバリバリ働いていたらしいよ」
「へえ、信じられない。ホームでは、人の良い優しいお爺ちゃんだったのにね」
「神奈川県警では名刑事だって言われていたらしいよ。ほら、見てごらん」
1人が手で示す先に、立派な礼服に身を包んだ男性が見えた。葬儀場に足を踏み入れると、三上智樹の遺影に向かって直立不動となり、しっかりと敬礼をする。
「あの人は?」
「今の神奈川県警察本部の本部長だよ」
「ええっ! 県警のトップ?」
「うん、あの本部長、子供の頃三上さんに命を救ってもらったんだって。凶悪犯に銃を向けられたとき、三上さんが守ってくれたらしいよ。それがあったから警察官を目指したんだって。三上さんのように立派な警察官になりたいと思って。本部長に就任した時に新聞の記事に載ってた」
「そうかぁ、すごい人だったんだね、三上さん。でも、それなのにずっと独り身だったのは何でだろうね?」
「うーん。どうしてかねぇ? 仕事が命だったのか、それとも、良い人がいたけど何か事情があって一緒になれなかったのか……」
明るい日差しを受け、葬儀は粛々と進められた。
空には、白く大きな雲がいくつも折り重なって見えた。
9 再会
心花は穏やかな風を受けながら、視線を下界に向けた。
ここは雲の上の上の上の、更に上……。
とある気まぐれな神様が造った世界。
何か良いこと、ないかなぁ……。
「心花~っ」
どこかから、呼ぶ声が聞こえてきた。
「えっ? 誰?」
キョロキョロと視線を巡らせる。
遠くから誰かが走って来る。男性だ。
え? こんな所に、誰が?
目を凝らして見ると、懐かしい姿が徐々にはっきりとしてくる。
5歳の時、30歳の時、それぞれの姿が交錯していた。
「智樹っ!」
「心花。待たせてごめんね」
「ううん。大丈夫。だって、ここは歳とか関係ない世界だから」
「これからは、ずっと一緒だよ」
「うんっ!」
しっかりと抱き合う2人を、穏やかな風がつつみこんだ。
Fin
お読みいただきありがとうございます。 サポートをいただけた場合は、もっと良い物を書けるよう研鑽するために使わせていただきます。