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第6話 母親【死生の天秤】小説

■第6話の見どころ

・母と娘
・理解できなくても受け入れる
・箕島の気持ち

第1話を読んでみる(第1話はフルで読めます)

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レストランチェーン店のエリアマネージャーをしている笹部亜梨沙(ささべ ありさ)は、いつものように忙しなく動き回っていた。毎日担当の店を周っているわけではないが、週に一度は必ず顔を出し、話を聞き、お客の顔を見て、売上を上げるために奔走する。

一年前に娘を亡くしてから、元夫と同様に仕事に明け暮れ、それは今も続いている。新たに恋人を作ることもなく、仕事ぶりも評価され、次の昇進でエリアマネージャーを統括する立場になることは、ほぼ間違いなかった。

そんな状況の中で、元夫からの突然の連絡は、22時を過ぎという時間と、要領を得ない内容に苛立ちを噴出させたが、続けて送られてきた一分ほどの動画に、亜梨沙は疲れを忘れて立ち上がり、見入った。

「優衣……?」

動画の中で動き、笑い、はしゃいでいる女の子は、死んだはずの娘……気づくと、涙がリビングのテーブルを濡らした。昔撮った動画だと、一瞬思ったが、録画の日時は今日の昼間になっている。

「どういう、こと……?」

もう一度、最初のメッセージを確認する。それでも理解できずに、亜梨沙はたまらず、箕嶋を呼び出した。

「これはなに?」

『見たんだな?』

電話の向こうで、箕嶋は低いトーンで答えた。明らかに疲れている。相変わらず仕事に明け暮れているのだろうと予想したが、その声の暗さは、それだけではない気がした。

「見たわ。いったいなんなの? これ……」

『見ての通りだ』

「見ての通りって、だってこれは……」

『優衣なんだ……』

「……!」

次の言葉をせき止めるように、涙が溢れた。箕嶋との離婚は、決して穏やかなものではなかった。喧嘩別れとは違うものの、お互いにボロボロになって、気遣う余裕もなく、好きや愛しているといった感情はもちろん、親としての責任もなくなってしまった二人は、お互いの存在すら気にかけないようになっていた。それでも、箕嶋がこんな悪ふざけをする人間でないことは分かっていた。優衣を悪ふざけの道具に使うなんて、もっともありえない。

『理解できないのはよく分かる。俺も、未だによく分からない。その子は本当に優衣なのか……でも否定もできなくて……』

「……説明してくれる?」

ようやく言葉を絞り出し、ソファに腰を下ろすと、箕嶋は事の経緯を話した。途中何度か質問して、聞き終わっても、どう飲み込めばいいのか分からず、亜梨沙は黙り、箕嶋もまた、沈黙した。

「つまり……」

亜梨沙はようやく、確かめるように口を開いた。

「生き返った……ってこととは、少し違う……再生、造られた……ってこと?」

『細かいことは、俺にも分からない』

「その笛木って人に確認できないの?」

『こないだ会ったとき、話が中途半端で終わってしまった。また会って話すから、そのときに確認する。けど、正直理解しきれる自信はない……』

「ずいぶんと弱気ね。遺伝子操作の記事まで書いたわりには」

『……読んだのか?』

「……まあ、一応ね」

『そうか……そっちは、仕事は順調か?』

「プライベートな時間なんてほとんどない。でもそれでいい、出世も間近だし……それでいいって、思ってた」

『……』

「優衣は? 今どうしてるの?」

『ぐっすり寝てるよ。引っ越しの荷物整理を一生懸命手伝ってくれた。かなり疲れたんだと思う』

「そう……」

『休みは取れそうか?』

「取るわ」

亜梨沙は、被せるように言った。

「会わせてほしい、優衣に」

『ああ、そのつもりだった。ただ、君になんて伝えればいいか分からなかったのと、俺自身もどうすればいいのか分からなかったんだ。連絡が遅れて悪かった……』

「そんな素直に謝られたら、もう何も言えないわね」

『いつにする?』

「明日」

『休めるのか?』

「午前中に最低限のことをしておけば、なんとかなるわ。仕事を任せられる部下もいるし」

『分かった。時間と場所は……』

「13時に、松原屋で」

『松原屋か……分かった。優衣と一緒に行く』

「うん、それじゃあ明日」

電話を切って、部屋を見回す。いつもの部屋、一人だけの、誰もいない部屋……

「……」

これは夢なのだろうか。箕嶋の話は、作り話のようで作り話とは感じられない、妙なリアルさがあった。もし何か別の意図があったとしても、優衣の動画を作って、それっぽいストーリーを話す……そんなことをする意味が、どう考えても見当たらない。優衣のことを思い出すのは、箕嶋も辛いはずで、こんなことは……

「明日、会えば分かることよね……」

呟くと、亜梨沙は立ち上がった。

箕嶋と会うのも、半年ぶりになる。話をしたのも半年ぶりだったが、実質は半年以上と言えた。優衣がいなくなってから離婚までの半年は、二人ともほとんど、おそらく数え切れるほどしか口を聞いていない。お互い仕事にのめり込んで、同じ家にいながら会う時間はほぼなかったこともあるが、顔を合わせても、何を話せばいいのか分からなかった。

今思えば、お互いに現実を受け入れることができず、会話をすれば必ず優衣のことが出てしまうのが分かっていたから、話すことを避けていたのだろう。それが明日、今度は優衣が生きているという現実について、話をする……疲れ切った脳は、ベッドに入ると一瞬で眠りに落ち、翌朝になっても昨日のことが夢に思えたが、スマホの履歴を見て、亜梨沙は起き上がった。

(少し早かったわね……)

松原屋の前に着いたとき、時計の針はまだ13時に届いていなかった。平日だからか、記憶の中にある景色より人の往来は少ない。もっとも、ほとんど駅と直結している松原屋は、人通りが少ないということはなく、箕嶋と優衣が歩いてきても、紛れてしまう程度には行き交っている。

明治15年、日本銀行が開業したその年に、名古屋の呉服店から始まった松原屋は、戦後の復興に乗って規模を拡大。一時は全国に二十店舗を展開し、日本の一流百貨店の一角を担った。しかし、コンビニやディスカウントショップが増え、ネット通販が当たり前になり、百貨店としての価値を追求するも、時代の流れには勝てず、リアル店舗は縮小を余儀なくなれ、今では日本全国で八店舗だけとなった。
だが、かつて家族で何度も訪れたこの場所は、今も開店前に人が並ぶ程度には繁盛している。

「……」

体が、いや、心がだろうか。落ち着かず、スマホを右手に持ったまま、顔がキョロキョロと動く。居心地の悪さとは違うが、胸のあたりにはモヤのようなものがかかり、初デートのときのような感覚を思い出して、亜梨沙は俯いて苦笑いした。

「ママ!!」

「……!」

声がして、顔を上げたが、松原屋に入っていく親子のもので、一人気まずさを感じて顔を逸したが、次の瞬間、視界に飛び込んできたものに、目頭が熱くなった。

「ママ!!」

自分に向かって走ってくる少女……間違えるはずがない、分からないはずがない……亜梨沙は屈んで、胸に飛び込んできた娘を、しっかりと抱きとめた。

「ママ!」

「優衣……本当に、優衣なの……?」

「そうだよ。ママも、優衣がずっと病院にいたから、忘れちゃったの……?」

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