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1970年代に彗星の如く現れた 天才ミュージシャン♪🎸🎹

こんにちは、Hideです🎵

私が、中学生になったばかりの70年代後期に”天才”と呼ばれた若いミュージシャンが現れました。

当時、”ロック御三家”と呼ばれた、世良公則&TWIST、Char、原田真二の中の二人です。

TWISTは別の記事で紹介済みなので、今回は天才ギタリストCharと、まだ10代で作詞作曲編曲までこなし全ての楽器を華麗に弾きこなす原田真二について、お話ししていきます。

70年代後期、ニューミュージックと呼ばれた日本のロックフォークを称したジャンルでした。

今でいうJ-POPですね。

演歌や歌謡曲が音楽界のメインで、リスナーからの指示を得てましたが、70年代初期頃から、反戦フォークや学生運動が盛んな時期に、かぐや姫やガロみたいにギターを抱えた若者が、同世代に共感を得る音楽を徐々に大衆に受け入れられていきました。

そして70年代中盤に”井上陽水”がアルバム「氷の世界」で日本初のアルバムセールスで100万枚を超えを果たしたのです。

当時オリコンのLPチャートで、100週以上ヒットチャート10内に留まるなど、LP日本初の売上枚数140万枚を記録する金字塔を打ち立てました。

当時の日本音楽界の女王美空ひばりさえ抜いて、長者番付1位にも輝くなど歌謡曲以外の音楽でも成功できるという事が証明されました。

次第にフォークミュージックも世間に認められていったというのも、陽水の功績でしょう。

しかし、この二人は陽水とは違い基本はロックミュージックでしたが…

中々そこは、すんなりいかないのでした。

チャーは元々ギタリストとして若いうちから、有名ミュージシャン達と一緒に演奏していて、実力は認められていましたが、大衆ウケを狙った事務所やレコード会社は、当時のヒット曲作家に楽曲を制作させ、ちょっとロックぽいアイドルを作ろうとしていたのです。

原田の場合は、元々自作した曲がポップで聴きやすかったのです。

当時、大人達から”ロックは不良”なんてレッテルが貼られてしまう時代だったので、営業サイドのレコード会社やプロダクションは、外国の音楽を素直に認めるわけにはいかないというお偉いさん達、大人への対応が大変だったのでしょうね。

では、そんな日本音楽界の変革期に現れた天才二人についてお話ししていきます。

Char 若きギターの天才現る 男らしい声とギターテクニックに女子ファンも魅了された

東京都品川区出身 1955年生まれ(68歳)

1976年にプロデビューするも、77年に歌謡曲の作家陣が作った曲を、自身の本意ではない歌謡ロック「気絶するほど悩ましい」をリリース、続く「逆光線」や闘牛士」が大ヒットして、世良や原田との”ロック御三家”として人気を得た。

都会的なイケメンでしたね〜

当時、ロック御三家の中では唯一自身が作った曲ではなかったことについて、「歌謡曲とロックの中間みたいな曲を歌わされた、世に出る為には、シングルは歌謡曲でいいと思ったわけさ」と、チャーは当時を振り返って語っている。

とはいえ、そんな歌謡曲風な曲中で、披露されたギターテクニックは、ギターフリークに技術の高さとセンスを見せつけた。

曲自体は別として、世間にCharというミュージシャンを鮮やかに認知させることは出来たのである。

そうは言いつつも、決して「逆光線」や「闘牛士」も確かに歌謡曲っぽい感じだが、彼の男らしい声とワイルドな歌い方、ギターソロの飛び抜けた演奏能力は、確かに目を引いた。

流石に阿久悠等、一流の作家陣が作り出す楽曲も、決して悪くはなく曲としては充分チャーの魅力を世に広めるには充分な楽曲だった。

本当に、チャーの魅力に痺れた音楽ファン達は、しっかりアルバムを聴いて「スモーキー」等音楽性の高いロックを聴いていたのだから、シングル盤はあくまでもプロモーションと割り切っていたのだろう。

それもまた一つのやり方である。

その後、歌謡路線に見切りをつけ、ロックバンドとして新たなミュージシャン達と演奏している。

金子マリや野村義男ともバンドを組んだりセッションを行っている。

野村義男はチャーをギターの師匠としているが、ギタープレイ以外の知識に乏しいチャーは、ギターマニアでもあるよっちゃんをギター用品などに関してよっちゃんを先生と呼んでいる(笑)

実は、この人は弾くギターにはあまり拘りは無いようで、丈夫だから良いと、フェンダームスタングを使用している。

他選手のバットでよくホームランを打った長嶋茂雄的な「弘法筆を選ばず」なのである。

やはり彼はギターの天才である。ロック界の長嶋茂雄だ(笑)

現在でも日本ロック界に君臨して、ロック界においてもCharの評価は変わらず、日本一のギタリストとしてステージで素晴らしいギタープレイを披露している。

私にとっても、今でも日本で一番のギタリストは?と問われたら、迷わずCharと答えるだろう。

誰も自分にそんなこと聞いてこないですがね(笑)

原田真二 マルチな才能で10代でヒットチャートを賑わした和製ROCKの新鋭

広島市出身 1958年生まれ(65歳)

