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ワニが死んだ。そして、思想も死んで、ゾンビが残った…

以前にも同じことを書いたような気がするが、過去のことは象徴的なことを抽象化して3, 4つくらいしか覚えていない人間なので、それを前提に読んで欲しい。


まず、僕の考え方の根底にあるものとして、

死は日常にあって、軽いものだと思っている。


果たして、2010年頃に僕は一度死にかけている。

以前、僕がサラリーマン時代に働いていた会社の一部の人間はよく知っていることだが、中国の広州市で後頭部を割って大量出血をして救急車で担ぎ込まれて、治療・縫合の末、翌日目が覚めた。

目が覚めたのは広州市病院(もちろん日系などではない)で、廊下に移動式ベッドが置かれていて、大量の点滴を左右の腕に繋がれた状態だった。

目が覚めると、ぼんやりと見えたクリーム色の天井の輪郭が徐々にはっきりとして、首をやや横に傾けて当時の上司(黒龍江省出身の満州族)が目に入り、ようやく自分が置かれた状況をなんとなくではあるが理解した。

その前日、僕の以前いたコンサルティング会社で初と言って良いプロジェクトに関するキックオフミーティング(受注後初めての進行)が行われ、それを記念してクライアントである地方国有企業の方々が盛大なパーティを開催した。

先方も当方も役員からフロントメンバーまで集まって始まった宴席で、僕は先方企業の顧問弁護士と隣合わせになった。この弁護士とはそれまでじっくりと話しをしたことはなかった。

白酒を酌み交わしながら、そう、白酒を、だ。


チャイナスクールと呼ばれる中国経験者からすれば納得、知らない人たちには理解できないだろうが、中国ではお互いに一言相手と自分の関係についての話をして、その相手と白酒を一杯酌み交わすのが常だ。白酒はアルコール度数が60度近いが、もちろん一気で、だ。

白酒には死の匂いがつきまとう。

白酒で命を落とす人は沢山いる。白酒は度数が高く、確かに強い。が、良い白酒は口当たりが比較的優しく、その喉を通る時の熱さが癖になる。そして、この酒が罪なのは、アッパーな酒であること。中国人のノリがアッパーであることも相まって、その席は非常に楽しいものとなる。

そしてトドメだ。白酒の酔いは突然ピークに達する。そうなると、膝から折れる。チャイナスクールは経験したことがあると思うが、立って談笑していたと思うと、突然腰から崩れるように落ちる。


話を戻す。当日の夜、先方国有企業の顧問弁護士と酒を酌み交わしたのは一次会。まだ酒が回るには早すぎる。しかし彼はこう言った。


「我々の国とあなたたちの国はこの100年間あまり良い状態ではなかった。しかし、それ以前の2000年の間、私たちずっと友だちでしたね」


酒には酔わずに言葉に酔った。それがリップサービスだったとしても、100ある内の100嘘をつける人間はほとんどいない(できるのはサイコパス、ソシオパスだろう)。

そして、その瞬間から僕の目の前にいる人間が何を言ったかはもはや大きな問題とはならない。

その個人を媒体として、中国と日本の間に流れる大きな物語が姿を現したのだ。そして、その物語の語り手は彼ではなく僕なのだ。僕が願っていたことが目の前に出現し、そこに透明な酒があったということだ。


自分に激しく酔ったその日、その後に何が起こったか?その後のKTV(中国式キャバクラ)で、フロアの椅子と机をなぎ倒しながらステージに直進し、その上に上がり、マイクを掴んで、そこにいる人全員(99%が中国人)に向かって、


「俺は日本からやってきた。俺とお前達は古い友だちだ。俺はお前らと友だちであることが本当に嬉しい。お前たちに価値を提供することができることが本当に嬉しい。俺は中国と日本を最高の関係にする。そういう世界を望んでいる。そういう世界を望む奴らは俺についてこい!!」


と叫んだらしい。そして満足気にクライアントも残っている2Fの個室に(中国人をゾロゾロと引き連れて)戻り、気づいたら気を失ってバッタリと後頭部から倒れた。これがコトの顛末。

そんな僕はステージに上がろうとするところ辺りから記憶がおぼろげで覚えていない。そして、翌日広州市の病院で目を覚ますところから、今の人生まで続いている。


僕の人生は終わっていたかもしれない。もしそうだとしたら、こんなこと考える余地もない。そして、終わっていない人生を生きる僕にとって、あそこで死んでいたとしても後悔はない、と言うことにどれだけ意味があるのだろうか。

一方でこういうことは言える。あんなことがあったから、今後、中国人との付き合いの中で、少し抑え目で付き合うことを誰かから勧められたとしても、自分は大陸の人たちとの付き合い方を変えることはない。


僕にとって、生きるということは、その場、その瞬間、自分を裏切らないことだ。そうしないということは、自分が自分の人生を生きているとは言えない。それは、生きながらにして死んでいることと同じであって、ではなぜ人は僕に対して生きながらにして「死ね」と望んでくるのであろうか。


ワニが死んだのはワニが望んだからだ。


人間、起こることは全て必然であり、それは自らが望んだことだ。日常の中で自分が望んだことを少しずつ手繰り寄せていく。それが人からみれば良いことでもあり、悪いことでもある。しかし、最終的に本人の主観に入り込む余地はない。なぜなら、脳や意識の固有な構造までを他人が完全に再現することはできないからだ。

そういう物語を書いた(と僕は思う)作者は素晴らしいと思う。そして、そういう本質的な物語を世の中に出すということに力を貸した様々な協力者の仕事も素晴らしいことだ。

しかしそれでもあえて言うが、それは脇のことだ。

本質的なのは物語そのものとそれを読む当事者の関係性、すなわち各自の物語だ。その各自の物語の強度が遺伝子に少しでも生きた証をつければいい。いい死が待っている。


え?子どもとして残せない人もいるじゃないかって?

良いんだよ。お前自身の物語が、他人にとっての非共有環境として物語の一部になるのだから。


だから何が大事かって?

お前の物語を語れってことだよ。

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