丁寧すぎて死なないように、退屈すぎて死なないように
本日、15時ごろに目が覚めた
12時間くらい寝ていただろうか
最近は、眠いときは気が済むまで寝ていよう、と思ってすごしていた
眠いのに無理やり起きると本気で気分が悪いからだ
だが最近は、朝起きたときの憂鬱感が軽減されてきている
そして、寝すぎて予定が狂ったときのほうの不快感のほうが大きい
朝起きたときの憂鬱感が少なくなり、回復の兆しを感じる
実際、ここ数日僕は何もしない1日を退屈だなあと思っていた
気づけば、日中の不快感はほとんど見えないレベルにまで後退している
人と長時間話しても脳があまり疲れない
そろそろ働きどきですかねぇ~
まだあんまり「好きなことをして休息した!」っていう感じではないが、好きなことは社会との関わりの中にあるかもしれないとか思っていたりもする
閑話休題
僕は欲望が深い人間が好きだ
今、加藤典洋の『日本の無思想』を読んでいるんだが
その中で、公共性の成り立ち方に関して、福沢諭吉の言葉を引用してこう語られている
どんな場合でも「公的なもの」の底にあるのは「私的なもの」だ
その「私的なもの」は「公的なもの」よりも広くて深い
国ができれば、「忠君愛国」という公的なものができるが、その親は、その国を作るものとしての私情だ(p236)
私利私欲の追求こそが公的な領域を広げるという論
僕は同じようなことを愛についても思う
愛情深い人間というのがいるとして
その愛情のエネルギーの根源はなにか、という話だ
フロイトならリビドーと言うだろう
つまり欲望のエネルギーだ
私情の深さが公共性を広げるならば
欲望の大きさが愛情の量を増やす
欲望を爆発させている人間は、同時に世界に対する愛情も爆発させているのではないだろうか
そんなことを考えたりする
だから、ディストピア小説のマザーコンピュータが、いくら人間を快楽漬けにしても、最後には否定されてしまうのは、人間の欲望の大きさを甘く見ているからで
「その程度では満足できない」という気持ちが、常に人を変化させ、新しい状況へと導くのだ
そしてそれがどんなに間違った選択だろうが、つらかろうが、そこに幸福を見出せる
尋常ならざる可能性を秘めている
だから、欲望が深い人を見ると、少しワクワクする
そんな欲望のススメ
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