恐怖は根源だからあったほうがいい!進歩の源だから...
恐怖...
僕たち人間にとって恐怖って切っても切れない仲です。
これは、遺伝子というか?脳というか?DNAレベルで人間が生きる上で必要な種の保存に必要なことだと思います。
僕たちは、昔も今も恐怖や不安があり
普通に仕事して、恋愛して、運動して、本読んで、友達とお酒を飲んだり、SNSしたりして暮らしています。
僕も病気だった時は、いろんな恐怖や不安がありましたし、今もあるけど割とワクワクしながら生きています。恐怖や不安は人間にとってなくならない。むしろあったほうがいい。けっきょく成長の糧になるから。
ある知識人がいいました。確かこんなことを...
「恐怖があるから人間は他の動物より上に立てた」と...
もし人間が、恐怖がなく戦うだけ、闘争本能だけの動物だったらマンモスや狼に飛び込んでいって食べられて終わりです。多分僕たち人間は、今頃存在しなかったでしょうね。
恐怖があるから人は、その動物たちとの直接対決を避けて、武器を作ったり、集団を狩したりしていたんでしょう。
そう恐怖って人間にとって根源的なもの...
だからこそ進歩してきた。
でも?何かおかしくありませんか?
今の日本って不安や恐怖を抱えている人が多いのにあまり変わっていないようにも思えたりします。
僕たちの祖先は、不安や恐怖があるから知恵を使って武器を作り、集団になって狩をしていたのにね。
武器を作る。集団で狩をする。
これって不安や恐怖に立ち向かうための行動だと思うんです。
なぜ行動するのか?
それは、生命がたたれる。はたまた、種が保存できなくなる。
という強い強い意志のようなものが細胞レベルであるんじゃないかと思います。
逆に今の日本は、衣食住とかはとりあえず確保できるため、適度な不安と適度な恐怖を与えられている気がします。そして、その適度な恐怖や適度な不安を埋めるために働いていたり、購買したりしている。
適度なので...
束縛されているけど適度に繋がれているので、
「まあいっか」って感じなのかなと思ったりする。
適度さは、動物のカンとかそういう本来大切な感情というか感性を弱くさせている気がします。
僕たちの人間が本来持つパワーが出力しにくくなっている。
牙を失った状態。
恐怖に縛られたり、不安に縛られたりして口を開けていると餌をもらえるのような生き方をしていると牙を失ってしまう。
牙って自信。牙がなくなるということは自信を放棄したようなものだ。
尻尾を振って誰かに迎合していれば食べていけることを繰り返していけばいいから。
だから狼は、犬になってしまった。
適度な束縛は、かなり怖い。徐々に無意識に圧力をかけていく、慣れてしまうと、もう自分では恐怖に立ちむう力が削がれてしまっている。
恐怖は、根源だから。
恐怖は無くなるわけではない。
ならできることは、自分が何に恐怖や不安を感じているのか?真剣に考えないといけない。漫然とテレビを見たりSNSを見たりするんではなく真剣に向き合うしかない。
適度な恐怖のもとで、このままの自分が10年後、20年後も続いていたらどうなるのか?そして、80歳を超えた自分はどうなっているのか?本気でイメージして恐怖を味わってみよう。
そして、恐怖に打ち勝って行動した自分を妄想レベルでイメージして欲しい。
誰に気兼ねしなくてもいい。自分のイメージは自由だから誰もあなたを拘束しない。自由に自由に楽しく妄想しよう!
僕たちは、恐怖に打ち勝つスペックが宿っているのに使わない手はない。
この方法は、僕もよく使っているんですが、使えます。
脳のイメージ力は偉大で、僕たちが思ったことが現実としてとらえる。
恐怖は根源でなくならない。
僕たち人間は、恐怖を克服して来たから今ここにいる。
牙を取り戻して、自信を回復しましょう!
そうと決めればあなたは、まず何をしますか?
Hideでした。
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