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銀座を歩いていて見知らぬアラブ人に1.8万円を渡した話

内幸町で中国でのスタートアップビジネスについてファンドにファーストコンタクトを終えて、次の予定が銀座だったので中国人創業者を送りがてら、新橋から銀座線に乗り銀座で降りた。

銀座三越経由で地上に出て、三丁目方面に向かって歩いていたところ、松屋の交差点で向こうから歩いてくるアラブ風の男と目が合い、そのまま英語で声をかけられた。

彼曰く、

お前には2019年の終わりから2020年にかけて3つの良いことが起こる。お前は良い顔をしている。親切だし、人の手助けをしているからだ。

ということだった。

彼はこのような内容を僕に伝えている間、顔を極端に近づけ、僕の目を覗き込んでいる。彼の目は漆黒で感情が読み取りにくく、無表情であることが一層その会話(と言えるのか分からないけれど)を、周辺の日常とは異なる空間に引き付けていた。

話はそれだけかと思えば、彼は小さな付箋紙をとりだし、そこに何かを書き、丸めて僕の手に握らせた。そして、僕に"好きな色と好きな数字"を聞き、最後に何を望むかと聞いてきた。

そう、結果、手の中に握りしめられた紙には、僕が好きだと答えた色と数字が書かれていたのだ。

彼は財布のようなものを出した。二つ折りのそれを開くと、キリストの絵と、何かステンドグラスのような色で形作られた意匠が示されていた。彼はそこにお金を入れろと言う。僕が財布を取り出してお金を入れようとすると、大きい紙幣から入れろと、しまいには彼自身が財布からお金を直接取り出して、キリストと色の意匠の間に挟み込んでいった。

合計1万8,000円くらい。

そして、彼は再び僕に、お前には必ず3つの幸せがやってくると言って、小さな紅い石を持たせ、離れて行った。それにしても印象的に黒々とした目だった。

僕はある友人の結婚式と披露宴に招かれ、その宴の中で指名され、壇上で自分の描いた絵をマジシャンに当てられたばかりだった。まだ1ヶ月も経っていない。その文脈からすればアラブ風の彼が使ったのはトリックかもしれないが、僕はそこに意味を感じない。

1ヶ月という短時間の間に"幸せ"に関わることで、自分が思ったことを言い当てられるという経験を2度したということに意味がある、と考える。

そして、彼の目が黒々としていて、表情も無かったということを考える。

世の中は常に変化している。それは流転しているとも言えるし、今この瞬間が絶対的であるということを断定するための尺度すら存在しない。今自分がいるということは、今自分がいるとまさに今思った瞬間に過去のものとなり、今はその瞬間に新しく無限の可能性の中で量産される。自分はその中の針の穴よりも小さい可能性の一つを猛スピードでエネルギー的に消費しているに過ぎない。

だったら、無限の中の刹那を楽しもうよ。

僕の無限はこの小さな紅い石の中にある。

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