1977年彗星の如く広島市から天才がやって来た。

1970年代後期、青山学院大在学中の、ミュージシャン原田真二が、吉田拓郎のプロデュースで天才少年として日本の音楽業界にデビューした。

作詞作曲編曲まで一人でこなし、ピアノ・ギター・ベース・パーション他和楽器まで弾きこなす、マルチな音楽性を持った原田真二が「てぃーんずぶるーす」を77年10月に発表、11月に「キャンディー」12月に「シャドー・ボクサー」と3ヶ月連続でシングルを発売。3曲ともヒットチャートベスト10内に入る。

当時、中1だった自分も天才とか…騒がれていた原田真二をよく憶えています。

最初は、ショートカットの普通の大学生という感じでしたが、テレビでザ・ベストテンに出演する時には、確かカーリーヘアーだったかな〜と記憶しています。

若いミュージシャンがベスト10内に3曲も入ってびっくりしました。

番組の3分の1は原田真二が歌っていたのです。

デビューして翌年すぐの1978年2月に発表された「Feel Happy」も、オリコン史上初の初登場第1位を獲得した(4週連続1位)[10代でのファーストアルバム、オリコン1位を記録したのは、男性シンガーソングライターでは未だ原田真二だけです。

中1だった私は、クラスの女子達が原田真二を可愛いとか曲が良いとか騒いでいましたね。

ちょっと可愛い少年系でビーバーみたいな感じで、声はハスキーボイスなのです。

ロックというよりは、ポップス系ですが、今までにないメロディーラインとちょっと日本離れした雰囲気を感じさせる曲だなぁ〜といった感じでした。

当時は、野生的な魅力を持つ世良公則がデビューしたばかりで、それとは正反対のポップな曲調ですが、何か光るものは感じましたね。

色は違いますが、尾崎豊が出てきた時みたいな、これまでにない感性を感じさせてくれるミュージシャンでした。

私は、デビュー3連発の中では「シャドー・ボクサー」が好きでしたね。FMからカセットテープに録音して聞いたりしていました。

個人的には、デビュー翌年4月に発売された「タイム・トラベル」がお気に入りの曲でした。

ハスキーでこもった感じの声が、タイムトラベルのSF感を一層掻き立ててくれましたね。

彼女の家が古い洋館で、そこからタイムトラベルして時代を旅して、未来の地球の結末を見るとこで、夢が覚める〜

みたいな、不思議なSFチックな歌で、聞いていて興味をそそられました。

今度私の地元にライブでくるのですが、FMでそのCMをやっていて、「タイムトラベル」がバックで流れるのですが、中学時代を思い出さしてくれます。

今盛んに世の中ではSDG’sとか、言われていますが、この歌のエンディングでは自然破壊した地球が人が住めなくなって、宇宙船で他の星に避難する地球人達の姿が描かれています。

今考えると40年近く前にこんな詩を書いていたなんて…なんか原田って凄いなぁと思ってしまいます。

原田真二は、松田聖子にも楽曲提供などを含め音楽的にサポートしていました。

20年くらい前に、たまたま地元に聖子のコンサートを観に行った時に、原田真二もサポートメンバーで来ていました。

娘の当時10代だった沙也加も一緒に来ていました。

原田真二はギターやキーボードとコーラスで参加していましたが、中々センスあるプレイをしていましたね。

当時、新聞の抽選で当たったチケットでしたが、得しましたね、

う〜ん原田真二って、曲も良かったし、当時平凡や明星とか雑誌にもよく載っていて確かに女の子には人気があってアイドルの様に扱われていましたが、彼の音楽性は一つ頭が抜き出ていた様な気がします。

私の好み的には、別物でしたが作詞作曲とアレンジや演奏面も素晴らしいし、二枚目のアルバムからはセルフプロデュースもしていましたので…

原田はかなり先を言っていた感じです。

当時デビューアルバムに参加した鈴木茂(元はっぴいえんどのギタリスト、作曲家)が、原田が凄すぎて、やることがほとんどなかったと語っていたくらいの才能を発揮していた。

80年代には、尾崎豊が現れたように、10年に一人くらいに、こういった逸材が出てくるのですね〜

”ロック御三家”の中では、チャーや世良ももちろん素晴らしい才能を持っていましたが、10代でここまでのマルチな感性を持っているのは非常に当時では珍しい天才でしてね。

その後も、コンピュータが音楽に取り入れられ始めると、山下達郎などと同じく、そのプログラミングも手がけたそうです。

彼を可愛いと言っていた当時の女子達の陰で、彼の才能に刺激を受けた男子も結構いるはずです。

70年代のニューミュージックのジャンルで、原田真二は歴史的にもいなければならなかった天才でしたね。

70年代後期「ロック御三家」

70年代後期”ロック御三家”と呼ばれた中の、Charと原田真二を振り返りました。二人とも未だ現役です。

ニューミュージックと呼ばれて注目を浴び始めた頃に、鮮烈に日本の音楽界にデビューした若き二人のミュージシャン。

原田に関してはまだ10代でしたから、”天才”と騒がれても当然ですね。

しかし、原田は浮かれた様子もなく、「自分はアーティストだ」と出演したテレビ番組で公言していました。

自信があったのだと思います。

チャーも名が知れ渡ると、自分のやりたいロックミュージックへと戻って活躍しました。

中学生で、この二人の天才に出会えた事は本当にラッキーで、少なからず良い影響を与えてもらったと感じています。

それと、やはり振り返って懐かしく思えてなりませんね。

いろんな音楽と出会えた中学時代、ワクワクしましたね。

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