嵐が丘

”ポスト資本主義”のヒントはイギリスの貴族・ジェントルマンに求められる

ダボス会議を運営するWorld Economic Forumで働くかつての同僚がスイスから日本に一時帰国したので、せっかくだからと一緒にランチをした。今年のダボス会議年次総会のテーマは”ポスト資本主義”だったそうだ。

世界中の政治・経済界のリーダーだけでなく、

も呼ばれ、気候変動についての話し合いもされたそうだ。

ポスト資本主義という包括的かつ複合的なテーマが、”気候変動についての過激なアプローチ”に分かりやすく集約されてしまうことについて、彼なりの意見なども踏まえつつ、僕らの世代で、僕らだからこそできることについて議論をしながら楽しいランチの時間は終わった。

一方、自分の頭の中では、”ポスト資本主義”という文脈について考えるにあたり、そもそも”資本主義”というものが、どこでどのような背景で生まれ、どのように定義され、そして再定義されていったのか非常に興味が湧いた。

そこで手にした本が、下記だ。

資本主義を知る上で欠かせないのは、大英帝国における産業革命であろうという仮説を検証することを目的として読んだが、その産業革命自体が起こった背景について、サプライサイドではなく、消費を司る生活者側から丁寧に分析していて、非常に示唆に富んでいた。

上記の前提条件をもとにごくごく簡単に言えば、

資本主義は、貴族、ジェントルマン層に平民層が憧れ、ファッションに代表される生活様式を望み、需要が創造されることに起点を発する。
その理由として当時のロンドンはイギリスの他の都市と比較して圧倒的に人口が多く、匿名性が高かったため、外見でしかその属性を判断することができなかったことが挙げられる。
ロンドンに人々が集中したのは、イギリス特有の身分社会がある。すなわち、地方の平民層の子どもは裕福な貴族・ジェントルマン層の家で下働きをする習わしがあり、貿易の中心をになっていたロンドンに働き手に対する需要が多かったため。

端的に言えば、都市化が進展し、ある限度を超えると資本主義的メカニズムが機能し始める、ということだ(これはデマンドサイドからの分析で、サプライサイドからは産業革命そのものについての様々な補足がある。その延長線上には中国の陶磁器もあるし、東インド会社が率いた綿花産業における奴隷労働・貿易も存在する)。

都市化の進展と産業革命に伴い資本主義化が加速する一方、イギリスには貴族・ジェントルマン層が不労・有閑層として依然として存在した。ロンドンのいわゆる”シティ”における金融従事者がジェントルマン層に流入した後にも、ジェントルマンとして公共事業に融資したり、文化や風俗を守っていく役割を持っていた。

階級社会の中で、ノブレス・オブリージュが効いていた。

ところが、アメリカやドイツ、そして日本にまで成長率で下回ったイギリスには”衰退論”がはびこり、サッチャー政権は新自由主義を掲げ、階級における不文律を含めたあらゆる規制を撤廃した結果、皮肉にも”シティ”の金融業だけが著しい成長を成し遂げた。期待された製造業などの復興、すなわち第一次産業革命よもう一度、を成し得ることなどできなかった。

結果、金融エリート層がロンドンを牛耳ることになる。彼らは今で言うところのリバタリアンであり、イギリス人以外で大半が占められた。結果、本来の貴族・ジェントルマン層が持っていた”ノブレス・オブリージュ”は懐古的なものとなり、資本主義の王道であるエコノミック・アニマルがロンドンに君臨し、文化や伝統は廃れていくことになる。


さて、長々と書いたが、これは日本から遠く離れたかつて栄光を放っていた帝国の勃興譚として片付けて良いのだろうか?このアナロジーこそが日本の現在と未来を象徴しているのではないだろうか?

江戸時代の身分制度、エリートが下野した形としての武士のあり方、都市国家的なシステム、その後の明治維新と戦後の様々な自由化、規制撤廃からリバタリアン的ベンチャーの勃興、など。

ヒントは至るところにある。

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